見出し画像

【あれこれ】あと10年で死ねるなら


花粉がようやくおさまり、ひゃっほい外に出れるぞと喜んでいる古川です。まあ用もないので出ないんですが。なすとうまさん、今月の寄稿は不穏なタイトルから始まります。(スタッフ・古川)





あと10年で死ねるならさっさと会社を辞めるのに。

髪を切った帰り道、心と身体に胃もたれのようなどんよりした重みを感じながらふと思いました。
公の場で言うのなら、思ってしまったと表現するべきなのかもしれません。

ともかくそういうことを考えていました。
随分前から会社辞めたい症候群を発症していて、月1〜2回そういう理由で当日に休んでいます。
今の仕事は嫌いではないし、人間関係もまあ悪くないと思います。
でも他のやりたいことに目覚めてしまったし、社会に適応できない、どうしようもない部分は日に日に顕著になっています。
けっこうしんどい。

幸いにも好きな会社の株を買ってみたらぐんぐん上がっていき、貯金もそこそこある状態です。いま会社を辞めてディズニーキャストになったとしても10年くらいならのんびり暮らしていけるのです。
だから、あと10年で穏やかな死を迎えられるのであれば思い切ってそういう生活ができるのです。
途中で自分も家族も大病せずアクシデントでお金がかからないという前提ですけど。


明日死んでしまうつもりで今日を生きる。
そうすれば悔いなく生きられる。

多くの人が何度か聞いたことのある話ではないでしょうか。
これ、私にはあまりピンときません。ピンとこないというか、つい突っ込んでしまいます。

「明日死ぬなら仕事いかないくない?」
「財産整理とかしておきたくない?」
「遺言的なものは用意してるの?」

今ぱっと思いついただけでもこのくらいは言いたいです。
明日だとあまりにもすぐ過ぎて行動が歪んでしまうと思うのです。
明日退場するのが確定ならお金を全て使い切る人とか結構いそうですが、実際にそんなことをしたら明後日のご飯に困ってしまいます。

でも10年後なら、この辺りまで延ばすともう少し現実的で、向き合ってあげた方が良い欲求が見えてくる気がします。


もう一つ。私は「あと10年で死ねるなら」と表現しました。駅に着いた時、3年に変えると「あと3年で死んでしまうとしたら」になることに気が付きました。

「死ねるなら」と「死んでしまう」の境界はどこにあるのでしょう。
表現が変わるのは何を意味しているのでしょう。
きっとこの境界は人によって違うと思います。
1日も早いことを望んでいる人、20年でも早過ぎると思っている人、もしかしたら何年も前に遡ってしまいたい人もいるのかもしれません。

3年は短くて、5年もたぶん短くて、10年がちょうど良い。
短く感じるのはきっと、欲求を実現するには不足していると考えているから。ちょうど良いと感じるのは欲求の実現はできて、かつ真剣に生きるための体力がその辺りで尽きると思っているから。
私の場合はそんなところではないでしょうか。

これが結婚していたり子どもがいたりすると話が変わってくるのでしょう。
あるいは自己実現が進んで何かを達成した上で次の目標が見えた時、そうなれば延長したくなると思います。


○年後の設定によって人生設計は変わります。その中で1番しっくり来るものが、今の指針になっているはずです。
40年後ではなかなか会社を辞められないし、「まだそんなにあるのかよ」と思ってしまいます。今の感覚では人生が長過ぎるのです。実際に長過ぎるのかはともかく、考えが凝り固まって勝手に窮屈に生きてしまうのです。

それなら期限を切った方が良い。

勉強をしない学生生活でした。
SNSを更新しない日々でした。

だけど文学フリマの出店を決めたら文章を書いてもろもろ手配して、きちんと本を作って持っていけました。
この「あれこれ」も1度期限ぎりぎりになったけれど、ここまで7回は10日前くらいにお渡しできています。

私には長過ぎない期限が必要なのです。
いろいろ考え過ぎて身動きが取れなくなる前に、考えなくて済むように誘導してあげたいのです。


生きるべきか死ぬべきか。
そんなものは問題ではありません。
どう生きるか、どう死ぬか、それが問題です。

あなたの「あと10年で死ねるなら」か「あと10年で死んでしまうなら」の話を聞いてみたいものです。
年数を変えたらどうなるのかも合わせて。

どこかで会えたなら教えてください。


ではまた。



この寄稿者の前回記事↓




○寄稿者募集!

不登校ラボでは、連載【あれこれありましたが、】をnote内にておこなっています。

ここは、人生のはやいうちにつまづいてしまったさまざまな人が集まり、創作や出会いを通じて当時をもう一度ふり返る人生の研究所。かつてかかっていた”もや”を、いまのあなたが観察するところです。

寄稿連載【あれこれありましたが、】では、当時行きづまっていた私たちがいまどうやって生きているか。あれこれありましたが、よろしくやってる方々の日常や思考を寄せてもらい、連載しています。

読者からも寄稿作家を募集しています。学生時代に挫折をもつ人(不登校経験がなくても構いません)、学校に行きたくなかった日が1日でもある人、自分の文章をこの場で書いてみたいと感じる方は、ぜひ、スタッフ古川までご一報いただけますと幸いです。たくさんの方々のご参加、お待ちしております。
メール:kansinken723101659@icloud.com

企画の詳細は以下記事から↓
https://note.com/futoko_rabo/n/n787d569fca3b

ここから先は

0字

この記事は現在販売されていません