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【あれこれ】小説が読めなくなった


メンバーのドヌーヴさん。小さいころから読書が好きだった彼が、不登校を機に訪れた変化とは。(スタッフ・古川)





小説が読めなくなった。不登校を経て。

小さい頃から本を読むことが好きだった。というかそれくらいしかすることがなかった。前記事にも書いたが、何かから目を逸らすように俺は物語の世界に没頭していた。挿絵の少ない本にはじめて手を伸ばしたのが、小学校2年生のころ。それが星新一のショートショート集だった。「悪魔のささやき」という巻に掲載されている「なんでもない」、これが最初。よく覚えている。主人公の周囲の人間がある電話を取ったあとから挙動不審になり、狂っていく話。文字だけで構成されていく世界観は、当時の自分にとってとても新鮮に感じられた。

それからは、休み時間も放課後も休日も、ほとんど読書をして過ごした。日本の作品から海外の作品まで、有名どころからコアなものまで、面白そうと感じたものは時間の余すかぎり読んだ。先に「目を逸らすように」と書いたが、とはいえ楽しかったのだろう。夢中で読み進めた。中学校にあがってからも、部活が忙しくなり以前よりは読書量が減ったものの、細々と読み進める。本はいつも生活の中にあった。

そして不登校がやってくる。高校に入学してすぐに俺はつまづいてしまう。勉強はついていけていないし、春から始めた硬式テニス部は親の小言をきっかけにやめてしまった。ポツポツと学校を休み始めた俺を、同級生は徐々に敬遠していく。家と高校を往復するだけの、ひたすらに手応えを感じない高校生活に、俺はあっという間に参ってしまった。16歳である。拗ねて不貞腐れるくらいなら仕方ない。けれどもそのあとに、自分を立たせる何かを見つけられなかったのが問題だった。結局それから本格的に学校に行けなくなり、もともと消極的な性格がさらに内に閉じていくことになる。

図書館や書店によく行く。距離はあるがかなり大きな市の図書館が地元にあったり、少し歩けば大きな書店があったりしたため、小学生のころからどちらもよく通っていた。学校に行かない期間、スマートフォンもゲームも持たせてもらえなかった俺は、退屈をしのぐために「本を読む」という目的で外出する機会がしばしばあった。本のある空間はとても落ち着く。本が好きな人としてその場に紛れることができるし、自分の問題を少し忘れることができたから。本来登校する道の正反対にある国道を通って、俺はそんな安息地へと足を運ぶ。

しかし、空間はふわふわと落ち着く一方、目で追った文章は痛々しいほど自身の余裕のなさを示していた。

もし自分が10歳だったら、図書館や書店に着くなり真っ先に児童書や小説のコーナーに向かっていただろう。お気に入りシリーズの最新刊が発売されたかチェックしにいっているはずだ。16歳になった自分がそれらのブースを素通りしたのは、決して飽きたからではない。学校に行かず、家にも居づらく、平日の昼間から書店へと吸い込まれた俺は、店舗のはじにある「自己啓発」と書かれたスペースに立っていた。

それしかできることがない。コントロールもできない不甲斐ない自分を律するために、崇高なマインドを身につけるしかないと感じていた。と同時に、他者の啓発本を読む程度で何か進んだ気になることがただの現実逃避であることもよく分かっていた。こんなもの何の解決にもならない。ギリギリの自尊心を保つためだけに、問題を先送りするためだけに手に取るドクターカーネギーの言葉は、数秒間だけ響いた気がして、瞬きを一度すればもう忘れていた。内容の分別以前に、めくってきたページを支える右手の重量のみが達成感だった。こんなふうに生きていけばいいことを俺は同級生と違って知っている、そう感じることでなんとか踏みとどまっていた。やっぱり、それしかできなかったのである。

一方、小説がまったく読めなくなってしまった。小説に限らず、アニメや映画など、フィクションの世界に入り込めない。架空の話を取り入れる脳のキャパシティがなくなってしまったからと推測している。これは参った。「娯楽」として持っていた読書が、救いを求めて情報を得る「ツール」へと変わってしまったのだ。小学生の頃から、楽しさと共に手を取りあってきた物語たちを俺は拒絶してしまった。「そんなことより」と、思ってしまった。

つらいなら空想の世界に浸れば良かったし、学術書の1冊や2冊読んでおけば、また今見える世界も違っていたかもしれない。今となっては何とでも言えるが、当時は本当に目先の安定しか身体が受けつけてくれなかった。「明日から変わる方法」「自己肯定感の高め方」「一流の人がしている行動」…。1冊1冊棚から取り出しては読み、また棚に戻すを繰り返していると、もう外は暗くなっていた。それでもまだ、棚に並んだ背表紙をなぞる。書店の隅で背中を丸めて「幸せになる方法」というタイトルの本を読んでいる彼は、きっとすぐには幸せになれない。



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