だけど他人の七転八倒は娯楽(日記)

 今日は比較的早く起きられたほうだが(当社比・数分差)日記を書く。別途作業したいことがあるので今週末くらいまでは数分日記更新である。ありがたいことで日記も読んでくださる方がいるようだ、押していただいたいいねが冬の寒さに染み渡る。

 なにしろ何かあるとすぐ袋叩きに合う世の中――というか、物理的に路地裏に呼び出さなくても袋叩きにできるツールが流通している世の中、いや都合はツールではなく使う人間の方にあり、バールが悪いはずもなくバールを殴打に使うやつが悪いのだが――において、自分の素性をさらしすぎることには聊かの抵抗がある。
 私はやや古めのインターネットオタク世代というか、黎明期の方々が作ってくれた個人サイトを最初の遊び場として育ったので、ネット上で自我を確立する頃には「自分や周囲の個人が特定できる情報をむやみに載せるべからず」という認識が刷り込まれていた。ご存じ、ネット上には特定班と呼ばれたり揶揄されたりする「わずかな情報の端から個人や特定のモノをこれだと特定する」ことにめちゃくちゃに長けた方がいらっしゃって、どんな発言から何が伝わるか分かったもんじゃない。近年も、アニメの最新話が公開されるやいなや「彼の使用していたハンドクリームはもしや有名コスメブランドのこのラインでは」なんて特定ができてしまうのだからすごい。その検索能力はどうやって備わるのだろう。
 そんなわけで、自分の素性にかかわるようなことをさらしすぎるのは抵抗が強く、そのくせ自分の書いたものは読んでもらいたいわけで、ここで私は「私の書いたもの」を世の中に提出したいのであり「私という書き手ないしキャラクター」のことは忘れてほしいのだな、と思っているのだがなかなか完全に「私」の気配を消すこともいかんせん難しい。

 とりわけエッセイとなると、かなり自分の実体験や人となりが現れ出るものになってしまう。
 昨年くらいまで自分でエッセイ的なものを書くのには一切興味がなかったのだが、友人たちの「あなたのエピソードは見ていて面白いからエッセイとしてまとめてよ」とか「なかずちゃんの感想面白いからゲーム実況向いてると思う」とか、そんな発言を真に受けてちょっとうれしくなり「ふむ。じゃあ少しそんなものも書いてみようかな」などと思ったのが運の尽きである。
 いや尽きてはいない、尽きてはいないが。
 うううん、エッセイ的に書くよりもこの体験は小説に織り交ぜたほうがよかったかしら、なんて思う場面もある。
 自分のことを書いたひとりよがりな小説は目も当てられまいと思うのに、自分のことを赤裸々につづったエッセイは面白いというのは、いったいこれはなんなのだろうか。先ほどまで読んでいたエッセイ掲載サイトが特に実体験重視だから、ということもあるけれど。何かを読んで「面白い」と思うことってたくさんあるけれど、「自分はなぜこれを面白いと思っていて、これは面白いと思わないのか」って、改めて考え始めると一万字くらいの日記になってしまうのでこれ以上はやめる。

 でもたしかに――昨年自分がゲームの感想を逐一SNSへ書き込んでいたログを読み返して思ったのだが――私の七転八倒している様子ってちょっと面白い。私も他人の七転八倒を面白いと思ってしまうし。結局、他人の不幸とまでは言わずとも苦労や苦悩は蜜の味なのか。生きている限りどんどん、何もかもがコンテンツになっていくな、という気がする。良し悪しは分からない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?