見出し画像

掌編小説『ただよりこわいものはなし』

 ある日のことだ。
 私はいつものように、広場の片隅に屋台を設置した。人の姿はまばらで、それぞれが思い思いに休日の昼下がりを楽しんでいる。
 私が商品を陳列していると、高級そうな衣服を身にまとった、恰幅かっぷくの良い男がやってきた。後ろをついて歩く使用人と思わしき青年は、気づかわし気に主人の額に浮かぶ汗をぬぐっている。
 その日初めてのお客とあって、私は張り切って接客に臨んだ。
「ようこそいらっしゃいました! さて、どれになさいますか? おすすめはこちらの商品になります。見てくれは決して豪華なものではありませんが――」
 私は大皿に盛った小石をすすめた。
「そんな石ころはいらん! いいからそこの厳めしいやつをよこせ!」
 男は〈恐怖〉を指さした。それは黒っぽい鉄の塊で、取り扱いには細心の注意が必要なものだった。
「こちらでございますか。正直、あまりおすすめしませんが」
「かまわん! 他のものはどうか知らんが、わしなら上手く扱える。そら、くれてやろう」
 男は札束を投げてよこすと、鉄塊を鷲掴わしづかみにしてさっさとどこかへ行ってしまった。
「毎度どうも」
 私は札束をそばにある焚火たきびにくべた。せっかちな男だ。代価はすでに受け取っているというのに。それに、あのように汗ばんだ手でべたべたと触っていては、たちまち錆びて朽ち果てるに違いない。男ともどもそうならないことを祈ろう。
 呆れる私の前に、今度は若く美しい女が現れた。どう見ても窮屈きゅうくつそうな白のドレスを身にまとい、しきりに髪を指でいている。
「いらっしゃいませ。良いところにおいでになりました。たったいま目玉商品が入ったばかりでして、り取り見取みどりでございます。それにこちらはなんとタダだ」
 手のひらで大皿の石くれを指し示すが、女のお目当ては別にあるようだった。
「そんな地味な石はいらないの。それよりもそこのキラキラしたガラス細工をちょうだい。はやく!」
 女は〈羨望せんぼう〉を指さした。ガラス製の白鳥に、同じくガラス製の棘の生えた蔓が巻き付いたものだ。
「こちらでございますね。おっと」
 女はひったくるようにして私の手からガラス細工を奪い取った。女が白鳥を抱き寄せると、白いドレスに血が滲んだ。
「お勘定についてですが」
「いいわよ。いくら払えばいい?」
 女はこちらには目もくれず、手のひらに乗せた白鳥を大事そうに見つめている。
「お代はすでに頂戴しております」
 屋台の隅に置いた大皿にまた一つ、石が増えた。石はすでに小山を成している。
「あら、そう? じゃあ行くわ。早くみんなに自慢しなくちゃ」
 立ち去ろうとする女を引き留めて、私は小包を手渡した。
「なあに、これ?」
「そちらの商品と対になるものにございます」
「ふうん。まあいいわ、もらっといてあげる」
 女は中身を確かめもせずに、手に提げたバッグに小包をつっこんだ。中に入った〈妬み〉はいつか、女を雁字搦がんじがらめにすることだろう。あの白鳥のように。
 女をあわれむ私の前に、ひとりの少年が現れた。少年は無邪気な笑顔でこちらを見上げている。
「これ、おじさんにあげる。もういっぱい持ってるのに、パパやママが沢山くれるんだ。そこに置いてあるのと同じでしょ?」
 少年はオリーブほどの石を私に差し出した。それは私の屋台で唯一売れ残るあの石だ。
 溜まる一方で一つも減らない小さな石。私が欲しくて欲しくてたまらないこの石を、人間はいつも、いともたやすく手放してしまう。
 その理由は実に様々なものである。あるものは渇きを知らない欲によって。またあるものは、この少年のように無自覚に循環せんとする石の本質にき動かされて。
 少年が手に持った石を私に手渡そうとして、屋台にもたれかかった。ぐらりと屋台が揺らいだ拍子に、石の山が崩れる。石の一つが器から転がり落ちた。
「ああ、ついにあふれてしまった……」
「おじさん、早く受け取ってよ」
「おっと、そうだったね。その前にひとつお願いがあるんだが、この器からこぼれたのをおじさんに渡してくれないか?」
 少年は首を傾げた。
「自分で取れないの?」
「そうなんだ。悲しいことにね」
 そう。まったく嘆かわしいことに、私はこの石に触れることができない。いや、〈触れることをゆるされていない〉というのが正しい。
 少年は石をつかみ取ると、私に向かって差し出した。私は腰に提げた巾着を指さし、袋の口を少し広げて中に入れるように促した。
 少年は面倒くさがりもせずに、石を持ったまま屋台を回り込んで隣にやってきた。
「はい。どうぞ」
 少年が石を袋に入れる。カツンと小さな音が鳴り、巾着がわずかばかり重くなる。腰紐から伝わる重力。私の身体にこびりついた穢れが微かに薄れていくのがわかる。
「ありがとう。助かるよ」
「いいよ、これくらい。じゃあ、お仕事がんばってね」
 少年は自分の石を器に積まれた石の山の頂に乗せると、笑顔で手を振り、走り去っていった。
「お仕事か。言いえて妙だな」
 そっと手首を撫でる。まだ当分の間は解かれそうにない枷の冷たさに、私は思わず身をすくめた。


***


このお話は『無償の愛を〈得難いもの〉にしてしまうのは常に己自身である』をテーマにして書きました。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

528,758件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?