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掌編小説(4)『サピロスの涙』

 ある貧しい村の鍛冶屋に、ユルという美しい娘がおりました。
 ユルはたいへんな働き者でした。
 早くに母を失くしてからというもの、家族の助けになればと、家事に加えて父の仕事もよく手伝いました。あかぎれの痛みに顔をしかめながら、焼けた鉄に槌を振るい、燃え盛る炎に石炭をくべるのです。


 真冬のある日、森の中にユルの姿がありました。
 昨夜、ユルが神様に祈りを捧げていると、空から降った青い光が森の中に消えました。ユルは光の正体を確かめにきたのです。
 ユルが光の落ちたあたりにつくと、そこには洞穴がありました。穴の大きさはユルの身長くらいあります。
 洞穴に足を踏み入れると、暖かい空気が凍えた体をほぐしました。何かが焦げたような匂いもします。
 薄暗い中を壁伝いに進むと、行き止まりに何かが埋まっていました。
 ユルは恐る恐る手を触れました。表面は鏡のように滑らかで、ほのかに熱を帯びています。ユルは薪を縛るためのロープと斧を使ってその何かを掘り起こし、外に引きずり出しました。太陽の下で見ると、それは信じられないほど大きなサファイアであるとわかりました。
 更に驚くべきことに、サファイアは膝を抱えて眠る小さな男の子でした。


 目を覚ました男の子に、ユルはサピロスという名前を付けました。そして誰にも見つからないように、サピロスを洞穴に隠しました。これほど巨大な、ましてや世にも珍しい【意思を持つ宝石】の存在が誰かに知られれば、きっとよくないことになると、そう考えたのです。
 父の目を盗み、ユルは毎日のようにサピロスのもとを訪れました。サピロスはどこへ行こうともせず、ユルの言いつけを守り洞穴に住み続けました。
 ユルはサピロスを実の弟のように可愛がりました。
 ユルはサピロスに、知りうる限りの寓話や神話を話して聞かせました。サピロスはとても賢い子どもで、一度聞いたお話を決して忘れることがありませんでした。


 ある日、サピロスのもとに浮かない表情をしたユルがやってきました。
 ユルはサピロスに、この土地を統べる領主のもとに嫁ぐことと、もうここには来れないことを告げました。
 サピロスは特に悲しむこともせず、姉のように慕うユルがいつかおとぎ話で聞いたようなお姫様になるのだと喜んでさえいました。サピロスがユルにそのまま伝えると、ユルは悲しそうに笑いました。


 ユルが去って半年が経ちました。
 ユルがいなくなったことで退屈したサピロスは、ユルの言いつけを破り、彼女が暮らしていた村にやってきました。ユル以外の人間は恐ろしいとは聞いていましたが、それがかえって彼の興味を引いたのです。
 ユルの話を元に、サピロスはまず鍛冶屋にやってきました。ユルの父親に会おうと考えたのです。
 しかし先客がいたため、サピロスは工房の裏に身を隠しました。すると中から話し声が聞こえました。
「ユルには本当に可哀想なことをした。卑劣な領主。あいつは初めから俺たちが税を納めることができないとわかっていた。だから、税の対価としてユルを娶ると言ったんだ」
「ユルは力のある巫女だった。半年前の冬至の夜、彼女の祈りは聞き届けられたはずだった。神からこの窮地を脱するための何かを授かるはずだった。それなのに——」
 サピロスは全てを覚りました。
 ユルはサピロスを領主に差し出す代わりに、その身を献上したのです。
 サピロスは人目もはばからずに教会を目指して走りました。村で一番背の高い塔があったからです。
 そして梯子を登りきると、塔の上から身を投げました。


 何かが砕ける大きな音を聞いた村人たちは、教会前に集まりました。
 教会前の広場は大小さまざまなサファイアで埋め尽くされていました。
 村人はサファイアを売った金でユルを取り戻し、更には村を買い上げることができました。
 とりわけ大きな破片は【サピロスの涙】と名付けられ、ユルの手によって首飾りになりました。
 首飾りは当代の巫女に代々受け継がれ、時を経た今もなお村を守っています。

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