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短編小説(1)『ホロウェイ(後編)』

「それにしても、随分と遅い到着じゃないか。ウーフィ」
 燭台公は腰に手をあて、宿題を忘れた生徒を咎める教師のように狼を見下す。骸骨少年は恐る恐る、目の前の燭台頭に声をかけた。
「あの、あなたが燭台公ですか? ぼく、風船みたいな女の人にあなたに会うように言われて。ぼく、道に——」 
「なんだって? 君が少年を連れてきたわけじゃないのか」
「道に迷ったんです。ここに来れば……貴方に会えばどうすればいいか教えてくれるって」
「見つけ出せなかった? 道先案内狼ともあろうものが? 冗談はよせ」
 燭台公は狼を見据えたまま冷笑した。
「燭台公、ぼく——」
「言い訳は聞きたくないな。ウーフィ」
「あの——」
「煩い子だ」
 燭台公がゆらめくようにして姿を消した。直後、音もなく骸骨少年の隣に現れた燭台公は、五指の先でしゃれこうべを鷲掴み、軽々と持ち上げた。
「私は今、彼と話をしているんだ。少年」
「離して!」
「悪い子にはお仕置きが必要だと思わないか?」
 燭台公の蝋燭の火が、オレンジから青に、そして濃い紫に変色する。灯火は荒々しい炎となり、中からは火花とともにバチバチと鈍い破裂音が生じた。骸骨少年は風船女の忠告を思い出した。
「まあいい」
 燭台公がしゃれこうべを手放す。落下した骸骨少年はいつの間にか現れた椅子に尾てい骨から着地した。
 燭台公の蝋燭の火が、元のオレンジ色に戻ってゆく。
「それにしても待ち侘びたよ、少年。本当さ。ずっとずっと待っていた。君が死に、君が生まれたあの日から」
 燭台公は骸骨少年の頭蓋をそっと撫でた。光沢を持つ側頭部には、月面のクレーターのように浅く凹んだ箇所がある。燭台公は窪みの縁を親指でなぞった。
 骸骨少年は遠慮がちにたずねた。
「ぼくのことを知っているんですか? ぼくはいったい……なんなんですか?」
「今は何も言うまい。答えは自分で拾い集めるんだ。少年。そうでなくては、面白くないだろう?」
 燭台公は頭部に立てた蝋燭で人差し指に火をつけると、頭上にくるりと円を描いた。すると、森中の木という木に火が灯った。それらはたちまち大きな炎となって燃え盛る。周囲の景色はオレンジ色に染まった。
「では、あらためて。アンハッピー・バースデイ。少年」
 燭台公が指揮棒に見立てた人差し指を振ると、白樺の合唱団がごうごうと歌い始めた。


  哀れな哀れなしゃれこうべ
  べそかきべそかきやってきた
  やさしいやさしい燭台公
  自慢のローソク灯してやれば
  ほらほらごらんよく見える
  失くした過去が見えてくる

  幸か不幸か 誰から救うか
  選ぶはひとり? それともふたり?
  答えは弱虫 胸のうち
  アンハッピー・バースデイ トゥー・ユー
  アンハッピー・バースデイ トゥー・ユー


「君にとっておきのプレゼントを贈ろう。さあ、火を消してごらん」
 燭台公は火がついたままの人差し指を骸骨少年の口元に近づけた。
 胸に抱えた虚しさがそうさせたのか、肺を持たないはずの骸骨少年は深い深いため息をついた。
 指先の火が消える。同時に、木々の炎も、燭台公の蝋燭の火も、月明かりさえも掻き消えた。
 世界は闇に包まれた。





 遠くからなにか聞こえてくる。それは少しずつ音量を増してゆく。
 声が聞こえる。誰かと誰かの喚き声。男と女のなじり合う声。
 光の点が見える。少しずつ大きくなる。
 遠い夜空に浮かぶお星様のような小さな光が、近づいてくるにつれ二本の梯子を象る。それは扉から漏れ入る光だった。
 骸骨少年が手を伸ばすと、両開きの扉が抵抗なく開いた。





「きゃあ!」
 少女が驚いたのも無理はなかった。自室のクローゼットから突然、何者かが現れたのだから。
「ちょっと、あんただれよ! どこから入ったの!」
 事態を飲み込めていないのは、骸骨少年も同じだった。
「ごめんなさい! あの、ここはどこですか?」
「あんた、ふざけるのもいい加減にしなさいよ。ハロウィンだからって、そんな格好で人の家に忍び込むだなんて。やり過ぎよ!」
 骸骨少年は憤慨する少女を刺激しないよう注意しながらあたりを見渡した。
 部屋は薄暗く、室内を照らすのはテレビモニターの発するたよりない光だけだ。
 小さな部屋の隅に置かれた小さなベッド。マットレスの上に立つ少女は、腰に手をあて骸骨少年を見下ろしている。
 窓から外を見る。日はとうに暮れており、か細い街灯の明かりが道路をオレンジ色に染めている。
 骸骨少年はもう一度、部屋の中を見渡した。
 壁に貼られたポスターや調度品に統一性はない。
 星空を駆けるユニコーンの隣では、赤いユニフォームを着た野球選手がボールをバットの芯で捉えている。ほかには、クマのぬいぐるみとラジコン戦車。ロケットの模型。
 ロケットは作りかけのようだ。上半分が塗装されないまま、薄いグレーの素地がむき出しになっている。発射台には、〈ぜったいにさわらないで! ジャック〉と書かれた紙がセロテープでとめられていた。
 注意書きに見覚えがある。骸骨少年はそんな気がした。
 ——ガシャン!
 壁の向こうで、なにかが割れる音がした。
「もう一度言ってみろ、このブタ女! 誰のおかげでそんなになるまで飯が食えると思ってやがる!」
「何度でも言ってやるわ、このヒョロヒョロ男。大した稼ぎもないくせに、偉そうにするんじゃないよ!」
「だったらお前がなんとかしろ! 死んだガキの保険金があるんだろう。俺がそんなことも知らない間抜けだと思ってやがるのか。コブ付きを拾ってやったんだ。恩を仇で返すようなマネをするんじゃねえ!」
「よくもそんなことを!」
 言い争う声に混じって、何かが壁に激突したような鈍い音がした。
「ちょっと来て」
 少女が骸骨少年の手をひく。
 窓辺に足をかけると、少女は開け放った窓から外に飛び降りた。骸骨少年が慌てて駆け寄る。
 骸骨少年が外をたしかめると、少女は何食わぬ顔でそこに立っていた。部屋は一階にあったのだ。少女が骸骨少年を手招きする。
 合流した二人は枯葉の絨毯の上を並んで歩いた。秋はとうに過ぎ去り、街は冬の気配に包まれている。木枯らしが吹く。少女が寒さに身震いする。
 俯き加減で歩く少女がなにかを蹴飛ばすように足を振り上げた。
「弟が事故で死んでからずっとああなの、あの二人。まあ、ちょっとひどくなったってだけで、あの人たちがケンカしない日なんてないんだけどね」
 少女が骸骨少年を振り返る。
「で、あんたはいったい誰なわけ? リバーにしては背が小さいし、ジーンはあんたより太っちょのはず。それにあんた、ずいぶんリアルな——」
 少女はようやく気がついた。骸骨少年のその姿が、仮装などではないことに。
「なに……あんた、なんなの」
 少女が後ずさる。
「それが、ぼくにもわからなくて」
 骸骨少年は少女のもとに歩み寄ろうとした。
「こないで!」
 恐怖ですくむ足をやっとのことで地面から引き剥がし、少女は逃げた。骸骨少年も後を追おうと慌てて駆け出すが、その脳裏では少女の後ろ姿をいつかの誰かに重ねていた。少女の背が家の角に消える。

 二人の追走劇はそれほど長くは続かなかった。
 道路に飛び出した少女がヘッドライトに照らし出される。耳をつんざくようなクラクションの音。驚いた少女が目を見開く。深紫の虹彩の中心で、瞳孔が収縮をみせる。
「お姉ちゃん!」
 骸骨少年は少女を突き飛ばした。
 少女を突き飛ばした勢いのまま走り抜ければ、あるいは自動車との衝突を回避できたのかもしれない。
 それでも、在りし日の少年が足を止めたのは、後ろ暗い望みがあったから。
 骸骨少年は全ての記憶を取り戻した。




 
 二人で走った。凶暴なハスキー犬から逃げていたんだ。
 寒い日だった。街中にカボチャやら魔女の飾りなんかであふれる、様々な仮装をしたこどもたちがそこらの家々で菓子をねだる年に一度のお祭りの日。
 ぼくにとっての誕生日で、一年で一番つまらない日だ。
 ぼくとお姉ちゃんはそのころ、何もかもが気に食わなくて、ポケットに常備した小石をそこら中に投げ散らかしていた。
 破れたシャッターのコインランドリー。店の前にいた犬に石をぶつけた。犬は狂ったようにぼくらに吠えかかった。
 老いぼれ犬はしつこく追いかけてきて、足の速かったお姉ちゃんが少し先の車道でぼくを振り返った。
 トラックが目に入った。運転手がお姉ちゃんに気づいた様子はない。手元の携帯端末の操作に夢中のようだった。
 ぼくは走った。なにか考えがあったわけじゃなかった。
 いや、あるにはあった。お姉ちゃんを助けたい気持ち。それに……。
 お姉ちゃんを突き飛ばした。トラックは迫っていたけど、ぼくの足はとまった。
 逃げなくちゃ。そんな思いとは別に、走馬灯のように頭をよぎったのは、酒臭い怒鳴り声や殴られたときの痛み。先の見えない不安やどうしようもない現実と、なにもできない自分へのいら立ちだった。そうしたあれこれがぼくの足を鉛のように重くした。
 ほんの一瞬、毛布の中で握ったお姉ちゃんの手の温もりを思い出しはしたけれど、甘い誘惑には勝てなかった。
 ぼくは楽になりたかったんだ。





「ジャック、ジャック!」
 骸骨少年の頭蓋骨を抱いて、少女は叫んだ。
 自動車はすでに走り去ったあとだった。たちの悪い悪戯だと思った運転手の男は、散々悪態をついたあとにこう言った。
 ——それにしても、よくできた人体模型だ。本当に動いて見えたからな。そこだけは褒めてやるよ。
 ジャックが意識を取り戻した。
「ああ、お姉ちゃん」
「なによあんた、こんなになって帰ってきて」
「ぼくがわかるの?」
 少女が側頭部にある窪みを親指でなぞる。
「最初は驚いたけど、頭の形ですぐに気がついたわ。これはあの男にウイスキーの瓶で殴られたときのものね」
 このような姿になっても気づいてくれたことに、ジャックは胸がいっぱいになった。
「初めてあの男が家にやってきたとき、知らない大きな男の人が怖くて泣いたぼくを、持ってた酒瓶でなぐったんだ」
「そうよ。あんたが喚くせいで、わたしまでぶたれたんだから」
 少女が自分の頬をさする。
「さっきも言ったけど、あんたが死んだあとも散々だったわよ。ママもおかしくなって、毎日毎日あいつとケンカして。あんたの事故だってわたしのせいだって言って、髪を掴まれて引きずりまわされて」
 少女の声がかすかに震える。
「あんたは死んで楽になろうとしたのよ。わたしひとりを置き去りにしてね。辛いことまでわたしに全部なすりつけて」
 図星をつかれたジャックはうろたえた。
「ぼく、そんなつもりじゃ——」
「言い訳は聞きたくないわ。ジャック」
 涙に濡れる瞳の奥に、姉の激しい怒りを見た。
 姉との邂逅でひと時の安らぎを得たジャックだったが。姉は決して自分を許しているわけではないのだと悟った。
「どうだい。悪夢のようだろう」
 いつの間にか、少女の横に燭台公が立っている。
「ようやく記憶が戻っても、これでは君も浮かばれまい」
 燭台公は地面に散らばるジャックの骨の一つを蹴り飛ばした。
「彼女が受けた苦しみ。孤独を理解したか? 少年」
 少女に燭台公は見えていないらしい。眼球のないジャックの視線を追うことができるはずもなく、氷のように冷たい視線を今もジャックに注いでいる。
 そんな少女に対して、燭台公は恭しく一礼した。
 まるで貴族がその国の女王かなにかに拝謁するときのようだとジャックは思った。
「では、戻るとしよう」
 燭台公は頭上にある蝋燭の火をつかって人差し指に火を灯す。そして肘から先をびゅっと振った。ジャックは再び暗闇に飲み込まれた。
 しゃれこうべが膝の上から忽然と消えても、少女は取り乱しはしなかった。頭蓋骨が消失する直前に聞こえた声が、少女にこう告げたからだ。
「ジャックのことはお任せを。もちろん、貴女の望みは十分に理解しております」





 ジャックは灰色の世界に帰還した。
 バラバラだった骨格も元通りの姿で、砂埃の中から滲み出るように現れた。
 先に戻っていたのであろう燭台公は、ひと仕事を終えていた。
燭台公の足もとに、ひしゃげたランタンがころがっている。散乱したガラス片に混じって、白い毛のようなものも見える。そういえば、ウーフィと呼ばれていた狼の姿がみえない。
 ジャックはランタンの残骸から目をそらした。
「言ったろう? 悪い子にはお仕置きが必要だと。彼は言いつけを守らなかった」
 言葉も出ないジャック。沈黙の意味を取り違えたのか、燭台公は気にするなとばかりにジャックの肩甲骨を叩いた。
「心配はいらない。じきにまた元に戻るさ。それより、少し歩こうか」
 燭台公とジャックは白い砂の上を歩いた。

 やがて崖に行きついた。目の前に現れたのは、気の遠くなるほど大きな大きな穴あった。向こう岸が霞んで見える。
「良い眺めだろう?」
 穴の淵にふたりは並んだ。
「あの……ありがとうございます。燭台公」
 ジャックは素直に感謝を伝えた。自らの選択が招いた姉の境遇を思うと心が痛んだが、記憶を失ったままでは姉の存在そのものを永遠に忘れてしまっていたことだろう。
 そんなジャックの謝意に、燭台公は冷ややかな反応をみせた。
「いや、礼には及ばない。君の礼など欲してもいない。悪いがこれまでの全ては、君のためにしたことではないんだ」
「え?」
 戸惑うジャックは燭台公を見上げた。風に揺れる蝋燭の火の色が、徐々に深い紫色に変わっていく。
「初めて私のもとにやってきたとき、君は私に《ぼくは何者なのか》と、たずねたな」
「はい」
「今こそ教えてあげよう」
 燭台公はジャックの耳元で囁いた。
「君は裏切り者だ」
 燭台公はジャックの背を押した。よろけるようにして、ジャックは空中に放り出された。
「私からの最後のプレゼントさ。君もあの方と同じだけ、終わりなき孤独を味わうんだ。少年」
 燭台公に灯る深紫の炎が奇しく踊る。
 ジャックには、燭台公が泣いているように見えた。
 ジャックは音もなく、どこまでもどこまでも落ちていった。


***


このお話は、10月31日の『ハロウィンの日』にちなんで、『悪い夢』をテーマにして書きました。

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