見出し画像

自分の名前を音韻目線でみたら、幸せな芸名、ひらめいた

noteの投稿をはじめてからというものの、私のことを文章から知ってくださる方も少しいらっしゃるようで。今日は自分の名前の話をしてみんとて、するなり。

私の名前は、苗字も下の名前も合わせて二文字で、堀桂。ほり、かつらと読む。

たくさんの土と山に、一本の木。それを、屈(かが)み出す=掘る、という名前。下の名前の桂というのは、月桂樹から来ているそうだ。切ってもすぐに再生されるという木で、その花言葉は「栄光」「勝利」「栄誉」。古代ギリシャでは、太陽神アポロンを象徴した木とされているらしい。なんと神々しく自然に溢れた温もりある名前だろう(自分で言う)。漢字で、目で見てとれる雰囲気も私は大変気に入っている。

昔は、少し周りの子とは違う響きの違和感と、いわゆる “可憐な女の子らしさ”のようなものを感じられず、好ましく思えなかった頃もあった。ただ唯一、光る珍しさ。私は異性では出逢ったことがあるものの、女性の同姓同名を未だかつて見たことがない。(もし、いらっしゃればお会いしたい…切実に)違和感とは言い換えれば印象的なことであり、一度伝えれば覚えて貰えるような特別な響きなのだ。

親からもらう初めてのプレゼントが名前と、誰かの言葉を思い出す。自分のことを示す最小単位でありながら、はじまりから最期までの最大の心強い味方、とも言えるのかもしれない。

そんな名前が二文字であることで、私は少し困りごとがちょうど、二つだけあった。

ひとつには、「初見で、どう読むのかわからない」ということだ。どちらも単体、苗字でよく見る漢字である為、どう読むのか?とよく尋ねられる。煩わしい訳ではないのだが、下の名前はよく「ケイ」さんと言われることがある。その響きは、私が祇園のとある老舗サパークラブで働いていた学生時代に付けられた芸名だった(忘れもしない、ジブリの「千と千尋の神隠し」の如く、今日から「千」ならぬ「ケイ」ちゃんね、と言われた)。深夜〜明け方に飲んで歌って、毎日全力でくたびれていた日々の雰囲気をなんとなく思い出すのだ。しかしながら音楽経験ゼロの私に、その道の仕事を与えてくれたありがたさ。恩に着る、エンガチョ、きった。当時は毎日が刺激の連続だったなぁ。故にもちろん「ケイ」ちゃんと呼ばれてもいいと思ってはいるものの、やはり元の名を取り戻した今の私には、「カツラ」という名前でお願いしたいところだ。

そしてふたつ目には、名前のレイアウトの難しさである。私は広告代理店で求人広告の営業として勤めていたこともあり、某ナビ等の掲載写真を自前で撮影してはPhotoshopで編集していた為、少しばかりだがソフトを扱うことができる。会社を退職してからも、ライブフライヤー、CDのジャケット、盤面、ブックレット、グッズ云々にと使用する機会は意外と多いもので、過去の布石も役に立つものだなぁと思う。

本名が変わっているから覚えて貰えるだろうと、この名前のままで音楽活動をしているのだが、他の共演者の方々は、大体が三文字以上。ツラツラ漢字で並べば、なんたる違和感。

堀桂

堀 桂

堀 桂

うーん、これは…

左右にパーンと振り切れば、もはや寂しさすら感じる始末。(なぜ小学生時代にもらったこんなハンコを今でも…物持ちが良いといっても、本質がそうとは限らない)

もうどこを軸に揃えようとも正解が見つからない、迷宮入りである。


私の名前は、どうすればいいバランスを持てるのだろう。

「いっそ、苗字か下の名前をひらがなにしてみたら?」

と度々言われたのだが、なんだか本来の漢字の持っている良さまでもバラされてしまう気がして、あまり気が進まなかった。

ほり、かつら  ほり、かつら

何度も自分の名前を頭に浮かべた。仕事、好きなもの、特技、色々。こんなにも自分の名前を考え唱えたことなどあっただろうか。

私は歌を作る時に、本来はない言葉を作ったり、当て字で表現したりすることがある。その言葉の音のバランスから、この漢字、素敵だな、こんな言葉があればいいな、で造語をつくることが良くあるのだが、私の名前はどうだろう?となんとなく想像してみた。

まず「ほ」ー ほり、だと同じ読みの漢字が少なかった為、一文字で見てみる。方、保、帆、舗、捕、墓…雲行きが怪しくなってきたので、良さそうなものを選ぶ。

穂、いいな、穂を実らせるなんていうのもいいかもしれない。仮にこれを付けてみよう。

次は「り」ー 李、理、莉、里。
いいな、里。「穂、里に実る」なんていうのもいいかもしれない。それに近所には同じ漢字を含む地名がある。

「か」ー 家、可、火…いや、何よりも歌、だろう。

そして「つ」と「ら」。ふと思い浮かぶ、面、そして「連なる」という言葉。

歌、連なる。いい響きだ、私の生き様のようで満足感がある。そして、「穂」は、もしかすると「歩」とすればいいかもしれない。

「歩く里には、歌、連なる」

これだ。すぐに答えのピースがピタリとハマった。自分の子どもが持てるのなら、名前を考えることというのは何かこう、他にはない楽しみや快感があるのかもしれない。誰かと愛の示しの答えを導きだす、来るか来ないか分からない未来を待ち遠しく思った。

歩里歌連

ふふふ、憧れの四文字。
バランスの整った名前だ。

作詞やライティングをする人として芸名なるものを持ってみてもいいのかもしれない。自己紹介のつもりが自分の名前の思わぬ可能性を見つけて、密かに心を躍らせるのだった。

この記事が参加している募集

自己紹介

名前の由来

サポートいただけたらfutarinoteの活動費、もしくは堀がおいしいチョコを頂くお金にあてさせていただこうかと思います。