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育花雨や去る日遠くに梅こぼるる

女三十、この年齢ともなると結婚などしていなければ、家族と集まる機会は少なくなるものだ。あるとすれば、身内の法事でひっそりと、週末にほんの数時間ほど顔を合わすくらいだろう。

それが今日だった。父方の祖母が他界して一年経った一周忌。久しぶりに薄ら雨の中、早朝から三重県へと車を走らせている。

私の家系は、父、母、兄、私の4人家族。ありふれた、その辺にまぁよくある家系だ。しかし仲がいいのか悪いのか、よく分からない話を各々理解せぬまま口々に言いあっている(驚く勿れ、私がその中では一番無口なのである)。 それもそのはず、O型、AB型、A型、B型が揃い踏み。「ブラッドコンプリ〜ト〜」などと、ドラえもん紛いのアニメ声を大にして喜びたいところだが、実際はLINEやメール、電話連絡は要件がなければ皆無。家族LINEなど、もちろん存在しない。幼少期の記憶にある数少ないの旅行のときには、全員の意思がバラバラで終始誰かしらが不機嫌なのだ。ソロプレイでしか輝けない一族、ここに極まれり。ただ、一番若年の私がこの歳ともなれば、大人としての振る舞いや、一歩譲る、みたいな姿勢をそれぞれが意識できるようになるものだ。

とはいいつつ、誰も聞いていなくとも、とめどなくウンチク祭りの父に、話の主語が行方不明の母、それに対して巧妙に応えつつ、これ食べたい、を奢らせる…甘え上手で人垂らしな兄、そして、ここぞとばかりにキレ味強めのコメントどころを待ち続ける、父予備軍の私。感性がバラバラならば意思疎通せずとも、別々にいい立ち位置に回れるのかもしれないな、などと思うのだった。

ー やさしく育花雨、降る中で

いつもの車内、いつもの場所へ向かう。
暖かく、外ではコートがいらない日。ずっと霧のような雨と、ぽつぽつ小雨が代わる代わる降っていた。その情景を見て思い出した「育花雨(いくかう)」と言う言葉。読んで字の如く、花を育てる春の雨という美しい表現である。雨と聞くと少しだけ鬱々としたイメージがあるけれど、春に柔らかく降り注ぐ雨は、木々や野山に花の彩りを恵む。今日はまさに、そんな雨だった。

私が2019年からやっているfutarinote という音楽ユニットでも、この言葉をタイトルにした楽曲がある。高校生の頃、早くに亡くなってしまった母方の祖母は毎年桜を楽しみに、はるばる徳島から京都まで来てくれていた。神社仏閣から街の中までめいっぱい春を満喫し、旅の締めには高島屋のうなぎ屋で、私も兄も大好物のうな重をご馳走してくれる(その後知るのだが本当は、祖母はうなぎが苦手だったらしい)。人一倍の器量と優しさで昔は看護師をしていたのに、呉服屋へと大転身、その最期まで気を払われたしっかり者の体には、一切悪いところがなかった。そんな彼女は突然、飲酒運転のドライバーに命を攫われこの世を去った。私はそれと同時に、また一緒に過ごそうねと言った春の約束を永遠になくした。その祖母へ宛てた曲が「育花雨」だ。

私が若い頃に思っていた「亡くなる」感覚というのは、お別れをすれば全てが永遠に消えてしまうような気がして絶望だった。だけど、時間が経って思う。実家から住まいを移せば、自分の親や兄弟のことを思う機会は本当に少なくなる。人が亡くなった後には、その後の毎年の法事で故人に思いを馳せ、身内同士で顔を合わせては近況を話す。人は死んでしまった日に、命の繋がりある人たちと集まる時間を与えてくれているのかもしれないな、と。そしてその命の輪の中に、時を経て少しずつ小さな命が増えていくこともある。はじめは悲しい涙でも、いつかはきっと新しい花を育てる雫となると、この気持ちを喩えて楽曲を作ったのだった。

父方の祖母はもうそろそろかもしれないということを言われていたから、覚悟みたいなものがあった。そこから半年くらいも長く生きてくれたのだが、やはりこのコロナ禍の中でお見舞いですら会うことが難しく、夏頃に一度会い「また来るからね、待っててね」と手を握って話をしてから、秋も、冬も会えずそのまま。またしても果たせない約束だった。

一周忌が終わり、私たちは祖母が暮らしていた家へ行った。昔は酒・たばこの商店をしていたこともあり、倉庫や、二階まであるような割と大きめの一軒家だ。しかしどんなに広い家でも、誰も住んでいない場所というのは、どこか全体が朽ちた木のように空気も寒々しい。静かに時が止まってしまったようだった。家全体の空気の入れ替えをと、扉や窓を開けるとようやく外の音が聞こえる。少しずつ時間を取り戻していくのがわかった。外の気温とは違って、家の中はあまりに寒く、私は身震いしながら聞く。

「あー、寒い、寒い、寒くない?」 

「寒いか?」
「寒いね、やっぱり外よりも日が入らないからね」

父、母が口々に言い出す。祖母がまだ生きていた頃から、冬にこの家に来ればいつもこんな話をしていたっけ。夜は仏間で書経をしていた祖母が、すぐに二階から毛布や、ヒーターやら持ってにこやかにやってきてくれたな、と懐かしくなった。そうして仏間の中まで声が通り賑やかになると、家の空気はようやく今に追いついたようだった。

お線香を上げ、お燐を鳴らして手を合わせる。

「ただいま、一年見守ってくれてありがとう。爺ちゃんと楽しくやってるかなぁ」

祈りながら、頭でそう唱えた。

家の中を見て回ると生前の頃まま、立てかけられた写真や小物が目に入る。ひとつひとつ眺めていくと、ちょうど仏様の正面奥に一つ、ぽつりとある枠付きの言葉に目が留まる。

悠々自適

衆議院議員…の誰某の名前がある。(どなたなのか…ご存知の方がいれば教えていただきたい)

きっと、祖父は国家公務員だったから、関係の方からのものなのだろうか。

悠々自適。自然に、世の中や周りに縛られず、離れて静かにゆったりと暮らしていることだという。なんとなく見入ってしまう言葉に、祖母が天国での今の暮らしを知らせてくれたようだった。私は少しだけ話ができたようで、半分、とまではいかないくらいだけど、最後の約束を果たせたような気がした。

家族で食事を済ませ、晩ご飯の買い出しをする。京都へ戻る頃にはもう夕暮れが美しく、雨はすっかり止んでいた。

「今日の晩、すき焼きで、他の食材は買ってきてくれるねん」

兄は彼女と食べる為の松阪牛(もちろん父の奢りである、私もちゃっかり乗っからせてもらったが)を保冷バックに大事そうに乗せて、帰り道を急ぐ。その車の窓から覗く遠くの景色は日に照らされ、たくさん梅の花がほころび始めている。



春の恵みをもたらす育花雨はそっと、私に笑顔を咲かせたのだった。




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