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一言でいうと、何の研究をしているの?<後編>ーー東大出身の理学博士が素朴で難しい問いを物理の言葉で語るエッセイ「ミクロコスモスより」⑯

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A:でも宇宙の初めのことなんて調べようもないじゃん。

B:確かにそうだけど、今の話で疑いの余地がある部分はなかった?

A:というと?

B:粒子と反粒子は互いに打ち消しあってしまう、すなわち、性質が完璧に鏡写しになったように対応していると思っているわけだけど、本当にそうだろうか?

A:ほう

B:実は粒子と反粒子の間には我々の知らないようなちょっとした違いがあって、それによって反粒子の方が少なくなってしまった、というシナリオは考えられないだろうか?

CP対称性の破れ

A:なるほど? ちょっとした違いというと?

B:それが、かの有名な“CP対称性の破れ“ってやつだ。

A:有名? 聞いたこともないけど……

B:Cは「荷電共役」、Pは「パリティ」といって、それぞれ粒子の電荷(粒子が帯びている電気の量)を反転させたり座標を反転させたりする数学的操作のことなんだ※1

A:数学的操作? どういうこと?

B:要は、「粒子と反粒子を入れ替える」みたいな直感的な行為を、数学の言葉で表現できるようにしないと、それ以上深く考察することが難しいわけだ。
「CP変換を施す」っていう数学的な計算は、直感的な言葉に置き換えれば「粒子と反粒子を入れ替える」ことに対応するわけだけど、その入れ替えが「実際のところなにをしたのか」を一段深いレベルで教えてくれているんだ。もし粒子にCP変換を施しても反粒子にはならないってことが分かったら(つまりCP対称性の破れが存在したら)、粒子と反粒子は電荷と座標だけじゃない、別の性質が異なっているということになる。

※1 「粒子に対して数学的操作を施す」というのは不思議に思えるかもしれません。
物理はあくまで自然界を数学で記述する学問なので、「粒子」も当然数学的対象として扱います。
電荷や座標を「反転させる」という行為も数学的な操作です。電荷を表す変数をqとすると、qを-qに置き換えることが電荷の反転(C変換)であり、三次元空間内での位置を表す変数を(x,y,z)とすると、これを(-x,-y,-z)に置き換えることが座標反転(P変換)です。

B:そこで登場するのが、「CPT定理」ってやつだ。さっきのCP変換に加えて、時間反転に相当する「T」という変換をすると、CPT対称性の破れは存在しない、ということが数学的に証明されている※2
A:へえ……

※2 「数学的に証明されている」というのは、「少なくとも理論の枠組みの中ではそれが正しいと思って矛盾は生じない」ということです。ただし、物理として正しいかどうかは、実験的に実証しないと何も言えません。そのため、これを検証しようとしている人たちがCERN(欧州原子核研究機構。スイスにある世界最大規模の素粒子物理学の研究所)にもいます。

T対称性の破れを見つける


B:CPTが保たれていて、CPが破れているという状況を考えると、Tも破れていることになるはずだ※3。つまり、T対称性の破れを見つければ、CP対称性の破れを見つけたことにもなる。

A:はあ……

※3 厳密な理論には踏みこみませんが、直感的に理解するためにCやPやTを、対称性が保たれる場合に(+1)、対称性が破れる場合に(-1)の値を取るものだと思うと、この議論が納得できると思います。

B:じゃあT対称性の破れ、すなわち、時間の進み方を逆転させたときに元と変わってしまうような現象ってなんだろうか?

A:……エントロピーなんちゃら?※4

※4 Aは何気なく知っている単語を出しただけかもしれませんが、これは重要なポイントです。エントロピーは、原子が数えきれないほど集まった系で定義できる量で、エントロピー増大則は非平衡な系が必ず平衡に向かうことを表すものです。一方、今回の「電気モーメント」のような量は、粒子一個で定義され、時間にも依存しないものです。

B:それも確かにそうだね。しかし、ここでは素粒子を1つだけ持ってきて実験を行うような場合を考えているから、もっと基礎的な量だ。

A:基礎的な量?

B:例えば素粒子はスピンを持っている(「自転」と同じようなもの)けれど、時間を反転させたら逆回転になるよね?

A:確かに。じゃあ時間反転対称性を破っているわけだね。

B:そう。磁場も、電流が円状に周回することで作られるから、時間反転すれば逆になってしまうよね。

A:確かに。

B:電場は、電極を置いて電圧をかけているだけだから、時間反転しても何も起こらないね。

A:そうだね。

B:じゃあ、スピンと磁場とか、スピンと電場が相互作用していたらどうだろう?

A:相互作用?

B:たとえばプラスの電荷と電場が相互作用すると、電位の高いほうから低いほうに向かって移動するよね。これはつまり、電位の高さに比例したエネルギー変動があるということだ。

A:なるほど、じゃあスピンと磁場とか電場の間にも同じようなことがあるってこと?

B:磁石の元になっている磁気モーメントというのは、まさにスピンと磁場の相互作用を表しているんだ。

A:なるほど、磁気があるなら、電気モーメントもあるということ?

B:それが問題で、磁気モーメントの場合はスピンも磁場も時間反転で逆になるから、その相互作用は時間反転対称性を破ることがない。だけど、電気モーメントがもし存在したら時間反転対称性を破ってしまう。だから本来「ない」と思われていた。……50年前まではね。

電子モーメントの存在を探す

A:50年前まで?

B:ちょうどパリティの破れやCP対称性の破れが見つかり始めたころに、素粒子の電気モーメントも存在するはずじゃないかと思って研究を始めた人たちがいた。それからいろんな人たちが実験をしているけれど、未だに見つかっていないんだ。

B:そう思いたくなるけど、だとしたら無いことの根拠が必要になるわけだけど、今のところはっきりと存在しないとは断定できないんだ。

A:どういうこと?

B:素粒子の標準模型でも電気モーメントの大きさが計算できるんだけど、今の実験技術では到底見つからないくらい小さいことになっている。

A:じゃあ見つからないってことじゃん!

B:でも一方で、我々がここに今存在しているっていうことは、標準模型では説明が付かない何かが存在するはずだよね。その「説明が付かない何か」によって電気モーメントが大きくなることだって考えられる。

A:なるほど……

B:ちなみにここまで「電気モーメント」と呼んでいたものは正確には「永久電気双極子モーメント」、あるいは英語名 electric dipole moment の頭文字を取ってEDMと呼ばれるよ。

A:じゃあ、そのEDMを探すっていうのがやっている研究?

B:そういうこと。

Frを作って、レーザー冷却して、測定する、みたいな?

A:そんなんどうやってやるの? 地下室に籠って粒子をずっと見つめてるとか?

B:偏見がひどいな。さすがにそんなのでは見つからないほど小さいから、もっと込み入ったことをやらなきゃならない。
まず、探しているのは電子のEDMだけど、電子は電荷を持っているから、電場をかけたら加速していっちゃうから素直には測れない。

A:ふむ

B:だから、原子とか分子で測定して、その中の一つの電子のEDMを間接的に調べようとしている。

A:それって効率悪そう……

B:それが、むしろ好都合なんだ。原子だと、原子番号が大きくなれば大きくなるほど電子の運動が激しくなって、いわゆる相対論効果ってやつが効いてくる。分子だと、原子間で強い電場が生じる。こういう効果で、電子EDMがむしろ増幅されることが分かっているんだ。

A:へぇ。じゃあ、とにかく周期表の下の方のやつで実験すればいいわけだ。

B:そうなんだけど、周期表の下の方のやつってほとんど不安定元素なんだよね。

A:じゃあ人工的に作らないといけない?

B:そういうこと。しかも、うまく測定するためにはなるべく原子に止まっていて欲しいから、レーザー冷却技術が使えたほうがいい※5

A:ほう……そうすると?

B:まずアルカリ金属原子とかアルカリ土類金属原子というのは、比較的レーザー冷却の技術を適用しやすい。そして、不安定元素の中でも短くとも数分くらいの寿命があれば、原理的に測定まではたどり着ける。そうすると、フランシウム (Fr-210) とかラジウム (Ra-225) とか、そのあたりが候補になる。

A:あれ、それだけ?

B:今後もっといいものが見つかるかもしれないけどね。うちでやっているのがそのうちのFrの方。

※5 レーザー冷却とはなにかを説明すべきですが、あまりにも長くなるので割愛しました。「原子が特定の波長の光を吸う」という性質を利用して、原子の運動量を制御することによって減速させる方法を「レーザー冷却」と呼びます。より広義には、原子の運動量は変えないものの、原子を捕獲する「壺」のようなものを作ってトラップすることも「レーザー冷却」に含めます。

A:なるほどね。じゃあ、Frを作って、レーザー冷却して、測定する、みたいな?

B:言葉で言ってしまえばそれだけなんだけど、それがとんでもなく難しい。

A:どういうところが?

B:まずFrのイオンを作るのに加速器を使わなきゃいけない。ということはチャンスは年に数日しかない。Frを作るには金の塊に酸素のイオンを毎秒1013個くらいの頻度でぶつければ、うまくやれば毎秒106個くらいが出てくることになっている。

A:かなり多いじゃん?

B:とんでもない。仮に1 g のFrの塊を作ることができたとしたら、その中には1021個くらいの原子が入っていることになる。安定元素だったら、自動的にその量が手に入るのに対して、Frの場合はどんなに頑張っても106とかそのくらいだ。しかもそこからイオンを原子に変えて※6、それを冷却するうちに、どんどん減っていく。
でも、実はFr原子のレーザー冷却は2年ほど挑戦しているけど、上手くいっていないんだ。最近は、レーザー冷却の2段目にあたる光格子を作るために、レーザー光を増強するための「ファイバー増幅器」という装置を作ったりしていたよ。

※6 高校で物理を選択した人は仕事関数とイオン化エネルギーを覚えているでしょうか。 
仕事関数(物質から電子を取り出すのに要する最小のエネルギーのこと)が高い金属は、電子をなかなか離さないけど、低い金属は簡単に電子を離してしまう。イオン化エネルギー(原子、イオンなどから電子を取り去ってイオン化するために必要な最小のエネルギーのこと)が高い原子は電子をなかなか離さないけど、低い原子は簡単に電子を離してしまう。だから、イオン化エネルギーの高い原子を、仕事関数の低い金属にくっつけて離すと、ほぼ100%で原子になっています。

この原理を使って、Frイオンをイットリウム(Y)という金属の板にくっつけて、加熱して引きはがします。しかし、これが上手くいくのは金属表面がY原子で覆われている時のみ。実際には酸素やら水素やら不純物がいっぱい付いていたり、金属結晶の構造がおかしくなっていたりするから、効率が悪くなってしまいます。

A:ふーん……

B:まあ、まとめると、実際にやっていることは色々な装置の開発、実験としてはFr原子を冷却してEDMを測りたい、物理としては「我々がなぜ存在するのか」という謎を解きたい、というところかな。

A:それはまとめになっているのか……結局、一言でいうと、何の研究をしているの?

B:とりあえず、一行目からもう一度読み直してくれ。


プロフィール
小澤直也(おざわ・なおや)

1995年生まれ。博士(理学)。
東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。
現在も、とある研究室で研究を続ける。

7歳よりピアノを習い始め、現在も趣味として継続中。主にクラシック(古典派)や現代曲に興味があり、最近は作曲にも取り組む。


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