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社会を回すエンターテイメントという風

娯楽・芸術というものは、社会のなかで余分なものという位置で扱われていることが多い。

事実、絵を描いている私自身が、その存在を肯定することを難しく感じていた。

けれど最近になって分かったのは、エンターテイメントは社会を回す風なのだということ。娯楽や芸術抜きで人生を語り、動かすことなんて出来ないのだと思う。


芸術や音楽には、言葉にしきれなかった想いが詰まっている。面と向かって認めることが憚られるような気持ちや、時間が経ち、もう口にしても仕方がないと感じるような気持ち。黙ることでそれらが消えてなくなるわけではなく、救いどころを求めているようなものに触れて、受け取る側に認めさせてくれる。もちろん、作り手側も制作の過程で同じことを味わうのだ。

遊びは、二度と戻れないと思っていた子供時代を思い出させてくれる。思いっきり笑ったり、飛び跳ねたり、叫んだり。そして時にはハラハラしたり。大人になり、老いて無くしていくだけだと感じていたものが、ずっと自分の中に存在し続けることを教えてくれるのが、娯楽なのではないだろうか。

エンターテイメントは不要なもの・大人として仕事をし、責任を全うし、社会を成り立たせる上では余計なもの。子供や、子供時代にしがみ付く大人のみを満足させ、まやかしで消費を促すだけで、お腹を満たしてくれるわけではない。

果たして本当にそうだろうか。今のわたしは、そうは思っていない。

エンターテイメントは、人が人として生きるために、健全に社会の中で生きていくために、欠かしてはいけないものなのだ。


人は言う。生きていくためには、まずお金が必要だと。そして、衣食住があり、身体が健康であることが大切なのだと。

しかし、そんなにも人間とは単純な生き物だろうか。無機質になりきれるだろうか。

カラダを壊しながら創作に励む人・破綻するまで恋愛にのめり込む人・先の見えない子育てに携わる人・負け越しが続きながらも、今日こそはと競馬場に乗り込む人。

なぜそんな人たちが絶えないのかを理解していくことが、必要ではないだろうか。

人間は心があり、繊細で、人生を肯定したい生き物だということを、多くの人が忘れている気がする。

ただ生きて、それでよければ、人の社会がこのように大きくなることはなかっただろう。人間には歌が必要なのだ。人間には映画が必要なのだ。人間には占いが必要なのだ。人間にはお笑いが必要なのだ。

愚直に働きながら、社会の中でオトナとしての役割を果たしながらも

自分が何者であるかを思い出すために。

エンターテイメントという風が吹くことで、きっと全体はよりよく動く。そう信じて、わたしは絵を描き、本を読み、占星学を届けていきたい。

必要としている人たちへ。


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