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森田療法の話

【転用元】
精神保健福祉NEWS ふくおか
平成24年3月発行
福岡県精神保健福祉センター総務企画課

特集:古くて新しい森田療法的アプローチ

はじめに

 森田療法は、大正8年(1919年)に森田正馬により完成されたといわれています。日本オリジナルの精神療法です。
 今、うつ病などの治療で認知行動療法が注目されています。耳にされたことがあるかもしれません。その認知行動療法の次世代の精神療法とされているものに、マインドフルネス認知療法やアクセプタンス・コミットメント・セラピーや弁証法的(認知)行動療法があります。これらは比較的新しい西洋生まれの精神療法なのですが、その内容をみると90年ほど前にできた森田療法に共通する考えが多く含まれています。この意味で森田療法は古くて新しい精神療法と言えます。
 ここでは古くて新しい森田療法的なアプローチから、身近な精神症状である不安とどのように付き合っていくか、少し考えてみたいと思います。

こんな経験ありませんか?

 外出したものの戸締まりをしたか不安になったことは?気になり出して不安が一度生じると、どんどん不安は大きくなりませんでしたか?
 これは目覚まし時計のベルの音がはじめは小さいのに徐々に大きく鳴りひびくようになることに似ています。不安はある意味、生体の発するアラームなのです。
 次の例は、仕事で失敗した場合です。はじめは「上司に怒られるのでは…」という不安だったはずなのに、それを気にし始めると、「クビになるかも?」と不安は大きくなり、さらにそれを気にすると、「(仕事を失ったら)生活できない」と不安は巨大化していきます。行き着くところ「(生活できないなら)死ぬしかない…」というような考えになり、不安は極限にまで大きくなります。はじめは「仕事のミス」について考えていたはずなのに、いつの間にか「生きるか死ぬか」に話がすり替わっています。おかしいと思いませんか?
 このように、注意(気にすること)と症状(不安)の間をこころが交互に行ったり来たりすることを“精神交互作用”と呼んでいます。不安を取り除こうとすればするほどその意図に反して不安になり取り除くことができない、ここにみられる矛盾を森田療法では“思想の矛盾”と呼んでいます。そして、ここにみられた悪循環のもとになる“精神交互作用”と“思想の矛盾”の2つをまとめ、“とらわれの機制”といっています。
 この負のスパイラルに巻き込まれてしまうと不安は不安を加速していきます。そして、こころの中に浮かぶ考えも現実とかけ離れたような悪いことを考え始めます。こころの中に浮かぶものは全て自分でつくり出しているのですが……不安を大きくしているのは自分自身なのです。どこかで、この負の連鎖を断つ必要があるのです。

不安はどこから?

 ところで不安はどうして生じてくるのでしょう?
 ウサギさんはライオンさんに食べられるのではという不安を抱えています。「食べられるかも・・・」の「・・・」には何が含まれているのでしょうか?そこには「食べられたくない!」という強い願望があります。つまり不安の裏側には、「死にたくない!生きたい!!!」という理想が隠れているわけです。これを森田療法では“生の欲望”と呼んでいます。
 あたりまえですが理想も不安も、誰もが持っているものです。これはちょうどコインのようなものです。不安の裏には理想が存在し、理想には不安が必ず伴います。切っても切り離せません。
 そして理想が大きければ不安も大きくなります。「〜べき」や「〜ねばならない」という考えがよく出てくる人、そのような思考のクセがある人は完璧主義の傾向の強い人といわれます。理想が高い人といっても良いかもしれません。理想が高くなると不安も大きくなる傾向がみられます。現実と理想とのギャップが大きいほど、より大きな不安を生み出すのです。
 森田療法では不安をはじめとして、私たちのこころの中に自然にわき出てくる気持ちをそのまま認めようとするこころの在り方を“純な心”と呼んでいます。

行く川の流れ・・・

「・・・は絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。・・・」これは鴨長明の『方丈記』の書き出しです。
 誰もがもっている不安ですが、意識しすぎて不安を消そうとすると、かえって負のスパイラルに巻き込まれてしまいその不安が永遠につづくような錯覚に陥ります。しかし、こんな経験はありませんか?不安があっても何か他のことをしていると不安を忘れたこと。気が紛れたと表現することもできるかもしれません。降りやまない雨がないように、不安もいつかは和らざます。不安があっても、そのときそのときにできること、すべきことをしているうちに不安は過ぎ去ります。
 ですから何かをするときには、不安をそっと横に置いておいて黙々とすることが大事です。そのときしていることに注意を向けるのです。それは、その一瞬、一瞬を大切に生きることと言ってもよいかもしれません。森田療法では“あるがまま”ということが大事にされるのですが、そのときそのときを大切に生きるということは“あるがまま”がもっている意味のなかでも大きな一つではないかと思います。また森田療法には”不安常在”という考えもあり、不安があることが問題なのではなく、その不安にどのように向き合うかを重視しています。頭を使ってどうにか不安を取り除こうとするよりも、遠回りかもしれませんが、体を動かし実際に行動する方が不安は和らぐのかもしれません。大切なのは不安とともにどう生きるかなのです。
 なお森田療法では不安を除去しようと努力することを”はからい”と呼び否定されています。一方、不安がありながらもするべきことに聴むことを“恐怖突入”と呼びそのことの大切さが説かれています。

できることから

 では不安は不安として、そのときそのときにできること、すべきことから始めるということは具体的にはどういうことなのでしょうか?
 それは晴耕雨読のように、晴れには晴れた日にできることをし、雨の日には雨でもできることをすれば良いのです。いつも元気なときや調子がよいときと同じことをしようとするのではなく、調子がいつもの60%ならその状態を受け入れて、60%の状態でできることをしょう、と考えるのです。自分の状態を”あるがまま”に認め行動するのです。
 そして「できることから」の「できること」というのは、ちょっとしたことで良いのです。例えば、いつもより少し早く起きてみる・・・そのためにいつもより少し早く寝る・・・あるいは、ちょっと身の回りを片付けてみる、少し自分の時間をみつけてしたいことをしてみる、などなどです。いいかえれば、すぐ目の前にある身近なことから始めるということなのかもしれません。そのためにも少し普段の生活や活動を見直してみる必要があります。1歩ずつゴールを目指すことです。
 このように、まず目の前のことを重視して行動することは、森田療法では“行動本位”あるいば“目的本位”と呼ばれます。

自分を大切にしましょう!

 最近、自分をほめましたか?不安は理想の裏返しでした。ですから不安が生じているのは、今、理想に向けて頑張ってお問いる証でもあるのです。つまり不安がでるほど努力しているのです。そんな頑張っている自分をどうして自分自身が認めようとしないのでしょうか?
 理想だけが不安をつくり出しているわけではありません。自分を認めようとしない、つまり等身大の自分を“あるがまま”に受け入れないことに問題があるのです。「理想を下げましょう!」と言っているわけではありません。今の自分を認める、そしてこれまでの自分の人生を認めることも大切なのだと思います。今まで懸命に生きてきたという過去があるから今の自分があるのです。ですから自己を否定するだけではなく、自分の良いところにも目を向ける必要があります。森田療法には”事実唯真”という考えもありますが、気づいていないだけで自分を認めること、褒めることができる“事実”はたくさんあるのではないでしょうか?その事実にも目を向けるべきです。理想と現実(事実)のバランスが大切なのです。言うなれば、相矛盾するものの中に調和をみつけることです。このような意味から考えると、”あるがまま”というのは、自己を認め、自分を大切にして生きることも意味するのではないかと思います。

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