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【短編小説】 追憶のシルヴェスター・スタローン

 向井優(まさる)は映画館にいる。住んでいる市の中心地にあるシネマコンプレックスである。いちばん大きなスクリーンで『トップガン・マーヴェリック』を観終えたところだ。空中戦はやはり迫力があった。今回も一作目同様飛行機にカメラを搭載して撮影したと聞いている。役者もスタッフもリアリティにこだわっているのが伝わってきた。

 映画の余韻にひたっていると、いつのまにか一作目の『トップガン』がロードショーされたころのことを振り返っていた。

 〈今回はベルリンの曲が流れるラヴシーンがなかったな・・・・・〉

 向井が初めて映画館で観た映画は『スターウォーズ』だったか、『ET』だったか、今ではもう記憶があいまいになっている。ただそれらの映画がかかっていたころである。

 街の中心地にある映画館はまだ複合スクリーン化をしていなかった。そもそもシネコンは存在せず、単一スクリーンの映画館がそれぞれあるのが当たり前だった。

 駅前にはいつもいちばん話題に上っている作品の大看板が掲げられた。看板職人によって手書きで製作される看板である。遠くからみると大きな写真かと錯覚するのだが、近づいていくと絵具で書かれた大きな絵であることに気づく。絵画化された映画スターは写真にはない温度をただよわせていた。それが街の風景に馴染んでいた。

 当時その看板に頻繁に登場したスターがいる。シルヴェスター・スタローンである。ちょうど当たり役である『ランボー』、『ロッキー』を中心に活劇大作を多数発表していて、時代を代表するアクションスターだった。

 「ロッキー観にいきたいな」
  おさない向井が父に頼んだ。父もしばらく映画館に足が遠ざかっていたからか。すぐに了解してくれた。父は初めの上映回にこだわっていた。おそらくその後の回と比して空いているからだろう。少年向井は早く観られるからうれしくて進んで早起きをした。

 日曜の朝、6時に向井は起きた。父も先に起きていて急いで朝食をとり、父の車で映画館へと向かった。道路はまだ大きな混雑はみせていない。父、母と三人でスーパーに買い物に行くというのはよくあることだった。父と二人で出かけるというのは向井にも希少な機会になった。

 向井が初めてスクリーンで目撃したスタローンは『ロッキー4』のなかだった。ソ連出身の強敵ドラゴと戦うストーリーだった。向井に強い印象を残したのは映画館の音響である。

 街でいちばん大きな映画館で観たので、おそらく向井少年の心をとらえたのはドルビーサラウンドだろう。ロッキーが打たれる際の痛み、ロッキーのパンチがヒットしたときに覚える爽快さ、それらをおさない向井に届けたのは映像以上に音響だったように思う。なぜなら今でも向井は音響設備に秀でた映画館をひいきにしているから。

 スタローンの映画をその後もいくつか父といっしょに観た。なかでも『オーバー・ザ・トップ』は父子の物語ということもあり、観終えた後に父が何度も言っていた。

 「いい映画だったなあ」
 「トラックがかっこよかったなあ」
  そういう会話をとんかつ屋で昼食をとりながら交わした。

 向井親子は映画の鑑賞後は決まってカツライスを食べた。街の銀座通りのとんかつ屋で。振り返るとふたりにとっていちばん幸せな日曜日の過ごし方だったに違いない。

 幼少時の経験が大いに影響したのだろう。向井はいまでも映画は映画館で観るものだと考えている。レンタルDVDもあまり利用したことがない。見逃した作品を観るという程度にしか使ってこなかった。現在主流の配信サービスとも映画を観るという点では同様につきあっている。

 親子の間に亀裂が生じたのはいつからだろうか。向井が成長するにつれて父子で映画館に行く機会は少なくなっていった。父が家でささいなことで怒鳴るようになるのが目立ちはじめた。以前から短気なところがあったが、映画館で過ごすことによってある程度そのマイナス面が軽減されていた。

 「腹の虫の居所が悪いからってやつあたりすんな」
 「なんだと、誰のおかげで暮らせていると思ってんだ」
  そんなやりとりが頻繁に起こるようになったのは、向井が大学受験に落ちて浪人していたころからだろう。

 その後東京の大学に合格した向井は逃げるように家を出た。もっともらしい理屈をつけてそそくさと上京した。父から離れたいという願望が強かった。父から自由になりたいと念願していた。すぐに怒鳴る父が嫌だったからである。

 向井が大学を卒業するころは就職氷河期の真っただ中だった。向井は就職試験になんども落とされた。父の機嫌が回復することはなかった。

 そういうなかで大手新聞社の筆記試験に通った時は手のひらを返すようだった。腕時計、ワイシャツ等々、面接に備えてみすぼらしい印象を与えないようにと、「難所を越えたのだから」ともう合格したような調子だった。向井は父の期待もむなしく、あえなく面接で散った。

 それからのちも父子の関係が回復することはなかった。だが向井は映画館に行くとたまに父を思い出す。映画の楽しみ方を教えてくれた父のことを。

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