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【短編小説】 祖父のコルベット

 「かっこいいよな、どの角度から見てもかっこいい」

 橋本太一は感嘆のつぶやきを漏らした。太一は薄いブルーの車を凝視している。1965年式のコルベット・スティングレイである。通称C2コルベット。左右のフロントフェンダーが上に盛り上がっていて、リアはファストバック式のスポーツカーである。前から後ろまで流れるようなボディラインを持つ。

 飽きずに眺めている太一の耳に祖父の言葉がよみがえる。

 「この車は日系アメリカ人がデザインしたんだ。」

 コルベットはアメリカのゼネラルモーターズ社がつくった車である。シリーズ二代目のC2コルベットのデザインは、ラリー・シノダという日系人デザイナーが手掛けていた。祖父は兵役を経験している。敗戦国の日本ゆかりの人物が、アメリカで名を挙げたことを誇らしく思っていた。

 C2コルベットの美しさと、車が生まれた背景にすっかり魅せられた祖父は、大枚をはたいて入手したのである。

 祖父はエネルギッシュな人物だった。戦地から帰国するとすぐに、東京で金型工場を起こした。国内大手の自動車メーカーT社との取引によって会社を大きくしていく。現在まで続くT社の自動車部品製造により成長軌道に乗って、愛車はずっとT社の車だった。

 しかし最初の東京オリンピックのころに、自家用車はC2コルベットに変わったのである。祖父はよく休日に房総半島の海までコルベットを走らせた。そして釣りをするのが好きだった。それが祖父の休日の過ごし方だった。

 祖父はその後車を変えることなくコルベットに乗り続けた。晩年は東京湾アクアラインを走るのも好きだった。何度か太一も乗せてもらったことがある。

 現在の社長、太一の父はバブル期に会社を継いだ。時代は日本車の全盛期であり、各メーカーとも、たくさんの車種を発売した。父はラグジュアリーなセダンを好み、C2コルベットは時代遅れの車にしか映らなかった。太一も成長するにつれて音楽活動にのめりこみ、やはりコルベットを忘れていった。

 祖父が他界して20年になる。3年前に、祖父が起業した東京都荒川区の旧社屋の倉庫から、C2コルベットが発見された。祖父の手でよく手入れされていたが、さすがに降り積もった年月のため、もう動かない状態だった。

 さらに倉庫を整理していた際に、ぞんざいな片づけをしていていた父が、角材をぶつけて右のドアに大きな傷をつけてしまった。皮肉なものでその時の大きな音で、カバーを被った車の存在に父も太一も気づいた。

 カバーをめくり現れたコルベットを目の当たりにして、太一にはこみ上げるものがあった。そして父にもっと丁寧に作業するよう、たしなめた。

 「こんな古い車、まだあったのか」

 父にとっては相変わらず時代遅れの車のままだったが、太一はやっと大切な友人を探し当てた気分になった。

 「おじいちゃんの大切な車だったんだ。もっと丁寧に扱ってほしいな」

 さすがに太一は父の言動に怒った。

 「ふん、じゃあ、このポンコツをどう始末するんだ?」

 「ポンコツなんていうな。俺がよみがえらせる」

 「やれるものらやってみろ。仕事に穴をけるのはゆるさんぞ」

 「仕事に支障は出さない。ただこの車をスクラップにするのはやめてほしいよ」

 「まあ、よかろう」

 父はしぶしぶうなずいた。

 今日まで、太一は少しずつ取引先の自動車整備工場の社員に尋ねるなどしながらレストアを自力で行ってきた。父が傷つけたドアの傷は板金で治りそうであったが、ドアの下部に錆びによる浸食が見つかった。触るとボロボロと崩れてくるので、もう板金で処置するレベルではない。太一は頭を抱えた。

 ハシモトテック。太一は祖父が起こして、現在は父が社長を務めるこの会社で働いている。父は当初から息子を企画部に配属させて、会社の頭脳となる仕事を学ばせようとした。

 しかし、数か月で転属を願い出る。父は意に介さなかったが、作業現場を知らずして会社の頭脳になんてなれるわけがないと食い下がった。太一は金型づくりを一から現場で学んだ。

 「御曹司、コルベットは今どんなですか?」

 ベテランの金型職人、山田が尋ねてきた。親しみを込めて太一を“御曹司”と呼ぶ。

 「山田さん、右のドアがいけないよ。錆でボロボロになっているんだ」

 山田は太一の説明を聞いてこう答えた。

 「ドアが健在な車を探して、そっくり取り換えちまったほうが早いですよ。」

 得心した太一のコルベット右ドア探しが始まった。

 太一は都内、首都圏から手を広げて、一軒一軒アメリカ車の取扱店を探した。だが、右のドアだけ欲しいという要望に応えてくれる業者は見つからなかった。

 「アメリカの業者を当たってみたらどうですかね?」

 ダメ元で尋ねたディーラーがアメリカの大きなクラシックカー販売網を紹介してくれて、話も通してくれた。そして、ちょうどカラーは黒だが、65年式C2の右ドアをゆずってくれることが決まった。

 ドアを取り換える作業は山田たちも手伝ってくれた。

 「先代の愛車をこの手でもう一度走らせることにかかわれるんだから、ありがたいです。私と私の同期が、先代と一緒に金型をつくった最後の社員でしょうからね。先代は職人でもありました」

 山田の言葉から太一は、祖父が社員から慕われていたとわかった。

 「その時は皆さんも乗せてあげますよ。順番に運転してもかまいません。ただし大事に乗ってくださいね」

 現場の職人たちは大喜びである。社員二人がドアを抱えて、太一がヒンジを通して固定した。油をさすとドアはスムーズに開閉する。

 C2は再塗装されることになった。

 一か月後、前よりも深い青、マリンブルーに塗装されたC2が帰ってきた。

 「山田さん、とりあえず海まで走りましょう」

 よみがえったC2コルベットは豪快なエンジン音をあげた。

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