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【短編小説】 錆びたRK52

「いつ見ても、かわいそうになってきますね」
メカマンの佐藤良則が言った。
「なにがだ?」
社長の大山勝が逆に尋ねる。

「あのさびさびのじいさんがですよ。かなり古いですよね」
裏庭にある年代物のトラックを佐藤は示した。
「ああ、俺が生まれる前からあるよ。昔はもっとましな姿だったけどな」
大山は目障りだというような視線を、赤錆びにまみれたトラックに向けた。
「でしょうね。こんな古いかたち、なかなかお目にかかれませんよ」
佐藤は困ったような表情を浮かべた。

 ここはモト大山。東京は荒川区のオートバイ販売店である。現社長の勝で4代目を数える老舗である。戦前に自転車屋として創業して今に至る。先代社長の克昭、つまり勝の父のころはバイクのラインナップも大型、中型のいわゆるモーターサイクルが中心だったが、現在はほぼ原付スクーターのみである。あとは中古の400㏄と250㏄が数台あるだけだ。
 
 折から3年に及ぶパンデミックである。エアロゾル感染の心配がほぼないことから自動二輪は見直されて、どこの教習所も満員で、予約がなかなか取れない状況が続いている。業務拡大というか失地回復というか、そのどちらかのチャンスであるが、この店はとんとそういうものと縁がない。士気の低下が著しい。

 「あの錆びたじいさんトラックはうちの凋落の象徴だな」
 勝は自虐的に笑う。
 

 「ずっとほったらかしだからああなっただけでしょう。うちが情けないのは俺らがやる気ないからでしょうが!」
 トラックに対してなんらかの義侠心が芽生えたのか、佐藤が言い返す。
 「おまえ、言うようになったじゃねえか」
 勝がこめかみをピクピクさせている。

 「去年だってもっと大型、中型扱おうって言ったじゃないですか。ぐずぐずしているうちにドル箱のZ900RSだってディーラー専売になっちゃったし・・・・・」
 「う~む・・・・・」
 佐藤の攻勢に勝は防戦一方である。腹が立つが勝は佐藤にも一理あると考えて、気分を落ち着けた。

 「いい機会だ。俺が知っているかぎりだが、つまり親父の克昭から聞いたことだけど少しあのトラックにまつわる話をしてやるよ。あのトラックはトヨタRK52型と言うんだ」

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  “夕日の丘の ふもと行く
  バスの車掌の 襟ぼくろ
  わかれた人に 生き写し
  なごりが辛い たびごころ“

 RK52トラックのラジオから石原裕次郎と浅丘ルリ子のデュエットソングが流れてくる。源蔵はラジオに合わせて歌っていた。
 
 「ゆうちゃんとルリちゃんはお似合いだよな」
 「ルリちゃんって・・・・・」
 ハンドルを握る息子の克昭が絶句する。
 
 RK52の側面には「大山ワークス」と名入れされている。そして荷台には幌をかぶせた二輪車が載せられていた。

 「鈴鹿までは長いな~、気楽にいこうぜ克昭」
 1964年7月31日、源蔵たちは鈴鹿サーキットに向かっている。2年前にオープンしたばかりの、本格的なモータースポーツを行うための競技場である。大山ワークスは2日間に及ぶ過酷な二輪競技である【鈴鹿18時間耐久ロードレース】への参戦を決めていた。

 「今年はオリンピックもあるなぁ」
 源蔵は他人事のように語るが、克昭はライダーとしてバイクを駆ることになっていた。初の鈴鹿なので緊張を隠せない。
 「父さんはのんきすぎるよ」
 「俺まで目を三角にしてたら、おまえよけいに疲れるぞ」
 源蔵は相変わらずとぼけている。

 〈な~に俺がチューニングしたマシンだ。恥ずかしい結果は残さねえさ〉
 レースではメカニック兼総監督を務める源蔵である。その胸にはゆるぎない自信を秘めていた。

 鈴鹿に着くとその日はすぐに旅館で休息をとった。何せ長旅である。途中源蔵が運転を代わったが、克昭の疲労を可能な限り軽減する必要があった。

 翌日の8月1日、鈴鹿は暑かった。かげろうがゆれるなかをRK52は鈴鹿サーキットの正門に乗りつける。源蔵はトラックから降りるとポンとボンネットをたたく。

 「ここまでご苦労だったな。無事にこいつを運んでくれてありがとよ」

 克昭は幌をかぶったマシンをしばらく見上げてから、トラックの荷台に上った。

 アンヴェールされてマシンの姿が露わになる。ロイヤルブルーのボディが現れた。ホンダCB72。源蔵を中心に手塩にかけたチューニングが施された大山ワークス渾身の機体である。ぞろぞろと男たちがCB72大山スペシャルを載せたRK52の周囲に集まってきた。一足先に現地入りしたチーム大山ワークスの面々である。

 「存分に暴れまわりましょう!」
 メカマンの1人が源蔵に声をかける。
 「あったりめーよ、克昭、俺たちがいれば心配いらねえ。大船に乗った気でいろ」
 源蔵の返答に一同の意気があがった。

――――――――――――――――――――――――――――――――

 泣いている。勝の話をじっと聞いていた佐藤が嗚咽を抑えきれないでいる。

 「それで源蔵社長たちのマシンは?CB72大山スペシャルはどうなったんですか?」
 しゃくりあげながら佐藤は勝に尋ねた。

 「250㏄クラスで2位に入ったよ」
 「すごいじゃないですか・・・・・こんな落ちるところまで落ちて、悪魔に魂を売り渡したようなバイク屋に、そんな栄光の歴史があったなんて」
 「おまえ、言わせておけば、好き勝手言いやがって」
 勝は佐藤の胸ぐらをつかんだ。

 「やるんですよ。大山ワークスを再興するんです!」
 「おまえ本気か」
 勝はひるまない佐藤の言葉にきょとんとしている。

 「おれたちゃ、いまがどん底です。あとは這い上がるだけでしょう?」
 佐藤の言葉に勝は破顔した。

 「やってみるか。これからチューニングメーカーとして」
 勝の目にすがすがしさが戻ってきた。

 「あのじいさんもきれいにしてやりましょう。栄光の歴史の生き証人だしね。俺が責任もってできるだけレストアしてみます」
 佐藤の顔に決意が表れていた。
 
 ふたりは1956年製RK52型小型トラックの前に立った。

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