見出し画像

17:社会復帰への道 その3

こんにちは、yuyaです。

今回は、社会に出ながらも精神的に引きこもってしまった私の、価値観について記事にしていきます。

何もかも思い通りにならない

画像1

私が人付き合いについて諦めの気持ちを持ったのは、

あまりにも対人スキルが未熟な自分自身に嫌気がさしたからでした。

どうしても上手く自分を表現できない。

自分を表現できないからこそ、自分に興味を持ってくれる人がいない。

そして、何もアクションを起こすことができない自分を隠すために、

人と接することを諦めるのです。

高校卒業程度認定試験に合格し、バイトを始め、大学に通うようになった私ですが、

この対人スキルについては、全く成長ができませんでした。

大学においても、私は4年間、ずっと一人でした。

誰かと話した記憶がありません。

通信制の大学を選びましたが、スクーリングが可能な授業は全て現地で受けました。

その方が単位が取りやすかったからです。

ですが、他人が怖い私は、本当に単位を取るためだけに4年間を費やしてしまいました。

もし友達が一人でもできれば、違う大学生活だったかもしれません。

一人で授業を受け、食事をとり、また授業を受け、帰る。

私は一人が好きです。

好きですがこの場合は、人付き合いから逃げていると言って良いでしょう。

不登校の結果、私から欠落してしまったことの一つに、

「失敗を経験できなかった」

という観点があります。

不登校自体が失敗だという声もあるでしょう。

ですが、実生活において、他人の目がある中で挑戦し失敗する経験というのは、本当に強い武器となります。

私は私の生活だけを考えていたので、他人の目は邪魔な存在でした、

ですが社会に生きる以上、他人の目から逃れることはできません。

他人の評価こそが、社会的な自身の価値になってしまうからです。

そのような環境において他人の目に触れることを嫌がり、

逃げて一人でいることは、

自身の社会的な評価を受けることを放棄しています。

そうすると、どんなに頑張っても独りよがりなのです。

評価のされようがありません。

単位を取るために必死で勉強して力がついていたとしても、

社会的に私の努力が認められなければ、何もしていないのと同じです。

私は4年間、大学に通い卒業することができました。

両親は喜んでくれました。

ですが、そんな私を社会的に評価する存在は、

この世に誰一人としていないのです。


自分勝手に生きるため

画像2

なぜ私が一人を好むのか。

それは、自分の考えを否定されることを恐れているからです。

他人に意見されたくないのです。

ですが、このような考えで他人の意見をシャットアウトしてしまうと、

自身の視野はどんどんと狭くなっていきます。

なぜなら、自分の視野を広げるには知らない世界の情報に触れる必要があるからです。

知らない世界はそもそも認識できないので、知っている人に教えてもらう必要があります。

ですが一人でいると、その機会が失われるのです。

結果、私の世界は私の過去の蓄積によってのみ構築され、

広がりを生まないのです。

インターネットで世界の様々な情報を知ることができる。

というご意見もあるでしょう。

しかし、その効果は限定的です。

知らない世界については検索できませんし、

広告は自身の今までの検索や購入の履歴によって構築されています。

私たちはインターネットにおいても、知っている世界しか見ることができないのです。

好き勝手に生きたいがために他人を排除したことで、

私の世界はどんどんと小さくなっていきました。

そうすると、会話のトピックが生まれません。

ただでさえ上手く話せない私は、話題を新たに生み出すきっかけさえも捨ててしまっているのです。


つづく