12:母親と過ごした時間
こんにちは、yuyaです。
今回は、母親と過ごした時間について記事にしました。
ずっと家にいる息子
私が引きこもっていると言う事実に家族はとても動揺していました。
はじめのうちは心配させている感覚がありましたが、恐ろしいもので、時間が経つうちに私のそうした感覚は薄れていきました。
特にパート終わり、家にいることの多かった母親とは、過ごす時間が多かったように感じます。
私にとって母親の存在はかけがえのないものですが、母親にとって私はどのような存在だったのでしょう。
同じくかけがえのない存在であることを願いますが、母親にかけてしまった迷惑の大きさを考えると、それは私のわがままででしょう。
夕方になると、母親のお気に入りのドラマがテレビで再放送していたので、ご飯を食べながら一緒に見ていたことを思い出します。
一緒にパズルを作ったりもしました、クロスワードもやりました、今考えると私がやりたいことに合わせてくれていたのに、当時は自分があわせているような感覚でした。
今考えると当たり前のように食事を出してくれて、家族として同等に扱ってもらえるということのありがたさを、身に染みて感じます。
そんな生活を続けていたので、私自身、家族との亀裂がそこまでないように感じていました。
もし私に兄弟がいたら。
家で何もせずに過ごし、当たり前のように食事をとって、寝て、食べて、寝て...
そんな生活を続けている兄弟がいたら私は腹が立つでしょう。
この人は外にも出ず、家でダラダラして、どんなつもりで過ごしているのかと責めるかもしれません。
私がもしそのような息子を持ったら、家から出るように説得して、働きに出させるさせるかもしれません。
ですが私の家族は私をそっとしておいてくれました。
放っておいてくれました。
私の家族は好き勝手振る舞う私を、さらに好き勝手やりたいようにさせてくれていたのです。
やさしさに甘えだす
今でこそあまりやらなくなりましたが、当時の私はゲームがとても好きでした。
恥ずかしい話ですが、ゲームがうまくクリアできないと物に当たったり、ふてくされたりしていました。
人に見せられないような姿を、私の家族にはたくさん見せてきたのです。
それでも変わらず優しい家族に、私は横暴な態度を取るようになりました。
なにも言われないと分かっているからこそ、気遣われている立場を無視して、私は傍若無人に過ごしました。
ゲームは一日中、家族が使うテレビでプレイし、邪魔だと言いづらい雰囲気をいいことに気が済むまでやりました。
部屋は散らかったまま、一日中家にいるくせに、片付けも掃除もせず、ただただ部屋にこもっていました。
周囲の家からは、私の存在が気持ち悪がられていたようです。
さらに親戚も、気を遣って接するようになりました。
それもそうです。
家からは出ないくせに、親戚の挨拶には出向いて小遣いをもらうのですから。
食べ物も、遊ぶものも、全て親の金。
勉強でさえもそうです。
私は、心の底から生きる価値のない人間であると、自覚しています。
だからこそ、社会復帰してからは、私は自分を捨てることを求めました。
自己犠牲とでも言うのでしょうか。
自分自身が消費されて失われていく感覚が、家族への懺悔になるように、今でも感じてしまうのです。
つづく