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未来についてのあれこれ
年末年始なので、未来について考えたいと思い久々にブログを書きました。 未来は絶望かと思っていたけど、希望もあるかもねという内容です。
1 未来の見た目は変わっていない
ミライドンの瞳は古い未来?
ミライドンというポケモンの話をします。 このポケモンはシリーズ最新作「スカーレット・バイオレット」のバイオレットverに登場し、その名の通り未来を連想させるようなキャラクターデザインが特徴です。
ミライドンの目がドット表示になってるのとても好き pic.twitter.com/iHxtRR6Ged
— ノシラン@ポケモンゆっくり実況 (@noshiranpoke) June 1, 2022
この画像にもあるように瞳がLEDマトリクスのようなドットパターンになっているのですが、ポケモンSVの話を友人としていたときに「これって古い未来ですよね」と彼が言ったのが印象に残りました。
確かに現在のディスプレイはLEDマトリクスではなく、高精細な液晶や有機ELが主です。ドットパターンは技術的には広く行き渡ったものであり、未来のテクノロジーではないのに、「未来的な感じ」を表すために意匠として使われています。それはなぜなのでしょう?
その一つの理由には、幅広いユーザーの「共通認識としての未来っぽさ」を表現するためにドットパターンの瞳を採用した、ということがあるのではないでしょうか。未来といえば銀色のピタッとしたスーツ、空を飛ぶ車、有機的なデザインの家具、闇の中で青く明滅するホログラムインターフェイス…
これらの「未来っぽい意匠」は、戦後の高度経済成長期を通して育まれ、現代でもまだ生き残っています。
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このようなサイバーでハイテクな「未来っぽい感じ」は非常に男子ごころをくすぐられるものですが、実際にこんな生活をしたいかというと、う〜ん、ちょっと違うかも…?
製品デザインの未来っぽさ
2022年末にプロダクトデザインに関わる身からすると、製品の意匠における「未来っぽさ」の一般解は、つるっとした継ぎ目のない樹脂成形品や、モノリスのような黒いガラスの塊、あるいは削り出しのマットなアルミの質感に代表されるように思います。これらは言わずもがな、アップルが生み出したiPhoneやmac、AirPodsなどの製品の意匠です。
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ら引用
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しかしこれらの意匠も、iPhoneは2007年、macbookは2008年、Earpodsは2012年発売と、いずれも10年以上前に基本的な構成要素は出揃っています。つるっとしたホワイトの樹脂で連想するキャラクターといえば、映画「WALL-E」のイブがいますが、こちらも調べてみたところ公開年は2008年でした。
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未来は少しずつ現在となり常に更新されているのに、「未来っぽさ」は10年以上同じような見た目をしている。もしかしたら未来に対するビジョンは、少なくとも見た目の上ではしばらく更新されていないのかもしれません。それでは、新しい未来はどこにあるのでしょう?ここで、視点をデザインから思想に移してみます。
2 絶望的なふたつの未来
上記したような「未来の姿の更新のなさ」は、いま日本で多くの人が感じているであろう閉塞感につながっているように思います。 僕は1988年生まれで、いわゆるバブルの時代を幼少期に少しだけ体験した世代です。小さい頃、未来は右肩上がりのものでした。次々と新しいものや技術が開発され、生活は豊かになっていくという感触がありました。それが今はそうではなく、自分の両親より経済的に豊かになるのは難しく、未来は右肩下がり、将来によいイメージがない……もうだめだ……と、こんなことを考えている同世代は多いのではないでしょうか。 僕にとって、そのイメージを確かなものにしたのが「資本主義リアリズム」という本でした。
世界の終わりは想像できるが、資本主義の終わりは想像できない
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マーク・フィッシャーというイギリスの思想家によって書かれたこの本は、その言いしれない閉塞感を次のように表しています。
「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい。」このスローガンは、私の考える「資本主義リアリズム」の意味を的確に捉えるものだ。つまり、資本主義が唯一の存続可能な政治・経済的制度であるのみならず、今やそれに対する論理一貫した代替物を想像することすら不可能だ、という意識が蔓延した状態のことだ。(P10)
今日のイギリスの学生は政治に無関心だという印象がある。フランスでは学生がいまだ街頭で新自由主義に対する抗議デモを行っているなかで、それと比較にならないほど過酷な状況におかれているイギリスの学生は、その運命を諦めて受け入れてしまっているかのように思われる。しかし、これは無関心でも冷笑主義でもなく、再帰的無能感の問題であると私は主張したい。彼らは事態がよくないとわかっているが、それ以上に、この事態に対してなす術がないということを了解してしまっているのだ。(P60)
僕が感じていた、なんだかずっと景気が悪い気がする、つまり資本主義がうまくいっていないが、それに対してなにかできることがあるか、といったらないよな……という漠然とした感触を、この本では嫌になるほど冷静に言語化しています。
資本主義に対して、かつて社会主義がオルタナティブな道を示したもののうまくいかなかった、ということは僕もなんとなくは知っていました。世界的に経済の成長率が少しずつ伸び悩み、気温上昇をはじめ世界の環境は悪化していることも。しかし、いざ「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」「再帰的無能感」などと言われてしまうと、うお〜〜〜そんなにはっきり言葉にしないでくれ〜〜〜もうやだ〜〜〜〜になってしまい、読後しばらくは著者のマーク・フィッシャーも苦しんだという、鬱を抱えた気分になったものでした。
この本は、でも資本主義リアリズムって乗り越えないといけないぞ、ピンチはチャンスだから!という結びなのですが、その後著者のマーク・フィッシャーは2017年に自殺してしまいます。
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どんどん加速してシンギュラリティを目指せ?
資本主義リアリズムと近いルーツ、かつ逆のベクトルの考え方に「加速主義」があります。(資本主義リアリズム自体が左派加速主義に内包されている?) 加速主義は、鬱的なテンションの資本主義リアリズムと違い、躁的な勢いをもっています。ブロガーで文筆家の木澤佐登志さんが書いた「ニック・ランドと新反動主義 現代世界を覆う〈ダーク〉な思想」に引用されたテキストによると、加速主義とは以下のようなものです。
加速主義とは政治的な異端である。というのも、資本主義に対する唯一のラディカルな政治的な応答は、抵抗することでも、批判することでも、あるいは資本主義が自身の矛盾によって崩壊していくのを待つことでもない、と主張するからである。それどころかむしろ、資本主義における根絶化、疎外化、脱コード化、抽象化の傾向を加速させよ、と主張するのである。(P164-165)
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要するに、資本主義の代わりになるものを考えるのではなく、資本主義の良いところ悪いところ含めてどんどん加速させてゆき、盲目的かつ楽観的にテクノロジーを発展させてゆく。最終的には2045年に到来すると予言されているシンギュラリティがやってくるまで延々と続ける。その先は神のみぞ知る。……という考え方です。
見るからにオカルトじみた思想ですが、PayPal共同創設者で投資家のピーター・ティール、TeslaやSpaceXを作り、最近ではTwitterを買収して物議を醸したイーロン・マスクなど、シリコンバレーの起業家たちの中には加速主義の支持者は少なくないようです。加速主機のたちの悪いところは、白人男性至上主義や過激な新自由主義とも結びついており、格差の拡大やジェンダー平等、環境問題などに対してのケアを行う気がない、という点にあります。「ニック・ランドと新反動主義」の登場人物たちからもにじみ出る、ダークで躁的なエネルギーはある種の魅力を放っているようにも映るのですが、進むのはこの道ではないと強く感じます。
3 99%のための未来
ともに未来を考えつつも、鬱的で閉塞感が漂う資本主義リアリズムの見かたと、躁的で過激な考え方である加速主義の見かた、両方とも僕にとっては明るいものではありませんでした。一方は「歴史の終わり」という巨大な穴を見つめて鬱になっているように、もう一方は「世界を破壊して新しい歴史を作る」という躁状態に陥っているように感じたのです。
他によいと思える未来はないのか、無限の停滞か加速による破滅か、そのどっちかなのかな〜と感じてなんとなく無気力になり、仕事のしすぎもあり自分自身も鬱になっていました。
そこから回復する過程で何冊か本を読んでいったのですが、その中に未来についてのヒントがあると感じた本がありました。一冊めが「99%のためのフェミニズム宣言」です。
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資本主義とジェンダー不平等は固く結びついている
この本は、アメリカを拠点とする3人のフェミニストによって書かれたマニフェストです。資本主義に対して明確にNOを突きつけ、1%の富裕層ではなく、99%の(女性も男性もすべての性を含めた)「わたしたち」のための活動を志向します。 少し話は逸れますが、そもそもなぜフェミニズムの本を読み始めたかというと「男は仕事、女は家事」のようなマッチョな価値観がかなり強固に自分の中に組み込まれていて、いい加減アップデートしないとダメだという意識を持ったからです。正直にいうと、今でもその毒は抜けきっていないのですが…… 例えば、この本の中には以下のような記述があります。
女性たちのストライキ運動は、有償労働のみに「労働」のカテゴリーを限定することなく、家事、性交渉、そして笑顔からも撤退する。資本主義社会における、ジェンダー化された無償労働が担う必要不可欠な役割を可視化することによって、資本主義が利益を得つつも対価を支払わないでいるそれらの行為に光を当てるのである。(P22)
いまこの文章を読んでいる男性のみなさん、ドキッとしませんか。「家事、性交渉、そして笑顔」「資本主義が利益を得つつも対価を支払わないでいるそれらの行為」……いま書いているだけで、僕も本は読んでいても自分の行動は変えられていないのだな……と感じます。
ジェンダー平等を真に達成するには、資本主義ごと作り変えるしかない
しかし、「99%のための」フェミニズムというタイトルの通り、この本は男性支配よりもそれを生み出してしまった社会の構造、つまり資本主義をより鋭く批判します。資本主義はその発展とともにジェンダーに基づく暴力とわかちがたく結びついてきた。真のジェンダー間平等を得るためには、単に「金になる仕事」を女性により割り当てるだけでは不十分で、社会構造そのものを作り変えないといけない、と。
99%のためのフェミニズムは反資本主義をうたう不断のフェミニズムである―平等を勝ち取らないかぎり同等では満足せず、公正を勝ち取らない限り空虚な法的権利には満足せず、個人の自由がすべての人々の自由と共にあることが確証されないかぎり、私たちは決して既存の民主主義には満足しない。(P152)
これが結びの文章です。かっこいい! 資本主義リアリズムと加速主義、どちらにも通底していたどこか投げやりにも感じる態度ではなく、未来を自分たちの手でつかみ取ろうとする態度が読み取れます。
4 減速する未来
もう一冊が「Slowdown 減速する素晴らしき世界」です。
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無限の加速は存在しない
分厚いこの本のテーマはシンプルで、「人間の活動は無限に加速することはできず、実はかなりの分野で減速を始めている」ということ、そして「減速を恐れすぎてはいけない」ということです。最初にこの本を見たとき、「加速主義の逆だ!」と手にとったのですが、期待を裏切らない内容で面白かったです。 「Slowdown」で度々紹介されるのが、上下にものごとの数、左右にものごとの加速/減速をプロットした独特のグラフです。
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日本の総人口の増減を表すグラフ(2019年以降は予想値)
このグラフでは、点が上に行くほど人口が多くなり、点が右に行くほど人口の伸び率が高くなります。日本の総人口が戦後急激に伸び、減り始めていることははもはや周知ですが、その減少もいつかは下げ止まり、グラフがある一点に向かって収束するように人口の増減もおだやかになっていくといいます。
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架空の国の人口の増減の推移。グラフが渦巻きを描くように推移し、一点に向かって収束していく
この仮説を全くノイズを含ませずにグラフにしたのが上の図です。ベビーブームの後にはその世代がいっせいに亡くなる時代があり、人口が少なくなる。またその後にベビーブームが来て…という繰り返しだというのです。人口減と人口増、経済的成長と後退を繰り返しながらしだいに安定していく。日本の人口など「確かにスローダウンしているだろうな」というものだけでなく、世界の国々のGDP、テクノロジーの発展など、様々な分野において減速が進んでいることを大量のデータによって検証してゆきます。テクノロジーの進歩が減速しているというのは直感的には信じられないのですが、それに対しての皮肉を効かせた反論が興味深かったので引用します。
いまでは洗濯機同士が会話できるまでになっている。しかし、いったいなぜそうするのだろう。5Gテクノロジーを使って洗濯機間でデータを転送するのか。あるいは1台の洗濯機から中央制御ハブのようなところに常にデータが送られるのか。全く新しいIoT(モノのインターネット)で洗濯機同士がつながったら、洗濯機が反乱を起こしてしまわないのか。洗濯機そのものは、大きな飛躍だった。洗濯機同士が会話できるようにすることはそうではない。(P135)
資本主義は途中の状態
また、「文明や科学の大加速は直近5世代に起こっており、その加速はすでに減速し始めている」という指摘も興味深いです。1901-1928年生まれのV世代、1929-1955年のW世代、1956-1981年のX世代、1982-2011年のY世代、2012-2042年のZ世代の5世代で、現代の文明生活を支える主要な発明(交通機関や兵器、通信技術など)はほぼ行われており、Z世代に生まれた若者たちは、
親とあまり変わらない暮らしを送ることになる最初の世代になる可能性もある(P297)
といいます。
確かに自分の親から幼少期の話を聞くと、戦後のモノのない時代で大変だったという話が出てきます。僕の同年代(1990年前後生まれ)でも子どもがいる家庭は少なくありません。子どもたちの見ている画面の解像度は上がりましたが、生活水準という意味では実はあまり変わっていないのかもしれません。
ただ、スローダウンしていないものもいくつかあり、そのひとつが世界の平均気温の上昇らしい……これはなんとしてでも止めないと、と文中でも述べられています。
カエルを熱湯に入れたらすぐに逃げ出すが、ポットに入れてじわじわ茹でていくと、それに気づかずに逃げ出すタイミングを失って、最後には死んでしまうとする「ゆでガエル理論」にどこか似ていて、世界は少し暖かくなっているという話を聞き慣れてしまっているため、いよいよ危険な領域に近づき始めても、それほど驚かなくなっているのだろう。(P190)
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20世紀に起こった「大加速化」が終わり、スローダウンしたあとの世界はいったいどうなるのでしょうか。ナウシカやAKIRAのようなディストピア?あるいは原始的な生活に後戻り?著者はそのどちらでもないと主張します。
それは新しい安定の始まりである。ディストピアでもユートピアでもない。この5世代の前に見られた安定とはまったく違うというだけのことである。そしてそれは資本主義とは根本的に違うものになるだろう。資本主義とは変化のプロセスであって、安定ではない。(P391-392)
スローダウンが進めば、モノを長く使うようになって、ゴミが減る。それは、いま大きな社会問題、環境問題とされていることの多くが、将来は問題ではなくなるということだ。もちろん、新しい問題は現れる。その大半は、今の時点では想像すらできない。(P456)
永遠の右肩上がりは存在しない。そして、右肩下がりがすぐに破滅に結びつくわけでもない。資本主義は永遠に続くことはできず、その代わりになるものに徐々に変化していく……より安定して、格差の少ない未来へ。
5 姿は変わらないが、より良い未来
「Slowdown」の中に、次のような記述がありました。
私たちのひ孫は私たちと同じように一生ジーンズをはいているだろう(P403)
なるほど、これから世代が3つ代わっても、ファッションや生活空間の見た目はそれほど変わらないのかもしれません。(もちろん、より多様で面白い文化が生まれているのだと思いますが!)
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それは、成長と加速を是とする資本主義の考え方とはなじまないものだと思いますが、僕はこの見かたは魅力的だなと感じました。未来に向かってこれから真剣に構想していかなければいけないのは、「新しい未来っぽさ=見た目の更新」ではなく、「社会をどのように変えるか=構造の更新」なのだろうと思います。新しい意匠を考えるのがデザイナーの仕事のひとつなのに、おかしいかもしれませんが。
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このテキストの導入部分で「ミライドンの目は古い未来?」と書きましたが、ポケモンシリーズは「社会をより平等な方向に変える」未来づくりの先駆者です。 上の画像はポケモンSVを始めるときの主人公の選択画面ですが、いろいろな人種や性別を優劣なく並置し、テキストも「あなたの イメージを 選んでください」だけ。服装もキャラデザにもキャッチーな目新しさはありません。しかし、そこには構造の更新があります。
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また、アニメのポケモンシリーズでも、サトシからリコとロイという2人の主人公へのバトンタッチが行われようとしています。いままでシリーズを牽引してきたサトシからの交代ということでかなり勇気のいる決断だと思うのですが、僕は新しい物語がどんなものになるのかとても楽しみにしています。 グローバルにユーザーを抱えるコンテンツがポリコレに配慮しているだけと意地悪を言うこともできると思いますが、僕はこのような変化を志向し、そしてそれを実現できるチームが未来を作るのだと思います。
この先はわからないけれど
「99%のための」でも「Slowdown」でも、具体的に資本主義のあとに何が来るのかという予言はなされていませんでした。対案はないんかい!とつっこみたくなるかもしれませんが、それは読者が自分たちで考えることですね。「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という言葉もあることですし。
鬱的に立ち止まるのでも躁的に加速するのでもなく、ゆっくりと真剣に未来を考え、ほんの少しでもいいから実現することができたらよい……自分自身、全然フラットな行動ができない人間がこんなことを言うのは偽善かもしれませんが、少しずつ変わりたいと思っているのは本当です。
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