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身近な人の言葉は素通りしやすいけれど

最近、夫の方がわたしよりも娘の扱いがうまい。
娘が泣いたときに泣き止ませるツボも心得ているし、笑いのツボも心得ているので、夫と遊んでいるとき、娘は終始大爆笑している。

でも、それ以上にわたしにとって意味があるのは、娘にごはんを食べさせるのがうまいということ。

食べ物の好き嫌いがはっきりしてきた時期ということもあり、最近の娘は偏食が目立つ。特に白米を食べたがらないので食事が一向に進まない。お気に入りの納豆をごはんに乗せてみたり、海苔で巻いたり、白米が嫌ならと炒飯にしてみたりもするのだが、ことごとく娘の「いや!」という反応に撃沈している。

わたしの場合、スプーンを運んで3、4回拒否されると、文字通りサジを投げてしまう。頑として口を開こうとしない娘に「じゃあごちそうさまする?」と聞くと、待ってましたとばかりにうなずいて手を合わせる娘を見ると、「まあ、他に食べているものがあればいいか」と、ほとんど手付かずの白米を下げてしまうこともある。晴れ晴れとした顔で席を立つ娘を見て、少し情けない気持ちになる。きっと娘にとって、わたしはチョロい存在なのだろう。

しかし、夫にかかるとそうはいかない。
スプーンを近づけられて、案の定プイと顔を背けるが、そんなことで諦める夫ではない。回り込んでスプーンを差し出して見たり、自分が食べる真似をしてみたり。娘に向かって「食べ物のありがたさ」をとうとうと語りかけたり。ハイテンションで楽しませたりしながら、ついには娘の口にご飯を入れることに成功している。
「いや」の一点張りだった娘も、次第に夫の勢いに押されて口を開けている。「もう食べるしかないか」と諦めているようにも見える。

「ごはん食べさせるの上手だよね」と夫を褒めると、彼は「僕はふさこちゃんに比べるとあげてないけどね」と前置きしながら、決まって「あのね、忍耐が大事なんだよ」と答える。
そう言われると、まるでわたしが忍耐がないみたいじゃないかとむくれるも、実際その通りのような気もしてくる。


結婚して数年間一緒に過ごしていると、互いの得意なこと、苦手なことがわかってくる。そうすると自然に役割分担ができてくる。例えば、料理とつくるのはわたし。水回りの掃除は夫。ゴミを捨てるのは夫、など。それぞれがちょうどいいと思える役割に落ち着いてきたのかもしれないが、一方で自分が苦手なことは互いに進んでやろうとしない。

「あなたの方がごはんをあげるの上手だよね」
そう言ったときのわたしは、「あなたの方がうまいんだからこれからもよろしくね」と丸投げしようとしたんじゃないだろうか。
そう気付いて少しだけ反省した。

「忍耐が大事なんだよ」という言葉も素通りしていて、誰が娘にごはんをあげるかばかりを考えていた。
どんなにいいことを言っていても、不思議と身近にいる人の言葉は入ってこないものである。それでかえって遠くにいる人のアドバイスやネットの情報には積極的に耳を傾けたりする。

人の助言や勧めを聞いて、それを実際にやってみるということは、その人への信頼の現れだ。

口では「愛している」とか「尊敬しているよ」と言いながら、その相手が言うアドバイスに何一つ従わないのであれば、その相手を本当に尊敬していることになるのだろうか。

自分に厳しく問いただしてみると、一番近くにいる人の言葉にあまり耳を貸していない自分の姿が見えてくる。

結婚前は全てが素敵に見えていた相手も、結婚してみると予想していなかった相手の一面が見えてしまったり、相手の嫌な部分も見えてくることもあるだろう。人はネガティブな情報に引っ張られやすいらしい。ちょっとでも嫌なところが目につくと、良いと思っていたところも含めて全てが嫌になったという話も聞く。
でも、夫婦が互いに相手の良いところを素直に認めて、それを学ぶ生活ができたら、結婚生活はどれほど豊かなものになるだろう。


そう言えば、わたしが文章を書くことを仕事にすることができた理由の一つには、「夫の褒め言葉」があった。

夫と付き合っていた当時、遠距離だったわたしたちは度々手紙を書いて相手に送り合っていた。現代の感覚で言うと、手紙なんて大分時代遅れなのかもしれないけれど、時間をかけて言葉を選び、雑貨屋さんで選んだ素敵な便箋に思いをしたためて手紙を送るという行為がわたしは好きだった。
その手紙を夫はとても喜んでくれて、「文章がうまいね」と言ってくれたのだ。
大分ひいき目が入っていると思うけれど、それでも夫が何度も何度も「嬉しかった」とか「うまいね」と言ってくれることが、わたし自身の「文章をもっと書いてみたい」という気持ちを後押ししてくれた。

そして、夫の紹介を通じて文章を書くという仕事をスタートさせることができた。また、このようにnoteという場所で、この文章を読んでくれる人のためにそっと自分の想いをつづっている。
自分の性格を考えると、自分からは決してやろうとしなかっただろう。
一歩踏み出すことができたのは、夫が褒めてくれて励ましてくれたから。そしてその言葉にわたしに耳を傾けることができたからだ。

身近にいる人は、自分の色々な姿を知ってくれている。良い部分も。もちろん悪い部分も。
その人の言葉に、耳を傾けるのはいいことなのかもしれない。

あまり料理をしない夫がキッチンに立つとき、わたしよりも数倍手際がよく、あっという間に凝った料理を完成させてしまう。
そして夫は「段取りが大事なんだよ!」と言う。
「たまにじゃなくてもっと料理をしてよ〜」と言いながらも、夫の段取り力を自分も学ばなければと思う。

いつも軽口をたたいて、笑い合ってるわたしたち夫婦だけど、相手への信頼とか尊敬とか、はたまた愛というものを、日常の中で表せたらいいなと思う。
…まずは忍耐強く娘にごはんをあげるところから。


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