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14年間、送り続けられた段ボール箱

シャワーを浴びていると玄関のインターホンが鳴った。我が家はどうも朝9時ごろに配送される区域らしい。ちょっと朝寝坊して布団の中でインターホンを聞くはめになったことも少なくない。急いで通話口に走り、荷物を外に置いてもらう。
「雨だから早めに入れてくださいね!」
そんな元気な声を通話口越しに聞きながら、手早く着替えた。
届けられたのは、どっしりと重たい段ボール箱だった。表には、天地無用やら、水濡れ厳禁といった言葉が目立つ赤色のマジックででかでかと書かれている。この筆跡には見覚えがある。これはわたしの母の文字だ。

段ボール箱を開けると、クッション材になっている新聞紙が顔を出す。新聞紙をどけると、下にはビニール袋で仕分けされた大量の野菜が詰められていた。

ころころとした小さなサイズがかわいい新じゃが。水分をたっぷり含んでしっとりとしている新たまねぎ。スーパーで買うとそれなりの値段になってしまいそうな一抱えほどあるそら豆。いんげん、紫たまねぎ、にんにくは普段見ることがない茎の付いたもの。
野菜で満載の段ボールから、野菜を一つひとつ取り出して、すぐに傷んでしまうものは冷蔵庫にしまい、その他は常温の保管箱に片付けた。

春は春野菜、夏になれば夏野菜に、みずみずしい果物もついてくる。一番好きな果物は瓜だ。子どものころ、あの、水分がジュワッとあふれる果肉にかぶりつくのが好きだった。
スーパーではあまり見かけることのない瓜を実家から送られる段ボールの中に見つけたときは、大喜びで大切に少しずつ食べていた。とはいえ、大切にしすぎて腐らせてしまったこともあるのだが。
秋にはずっしりと重たいかぼちゃ。冬はいくつもの大根や白菜を受け取った。

いつも送られてくるときには、決まって特大の段ボール箱の中に、野菜がこれでもかというくらい詰められている。

もう何度、実家から段ボール箱を受け取っただろう。そうだ、わたしが一人暮らしを始めた19歳のときから、野菜の段ボールが送られてきた。それから14年間。父と母は毎年欠かさず、野菜を送り続けてくれた。

実家は農家ではない。でも、家の向かいにある父の畑は、家の敷地よりも大きい。父は仕事で働いているときから、出勤前の朝早い時間と、出勤したあとの夕方の時間、その畑に出て行っては手入れをしていた。わたしは物心つく前から、畑にいる父の姿を見ていたような気がする。

実家で暮らしていたころは、食卓には必ず畑で採れた野菜がのぼった。同じ野菜が大量に収穫される時期には、母は献立を考えるのにいつも苦心していたようだ。
そして、実家を離れて一人暮らしを始めてからも、段ボールいっぱいに父の野菜が届いたから、変わらずにわたしは父の作った野菜を食べることができた。
一人暮らしを始めた当初は、送られてくる大量の野菜を使い切ることができなくて、よく段ボールに入れたまま腐らせてしまった。ベランダに出して置いて、そのまま忘れてしまったこともある。それから14年、今ではわたしも結婚し家庭を持つようになり、まがいなりにも日々料理をするようになった。
一人暮らしを始めて、スーパーで野菜を買おうとして野菜がこんなに高いのか初めて知ったあの頃と比べると、今では野菜の相場とか、旬のものが何なのかも、それなりにわかるようになった。何よりも、実家から送られてきた野菜の美味しさがわかるようになった。


今年に入ってから、実家から送られて続けてきた段ボール箱が届かなくなった。
季節じゃないのかもしれない、そんなことを思いながらも、季節はすでに春になっていて巷のスーパーでは春野菜が山のように積まれている。

「最近、お義父さんから野菜が届かないねぇ」
空になっている野菜のストック箱を見ながら夫も時々つぶやいていた。

今まで送られてきたのは、野菜だけではなかった。段ボールの中には、母の手によって我が家に必要だと思われるものがこまごまと詰められていた。結婚してまもない頃には、キッチン収納や食器用洗剤、サランラップなどが野菜よりも多くのスペースを取りながら入っていた。妊娠中には、母が妊娠中に使っていたというマタニティウェア、そして出産後には赤ちゃん用の服が入っていた。
あると助かるというものが、ちょうど必要なときに送られてきた。
実家は関西にある。両親に会いたいと思ったときにすぐ会える距離ではない。そして小さい子どももいるということもあり、電話も長時間することはない。

初めは、単に、たくさん収穫されて食べきれないから分けてもらっているのだと、そんな風に思っていた。しかし、この段ボール箱の中には、親から子へ、言葉では伝えられない色々な思いが詰まっていたのだと思う。


そんな段ボールの箱が届かなくなった。

聞くに、定年を迎え、長年勤めていた場所を退職した父は、いよいよ家庭菜園に全ての時間を注ぎ込むようになったようだ。収穫した野菜は、地元の直売所に野菜を卸すようになった。販売を始めてからは、SNSも使うようになった。今までよりもずっと生き生きしている父の姿を電話口で聞きながら、何だか嬉しくなった。
野菜が届かなくなったのは、きっと売れ行きが好調なのだろう。

それでもまた、実家から送られてくる野菜を食べたい。
そんなことを思っていたら、最近、母から「野菜を送ろうか?」というLINEが送られてきた。

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