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大切なものを見失っていた記念日

朝から娘が騒がしい。こんな小さな体から、どこからこんな大声が出るのかというほどの声量で泣きながら、最近覚えたずり這いで、わたしの方に近寄ってくる。
「ちょって待っててね」
そんな娘を素通りして、キッチンに向かう。残念ながら、いつも抱き上げてやるわけにはいかない。こちらもお腹が減っているし、トイレにも行きたいのだ。

夫が在宅の時にはふたりで娘の世話をすることができるのだが、最近の夫は家にいないことが多い。二人でいる時には、泣き叫ぶ娘を軽くあしらって自分の用事を済ませることができるのだが、何故か一人だと余裕がなくて、泣き止ませることに必死になってしまう。そうすると、やるべきタスクが山積みになってしまいイライラだけが募ってしまう。
近頃の私はそんな悪循環に陥っていたようだ。

そして、そんな余裕のない日々を過ごす中、結婚して2回目となる夫の誕生日を迎えた。

夫の誕生日。プレゼントは前もって渡していたので、当日は手紙を渡して、ゆっくり自宅で手料理の食卓を囲もうと計画していた。

しかし、前日まで色々と予定が立て込んだこともあり、手紙を前もって用意することができなかった。誕生日当日、「覗かないでね」と言って部屋に閉じこもり、必死で手紙を書いた。そして書き終わると、急いで夕食のための買い物に走った。
家に戻り、料理にとりかかればよかったのに、何故かやりかけの仕事が気になり、ついパソコンを開いてしまった。一旦始めると、なかなか終えることができない。仕事が終わらないストレスと、予定が重なっていた疲労とでだんだん気持ちにも余裕がなくなってくる。
そしてつい、夫に「今日晩ごはんお願いできる?」と頼んでしまった。夫は私の様子を見て、何も言わずにキッチンに立った。

そして、夫が自作したトマトすき焼きを会話も少なくふたりで食べた。

せっかくの誕生日なのに、夫に料理をさせてしまった。しかも、明らかに当日手紙を用意していることが見え見え…。
ちっとも彼が喜ぶことができていないことに、今更ながら気づいた。
どうして手紙をもっと早く準備していなかったのだろう。どうして今日仕事を始めてしまったのだろう。急に予定が入ったから準備できなかったのだとか、疲れていたのだ、とか色々な言い訳はある。でも、夫を多少なりともがっかりさせてしまったことは事実なのだ。それは、私が今日という日を、夫のことではなく、自分のことで頭をいっぱいにして過ごしてしまったせいなのだ。私は自分が情けなかった。

「ちょっと休むね」
夕食の後、夫は一人で自室に入ってしまった。一年に一度の誕生日。本当は、夫を一番にすべきだったのに、まるで自分の仕事や自分の感情が一番であるかのように過ごしてしまった。いたたまれない思いで、彼の背中を見送った。

もう新婚じゃないからとか、他の友人からたくさんお祝いしてもらっているからとか、そんな考えが少しばかりあったのは否定できない。でもそれは言い訳にすらならない。
こんな一年に一度の記念日こそ、たった一人のパートナーが一番にお祝いするのが、愛じゃなくて何だろう。

しばらくの間、後悔とも新たな決意ともつかぬことを思い巡らせていると、夫が部屋から出てきた。


ソファに横になって座り、手紙を渡しながら改めて夫の誕生日をお祝いした。

そして自分自身の余裕のなさを夫に告白した。
「ふさこちゃんは、余裕がないときそれが顔に現れるからすぐにわかるよ」
そう言って夫は笑った。

「ふさこちゃんはもう少し時間の使い方を学んだ方がいいかもね」
夫いわく、私は一度にたくさんのことをやろうとしてしまうらしい。
「でも、ふさこちゃんはそういうことが出来るタイプではないから。一度に一つのことを集中してやった方がいい」
「そして、大切なことは、何に時間を使いたいかを決めること。時間がないからといって闇雲にタスクを減らそうとするよりは、優先順位を明確にした方がいい」

夫にそう言われ、改めて自分にとって何が大切なことなのかを考えてみた。
忙しくない時には、優先順位なんて意識する必要はなかった。自分なりにこだわって料理をすることも、毎日、掃除や洗濯をすることだって、娘が泣いたらすぐに抱き上げてやることもできた。
でも、今は、その全てをすることはできない。

何に時間を使いたいのだろう。

夫にちゃんと向き合って話す時間を持ちたい。片手間じゃなくて、娘だけに心を注ぐ時間を持ちたい。そして自分自身のために、本を読んだり、文章を書く時間を持ちたい。

そんなことを考えて、大切にしたいことは意外にもシンプルなことだったのだ、と思った。

手の込んだ料理を作ることも、洗濯や掃除も、毎日じゃなくてもいい。
夫は時々、冗談のように「僕は毎食、納豆ごはんでもいいよ」と言っていたけれど、私は勝手に完璧な妻像を追い求めていた。

もちろん、全ての家事を放棄することはできない。だけど、自分で一から十までやっていたことを半分にすることはできる。掃除は2日に1度でもいいし、料理は宅配サービスをお願いすることだってできる。大切なことを大切にするために、ほんの少しの工夫をしていけばいいのだ。

時間に余裕がないからこそ、自分にとって大切なことに気づくことができた。それが無償に嬉しかった。そして、こんなことを考えるきっかけをくれた夫に感謝した。
どんなに気持ちに余裕がなくても、互いに少し気まずくなる時があっても、こうやって向き合ってくれることが嬉しい。

計画していたような記念日を過ごすことはできなかったけれど、この日は私たち夫婦にとって、きっと大切な思い出になるだろう。

今日も朝から娘が騒がしい。
大声で泣き叫んでいたのに、抱っこした途端、ピタリと泣き止み満面の笑みを浮かべる娘。
さて、また一日が始まった。


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