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帰省

一年ぶりに実家に帰る。

小さい子どもを連れての長距離移動は勇気がいるものだ。電車で1時間、新幹線で2時間、そして車で3時間、合計6時間の道のりだ。
小田原から指定席に乗り込む。どうか隣の席に人が来ませんように。祈る気持ちでベビーカーをなんとか席の前に押し込んで、娘を膝に乗せると新幹線は動き出す。隣の席は空いたままだ。良かった。これで娘が泣き声をあげた時には席を立つことができる。前回の帰省のときは、年末が近かったこともあり乗車率は100%以上。隣の席にはスーツを着込んだ中年男性がしっかりと席をとり、身動きが取れなくなってしまった。車中に子どもの泣き声が響き渡っても、ひたすら抱っこし続けるしかなかった。去年の経験に懲りたので、今回は入念に準備をしてきた。指定席で、大型荷物が置ける先頭座席を取ること。娘の好物の食べ物を持って行くこと。

車両が動き出し、娘はさっそく窓の外の景色を食い入るように眺めている。雲のかかった富士山の姿がビルの合間にのぞいている。一人暮らしを始めてから、一年に一度は実家に帰っていた。実家に帰るたびに、こうやって流れる景色を見ていると不思議と今までの生き方が思い起こされる。こんな歩みでいいのだろうか。中途半端とも言える自分の人生を、甘めの採点で振り返る。反省するほど悪いわけでもなく、胸をはれるほど自慢できる人生でもない。ときどき娘の口に好物のブドウを放り込みながらの新幹線の2時間は、大きなトラブルもなく穏やかだった。

新幹線の改札を出ると、70歳近くなった私の父が立っていた。「おう」と言って手を挙げる。帰省する度に父の白髪が増えたなと思う。京都駅の雑踏の中で見る父は少し頼りなさそうに見える。ベビーカーを覗き込む父を前に、娘は緊張しているようだ。一年振りに会った父のことを、覚えていろと言うのは無理がある。挨拶もそこそこに、父が車を停めている駅前のビルに入る。地下にある鉄板焼きの店で焼きそばとお好み焼きを食べた。鉄板が熱くなるから火を入れないでくださいと、父が店員さんに頼んでいた。ソースのしっかりとかかった焼きそばに、娘は缶に入った青のりをこれでもかというくらい振りかけて楽しそうだった。

京都駅まで迎えに来てくれたのは父一人だった。母は数日前から体調を崩しているらしく、当日まで行くか悩んでいたようだが、結局家で待つことにしたらしい。自宅の庭に車を入れるとすぐに、家からマスクを付けた母が飛び出してきた。緊張してすっかり固まっている娘を抱き抱える。

「ゆっくり休んできてね」と言う夫に送り出されて、娘と二人で京都の実家に帰ってきた。夫を一人にさせてしまう罪悪感がないと言ったら嘘になるけれど、一日中娘と二人きりにならなくてもいい環境に行けることは嬉しかった。自我がはっきりしてきた娘と過ごす時間は、0歳のときとはまた違った大変さがある。
警戒心が強くて、見知らぬ人にはすぐに懐かない娘だが、目尻を下げて愛情全開と言った風の父と母には比較的短い時間で心を開いたようだ。ものの数日で、じいちゃん、ばあちゃんと呼ぶようになった。
その日の夕方には、神奈川から送った荷物が届いた。約一ヶ月を過ごすための衣類と、本が数冊。田舎で過ごす日々はきっと時間を持て余すこともあるだろうからと、多めに詰め込んでいた。休んでねと言われても、ただ休むだけにはしたくない。そんな抜けきらない意地がこんなところにも現れるのだった。


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