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「徳川の城・吉田城」シンポジウムの会場設営等ボランティアに行って、シンポも聞いてきた

豊橋市主催の第6回とよはしシンポジウム「徳川の城・吉田城」が2023年9月23日(土)に開催され、その会場設営や来場者案内のボランティアを募集していたので参加してきました。
準備をしながら文化財センターの皆さんと話ができる。これだけでも、私のような歴史好きはうれしい。受付用の机出したり、机にポスター貼ったり、幟旗を立てたり。正直、本職でこうした設営作業を多くこなしてきたので、個人的には馴染みがあってよかったです。

幟旗が歴代城主順に並べる、という拘りが好き。

一旦設営が終了し、休憩時間に入りましたが、その間になんと歴史ある豊橋市公会堂を学芸員の方から解説してもらえるという幸せが。ドラマの撮影などでも利用される昭和6年に立てられた重厚な建物。昭和天皇が豊橋に来た際に使われた貴賓室なども覗かせていただく。

おお。よく知らないけど満洲国とかこんな感じか?

その他、公会堂の会場がもっと広かったのに壁を設けて外廊下を作った、とか、

広い!600人入る。椅子も新しい。

舞台も本来はもっと奥だったのにせり出して広くなった、とか、

真ん中が昔の舞台の端。画面左に向かって広がっている。

その他、ガラスや窓の造りなど、あれこれ「ほぉぉお」という話を聞く。
こういう話を聞くことができるのが、ボランティアへの特典。最高。

こういう話を聞くのが好きな人がボランティアやっている。

開場前には豊橋市のボランティアの方々が武将隊をやっているそうで、甲冑着た方々が勢揃い。そして、開場。ほぼ定員の入場者。席は一杯。そして、我らボランティアも、講演が始まると中に移動して拝聴する。

入場前の会場の様子

山田愛大教授による「東三河の酒井忠次」では、人をどうまとめたか、地域をどう治めたか、の2点から話され、酒井忠次は東三河の国衆をまとめる立場で、四半世紀も統治していたので、城代なのに城主と地域の人々に認識されていた、
寺井学芸員による「戦国時代の吉田城と徳川の城ー馬出を中心としてー」では、本丸東にある細長い「金柑丸」が馬出機能であり、西三河の松平の城をルーツにしている、
加藤理文氏による「変貌する吉田城ー豊臣の対徳川戦ー」では、唯一豊臣側から吉田城について述べられており、秀吉が東海道筋に家康対策で配置した各大名の中では吉田城が最大の石高である池田輝政だったため当時最大の城であったことや池田氏は城に石垣を加える改修をしつつ、堀が極めて深く、また、本丸を取り囲む石垣も5m程度ととんでもなく高く積んでおり、居住空間としては圧迫感がすごいものの防御を極めて重視していることがわかること、現在の吉田城の桝形虎口の形状が直角に折れた場所に門がない食い違いであって、豊臣系の特徴であることから池田段階のものである可能性が高いこと、
柴裕之氏による「徳川家康と酒井忠次」では、酒井家の発祥の伝承から吉田城代、信濃侵攻、その後、秀吉に推挙されて徳川家臣団で初めて「従四位下左衛門督」になり徳川家筆頭家臣として確認できることや秀吉に気に入られて京都に屋敷を与えられていたこと、などが報告され、
最後の座談会では、岩原文化財センター長やFMとよはしの安田さんからパネリストに質問がなされ、講演内容が深掘りされていました。

シンポジウムの様子

その後、会場撤収を手伝った後、加藤氏から全国唯一という登り石垣上の塀礎石が残っている場所と深い堀を改めて見学して帰る。

前から気になっていたが全国唯一とは!

と、まぁ、シンポジウムを聴きにいくついでに手伝う、的な感じでしたが、他のボランティアの方々の様子や学芸員さんたちの話を聞くことができて最高でした。時間の都合がつけば、講師の方々を交えた飲み会にも参加できたようですが、私は時間がなく、あえなく断念。
正直、シンポジウムにあちこち聴きにいく自分としては、これは、お得な良いボランティアだったなぁ、と、思いました。
またやろう。

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