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司書時代に「この世に存在しない本」の捜索を依頼された話

こんばんは、古河なつみです。
公共図書館に司書として勤めていると様々なレファレンス(調べ物)の依頼を受けます。
その中でも、ある時期に頻繁に発生した「この世に存在しない本」の捜索依頼のエピソードについてお話したいと思います。


「佐山尚一という人の小説を探しています」

2018年の秋ごろの事です。
初老の男性からこんな質問を受けました。
「佐山尚一」という著者名で検索をするとヒット件数はゼロ件。
「ちなみに、タイトルは……?」
「熱帯、というはずなんだ」
ここで私は一つの疑念を覚えました。
直近に発売された小説に、森見登美彦さんの『熱帯』という作品があったのです。けれど、佐山氏と森見氏では余りにも名前の字面が違いすぎるので、著者名を勘違いをして覚えていたとしてもヘンだなぁ、と感じました。
(ちなみにこの時の私は森見さんの『熱帯』をまだ読んでいませんでした)

捜索を続けるとAmazonに販売ページが……?

私は改めて男性に尋ねました。
「すぐにデータに出てこなかったのですが、かなり古い出版物でしょうか……?」
「うーん、多分古いと思うよ」
あやふやに彼は答えました。
「インターネットからも探してみますので、もう少々お待ちくださいね」
そうして国立国会図書館の検索ページへ移動して調べましたが、やはり本の情報は出てきません。日本で発行された書物について、国立国会図書館を上回る検索サービスは存在しないので、この段階で「前提が間違っている気がする……」そんな考えが頭を過り、通常のグーグル検索で「佐山尚一 熱帯」と検索をしました。
すると(その当時ですが)一番上にAmazonの通販ページが現れたのです。

データが国会図書館になくてAmazonにある本?

通常であればこの条件に当てはまった資料の多くは「kindle(電子書籍)」あるいはAmazonの出版サービスを利用した「自費出版本」が多いのですが、この佐山氏の『熱帯』は出版年が著しく古く、およそ電子書籍になるはずのない本のように見えました。
それに佐山氏の『熱帯』のAmazonページは注文ボタンも押せないようになっていて、書影の画像こそありますが何だか妙にページがまっさらなのにレビューコメントがたくさんついています。
それらのコメントを読むと何故か皆さん「徹底してて面白いですね!」「やっぱりこの本はあったんですね!」といった妙に楽しそうなコメントが多かったのです(記憶を頼りに記載しているので完璧に同じ文面のコメントがあった訳ではありません)。
そして当時の私はAmazonページの隅に「プロモーション」と記載されているのに気づきました。

「もしかしたら本当にあるのかもしれないと思って……」

「もしかしてお探しの佐山さんの『熱帯』って、森見さんの『熱帯』に関係がある書籍ですか?」
「ああ、よく分かったねぇ。その小説で紹介されていたんだよ。家のパソコンで調べたらAmazonのページまでは見つけたんだけど、入手方法がないみたいで……」
最初からそこまで聞いておけば!
私はお時間をもらってしまったことに罪悪感を覚えながら、一度事務室へ入りました。
そして、昼休憩中だった森見さんファンの先輩に声を掛けました。
「先輩、佐山さんの『熱帯』って……ない、ですよね?」
「うん、ないない。出版社のプロモでAmazonの偽ページまであるけど、完全に森見さんの作中作で……もしかしてあるかどうか聞かれちゃった?」
その時の先輩の嬉しそうな顔は今でも覚えています。
私はカウンターに戻り、レファレンスを依頼してくださった男性に「①佐山尚一さんの『熱帯』は実在しないこと②ネットで見られる通販ページは出版社のプロモーション広告であること」をお伝えしました。
うんうんと頷いていた男性は申し訳なさそうに笑って、こう言いました。
「いやぁ、ごめんね付き合わせちゃって……もしかしたら本当にあるのかもしれないと思って」
彼も薄々気づいていたようです。
それでも図書館で質問してみようと思うほどにその実在を確かめたくなる『熱帯』という作品がどんなものかすごく興味が湧いてしまって、私も仕事が終わった後に思わず森見さんの『熱帯』を求めて本屋さんへ向かってしまいました。

ちなみに、この記事を執筆する時に改めてインターネットの検索をしたのですが、当時は閲覧できたAmazonの佐山尚一氏の『熱帯』のページはもうなくなってしまっているようです。
煙のように消えてしまった佐山氏の『熱帯』の通販ページを思い出すと「出会ってはいけない本」の記憶を持っているような不思議な気持ちになって、こどものようにわくわくしてしまいます。
書影の画像の名残はグーグルの画像検索などで確認できるので、気になった方は見てみてくださいね。

ここまでお読みくださりありがとうございました。
それでは、またの夜に。

古河なつみ

まずはお近くの図書館や本屋さんをぐるっと回ってみてください。あなたが本と出会える機会を得る事が私のなによりの喜びであり、活動のサポートです。