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【物語】二人称の愛(中) :カウンセリング【Session65】

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※前回の話はこちら

2016年(平成28年)08月17日(Wed)

 「東北被災地の旅」も今日が最終日である。学たち四人は、今回もいろいろな出逢いがあり、また気づかされたことも多い。やはり東京で暮らしていては、東北のひと達の現状を知ることが出来ない。それは新聞やテレビと言った報道が殆どされていないので、知るチャンスすら無いと言うことが学は身を持って感じたからだ。だから今回、学はみずきがまた「東北被災地の旅」に誘ってくれたことに感謝してもしきれない想いがあった。

 そして東北の地元のひと達が、自分みたいなよそ者を暖かく迎えてくれたことがとても嬉しかった。学自身、幼い頃から今まであまり陽の当たらない道を歩んで生きて来たからだ。だから余計いろいろと感じるものがあった。そんなことを考えながらホテルのレストランバーに向かうと、既にみずきたち三人は朝食を終えようとしていた。学はみずきたち三人の席に近づき、今日の予定を訊いたのだ。するとみずきがこう答えた。

倉田学:「おはよう御座います、みずきさん。みさきさん。ゆきさん。今日の予定はどうなってるでしょうか?」
みさき:「おはよう御座います、倉田さん」
ゆき :「倉田さん、おはよう御座います」
美山みずき:「おはよう御座います、倉田さん。そうですね。ホテルを朝9時頃チェックアウトして、わたし達三人は復興の支援のお手伝いがあるので、すいませんが仙台駅に17時集合でも大丈夫でしょうか?」
倉田学:「わかりました。僕は大丈夫ですよ。ちょっと気になった場所もあったので」
みさき:「どこですか、気になった場所とは?」
ゆき :「倉田さん、教えてください」
美山 みずき:「倉田さん。どこでしょうか?」
倉田 学:「それはですねぇー。宮城峡蒸溜所です」

 それを聴いた三人は、こう揃ったように言ったのだ。

ゆき :  「やっぱりー」
みさき:  「やっぱりー」
美山みずき:「やっぱりー」

 倉田と言う男は本当にわかり易い男だ。「思い立ったが吉日」と言うことわざは、学の為にあることわざに思える。幼い頃、両親から全てを否定され奪われて生きてきた学は、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられてからというもの、チャンスと言うのを大切にするよう教えられてきた。時間という概念は全てのひとに平等で、生命(いのち)は生まれた瞬間から崩壊(死のカウントダウン)が始まると言うことを聞かされていたからだ。
 そして学は大学で哲学を勉強し、その中で最も興味があったのが死生学(Thanatology)だったからである。生まれた瞬間、これだけは誰もが避けては通れないことは確かで、生きている時間(とき)をどのように使うかは、自分で選ぶことが出来ると感じていたからだった。

 だから学はそれ以来、出来ないことを探すのを止め、自分で出来ることを探す努力をするようになった。そして自分が幼い頃から好きだったこと、楽しかったことを思い出し、子供のようになって夢中で楽しんだのだ。それが学の場合は絵を描くことであった。こう言うのって、たぶん誰にでもあるんだと思う。ただそれに気づけるかどうかの僅かな違いだ。そしておそらく、お金になるからやるやらないでは、そう言った考えでは一生気づくことが出来ないのではないかと学は思っていた。好きだからやる。楽しいから続ける。これで十分じゃないだろうか・・・。

 そう思いつつ朝食を済ませ、学は自分の部屋へと戻った。そして荷物を纏めロビー下に、みずきたちと約束した朝9時少し前に行き、置いてあるソファーに腰掛けたのだ。少しすると、みずきたち三人が1Fロビーへとキャリーバックを転がしやって来て、学にこう言った。

美山みずき:「すいません、お待たせしてしまって」
倉田学:「大丈夫ですよ」
美山みずき:「ありがとう御座います。それではホテルをチェクアウトしましょう」

 こうして四人はロビーにあるフロントでチェックアウトを済ませ、学とみずきたち三人は別れたのだ。学はフロント係のひとに宮城峡蒸溜所までの行き方を聴いてタクシーをお願いした。しばらくするとタクシーがホテルに到着し、係のひとが学にタクシーが来たことを教えてくれたのだ。学はそのタクシーの後部座席に乗り込み、運転手さんに宮城峡蒸溜所までお願いしたのだった。

倉田学:「すいません。宮城峡蒸溜所までお願いしたいのですが」
運転手:「わかりました。お客さん、お客さんはこっちのひとじゃないよねぇ?」
倉田学:「はい。どうしてわかったんですか?」
運転手:「そりゃ、何年も運転してりゃあわかるよ。お客さんは、東北のひとと時間の流れみたいなのが違うからねぇー」
倉田学:「そうですか。僕の時間と仙台のひとの時間の流れ違いますか?」
運転手:「まあー、その土地その地域の雰囲気とか、そんな感じかなー。お客さん」

 そんな会話を学はタクシー運転手としながら一時間弱の時間で、その宮城峡蒸溜所に到着した。そして学は宮城峡蒸溜所へと入って行った。ここは仙台市街より奥まった山間に有り、自然に恵まれた場所で、夏の日でもとても過ごしやすい。そんな赤レンガ造りの建物が何棟か連なって建っていた。
 学はここで、ウイスキーが造られる工程や過程の案内を眼にしたのだ。そして各蒸留所により、造られるウイスキーの特性やコンセプトの違いを知ることができた。それは気候や風土が物凄く影響することを教わったからだ。学はこころの中でこう思ったのだった。

倉田学:「確か前に、じゅん子さんのお店のバーテンダーが言っていたけど、こう言う意味だったのか」

 そうそれは、ウイスキーをロック、水割りで飲むとき、その土地に合うものを選ぶ必要があると言うバーテンダーの話を思い出したからだ。学はこの「宮城峡蒸溜所」でウイスキーをテイスティングして、この赤レンガの建物の造りと、ウイスキーの「色」「香り」「味わい」「ピート感」を味わい楽しんだのだ。そして再び仙台市街へと向かったのだった。

 学は榴岡公園の近くにある蕎麦屋に入り、昼食としてもり蕎麦を食べた。とても素朴な味で、汁の味も出汁が効いていて美味しく頂くことができた。学が昼食を食べ終わると、みずきたちとの約束の時間17時までまだ時間があったので、学は榴岡公園を散歩したのだ。

 最初に学は榴岡天満宮に訪れた。この榴岡天満宮は学問の神様と言われている菅原道真を祀る神社で、受験シーズンになると沢山の参拝客が合格祈願に訪れるとのことだ。それから榴岡公園の中を歩き、椅子に腰掛け、学はカバンからスケッチブックを取り出した。そして何やら絵を描き始めたのだ。その絵は昨日見た「かしまの一本松」の絵である。

 学は昨日、眼に焼き付けたこの「かしまの一本松」の風景をスケッチしたのだ。そして書き上げると、色鉛筆で色を付けたのだった。本来であれば昨日見た「かしまの一本松」に葉が一枚も無かったのであるが、学の描いた「かしまの一本松」の絵には、力強く青々と松の葉っぱが付いており、その絵はとても力強く、生命(いのち)の息吹を感じさせてくれるような「かしまの一本松」であった。
 次に学は、宮城峡蒸溜所や榴岡天満宮の絵もデッサンしたのだった。こうしている内に、あっという間に時刻は約束の時間の17時近くになってきた。学は榴岡公園から歩いて仙台駅へと向かったのであった。道中、学は仙台市街の街並みを眺めながら駅へと到着した。すると既にみずきたちは到着しており、学が来るのを待っていたのだ。

倉田学:「すいません。お待たせしてしまって」
美山みずき:「大丈夫よ、倉田さん。これで全員揃ったわね。東京に戻るわよ」
ゆき :「はーい」
みさき:「はーい」
倉田学:「わかりました」

 こうして四人は東北新幹線に乗り、一路、仙台駅から東京駅へと向かったのだ。帰りの電車では、行きと違って皆んな少し疲れた様子で会話も少なかった。学は今回の夏の「東北被災地の旅」を振り返っていた。

倉田学:「僕はまた半年ぶりに、東北被災地に足を踏み入れたけど、本当にお役に立てただろうか」

 この学の自分への問い掛けに答えなど無い。それは今回、学と関わってくれた皆んなが決めることだ。そしてその感じ方もひとそれぞれ違う。これは心理カウンセリングと同じことが言える。結局は決めるのはクライエントだ。
 学に出来ることは誠実に丁寧に、そして真摯にひとと関わり向き合うことしか無い。その結果を評価するのはあくまでクライエントだったり、関わってくれた皆んなが決めることなのだから・・・。
 そんなことを思いつつ、電車は東京駅へと到着したのだ。そして四人は改札を出て別れの挨拶を交わした。

ゆき :「皆さんお疲れ様でした。倉田さんもありがとう。わたし姉のみきの分まで、しっかりとした幹木(もとき)となって両親を支えていきます」
みさき:「お疲れ様でした皆さん。今度は家族で、故郷の南相馬市にあるわたしの家に帰りたいと思います」
美山みずき:「皆んなお疲れさま。倉田さん、本当にありがとう御座いました。来年も一緒に行けるでしょうか?」
倉田学:「僕は『風の又三郎』。風が吹いたら、その時だけまた一緒に・・・」

 こう学は答え、目線を上にやったのだ。それを観ていた三人は、学が何を言いたかったのか何となく理解することが出来た。こうして四人は別れたのだった。学は電車に乗り、自宅近くの最寄駅である川口駅で電車を降りた。

 この晩も高架下ではひとりの女性が、声を張り上げ一生懸命に通勤や通学で行き交う道の脇で歌っているのだ。その女性はエリである。エリはこの日、手を怪我して手術する前にも関わらず、自分が歌うのを楽しみに待っててくれる、応援してくれている皆んなの為に路上で歌っていたのだ。そして彼女のオリジナル曲を数曲歌った後、中島みゆきの『過ぎゆく夏』と言う唄を歌ったのだ。

 学はこの唄を聴いて、子供の頃の夏休みのことを思い起こした。今回の「東北被災地の旅」を考えると、あの東日本大震災(3.11)を受け、子供たちがあの津波により海と言うものを恐れ、また美しい海や砂浜が失われて、それにより磯遊びが奪われてしまったのではないだろうか。また福島第一原発事故で、海水浴が奪わているんじゃないかと思ったのだ。
 僕たち大人は、子供たちに何をしてあげられるのだろう。僕たちの未来は、今いる若い子供たちやこれから生まれて来る子供たちだ。そんな子供たちに、夢を描きやすい世界にするのが僕たち大人の努めなんじゃないだろうか・・・。

 そんなことを考えていると、石巻で出逢った大川小学校の元生徒たちの顔が次々と想い起こされ、夜空を見上げたのだ。空はまだ僅かに明るく、お月様が東の方に顔を出していた。そしてその月を眺めていると、自然と学の眼から涙が溢れだしたのだ。改めて自分の無力さを痛感したのだった。そんなことを感じさせてくれるエリが歌う中島みゆきの『過ぎゆく夏』と言う唄であった。


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