03 U-r-0083の収容記録
前作:『02 Ace-r-0083の収容記録』
刻浦さんと初めて顔を合わせてから数日、U-r-0083部署は刻浦さんの話で持ちきりだった。私が作った質問コーナーは大活躍し、刻浦さんの人柄がだんだん判明してきた。ヘビースモーカー。猫好き。奥さんが大好きでいつも褒めている。年齢は相変わらず不明。ニンジャネタが気に入ったらしく時々折り紙の手裏剣を作ってデスクの上に置いていく。手先が器用。やがて彼に関する質問が減ると、質問コーナーは書き置きの場に変わっていった。書き置きは刻浦さんからすることが多く、返事を書くのは私たちになった。ヘビースモーカーなのに、彼が立ち去った後のオフィスには不思議と残り香はない。色々なことがわかっても、彼は変わらずミステリアスなままだった。
そんな日々から一ヶ月経った頃、クラウドを含む社内のネットワーク回線が全て復活した。アーティファクトたちの脱走もなく、穏やかな日々が続いている。
「おはようございます」
「おはようございまーす」
「おはよう……星川さん……」
佐井登さん、雨江嶋さんと挨拶を交わす。最近は彼女たちとも食堂でテーブルを囲むようになっていたが、今朝は別の人を探していた。トレーを持ったままというのもなんなので、私はひとまず彼女たちのテーブルに座る。
「うーん、いないな……」
「誰を探しているの……?」
「ああ。ええとですね、駿未さん探してるんですけども」
周りを見渡してみるが見つからない。
「あら……本当……。いないわね……珍しい……。寝坊するタイプじゃないのに……」
「駿未さんって私一度も会ったことないんですけど、どんな方なんですか?」
「どんな? うーん、どう言ったらいいんだろう? いい人ですよ。ちょっと口調が緩い人です。加奈河さんと同期で……」
「へえー」
「星川さんの言ういい人は……みんないい人だから……優しい人なのでしょう……」
「あれ、雨江嶋さんは駿未さんとは知り合いでは?」
確か雨江嶋さんは加奈河さんとそう勤続年数が変わらなかったと記憶している。加奈河さんのことは昔から知っているようなので、駿未さんのことも知っていると思ったんだけど。
「それが……何度か見かけたことはあっても……直接話したことはないの……」
「えっ? そうなんですか?」
「だって……この会社……人も多いし結構広いもの……。勤務中一切顔を合わせない職員がいても珍しくないし……顔を知っているだけの職員もいるわ……」
「なるほど。てっきり加奈河さんをご存知なら駿未さんとも顔見知りだと思ってました」
「ところで……彼を探しているのはどうして……?」
「ああ。先日、本を借りたんですよ。読み終わったので返そうかなと」
「そう……。朝会えなくても……きっと昼には会えるわ……」
「そうですね。じゃあお昼に……あっ」
ちょうど駿未さんが食堂に顔を出す。暗闇さん、加奈河さんと一緒だ。珍しい。
「来た来た。ちょっと行ってきますね」
「いってらっしゃい……」
「駿未さーん」
私は三人に駆け寄っていく。
「やあ、星川さん。おはようー」
「星川さ〜ん♡ 今朝も可愛いよ♡」
「おはようございま、うっ……」
駆け寄ってきた私を暗闇さんが抱きとめる。あの、恥ずかしいんですけども。公衆の面前で。すかさず加奈河さんが持っていたバインダーで暗闇さんの頭を叩く。
「いった!?」
「朝から俺の前でいちゃつくな」
「こわ……独身男がなんか喚いてる……」
「てめえ」
「どうどう、加奈河くん。それで星川さん、何かご用?」
「えっと、借りた本を返そうと」
暗闇さんが離してくれないので彼の腕の中で体をひねって本を差し出す。
「ああ、これね。ありがとう、ちょうどそろそろ読み返そうかと思ってたんだ」
「何貸したんだ?」
「新発売の小説だよ。彼女好きそうだなと思ってねえ」
「ふうん」
「加奈河くんも読むかい?」
「俺はいい。読むの遅いし」
「あら、そう」
雨江嶋さんたちのいるテーブルに向かいながら男性たちに話しかける。
「加奈河さんが暗闇さん迎えに行ったのはわかるんですけど、駿未さんと暗闇さんが一緒なのはなんか珍しいですね」
「そうかな? 結構お喋りしてるよ僕とナイルさん」
「そうなんですか?」
暗闇さんを見上げる。
「割とね」
「へえ」
知らなかった。この二人気が合うのかしら? テーブルに戻って来たので私は着席する。
「おはよう雨江嶋、佐井登」
「おはようございます加奈河さん、ナイルさん。駿未さん初めまして! 佐井登と言いますー」
「おはようございます……直接お会いするのは初めて……雨江嶋です……」
「おはようございますお二方。いいなあ加奈河くん、素敵な女性たちに囲まれてて」
「ああ、そういえば駿未の部署は男だけだったな」
「そう。今時男のみの部署っていうのもなんだかね、つまらなくて。本当は是非ご一緒したいんだけど、僕今朝はちょっと野暮用があって。食事買ったらそのまま移動しちゃうから失礼するね」
「あら、残念」
「僕も残念。じゃあ、また今度ね」
暗闇さんは私の隣に座り、加奈河さんと駿未さんは食事を取りにカウンターへ向かう。
「……なんだか駿未さん、時々食事の時に会えないんですよね。個人的な用事って言ってるけどなんだろう?」
「なあに星川さん。気になるの?」
「うーん、まあ。それなりに?」
「直接聞いてみたら?」
「さすがにうざったくないですか? そんな小さなことをわざわざ聞くの」
「星川さん相手だったら気兼ねなく答えてくれるんじゃない?」
「暗闇さん……私に対する絶対的な信頼は嬉しいんですけど、駿未さんは暗闇さんじゃないので必ずしもそうではないかと」
「おや、心外だな。これでも人間観察は結構得意なのに」
「……暗闇さんの観察眼的には駿未さんは嫌がらないと?」
暗闇さんは微笑みながら頷く。そうかなぁ……。
「うーん。まあ、忘れてなかったら聞いてみます」
「そうするといいよ」
「ナイルさん、今日食事は?」
「夕刻に食べてみようかなーと思ってるから。朝と昼はいいや」
「そうですかー」
暗闇さんは本来、人と同じ食事はしないけどたまに趣味として食べているそうだ。なので全く食べない日もあるし、三食摂る日もある。でも水分は必ず取っている。生物としてやはり水分は必要不可欠なのだろうか?
水の入ったコップを前に、暗闇さんはタブレットを開く。まだ始業時間ではないのに。
「仕事ですか?」
「急ぎの用事を科学部署に頼まれてね。何気に人遣い荒いよねえ。私、人じゃないけど」
「みんなナイルさんが色々手伝ってくれるからって頼みすぎだと思いまーす」
「私もそう思いますぅ。給料払え」
「すっかり食堂で人と一緒に食べるようになってるのに、職員みたいなカード持たせてくれないし融通効かないですよね」
「まあ一度ネットワーク破壊してるからね。信用出来ないんじゃない?」
「カードは与えないのにタブレットは与える……矛盾しているわね……」
「本当にね」
オムレツを口に運んでいると、食堂を刻浦さんと数人の職員が団体で通り過ぎていく。日が昇ってからの時間に彼を見かけることは珍しく、私はあっと声を出した。
「どうしたの?」
「ああ、刻浦さんを見かけたので」
「え、どこですか!?」
あそこに、と言う頃には彼らは食堂を出ていくところで佐井登さんは刻浦さんを見損ねてしまった。
「ああん、残念」
「朝見かけるのもですけど、数人でぞろぞろ歩いてたのも珍しいんですよね刻浦さん」
「大変だねえ刻浦署長は。見かけるだけで注目されて」
「いや〜謎のイケメンとか私と世間が放っておきませんよ。既婚じゃなかったら私もっとグイグイいってました」
「なるほど、佐井登さんはああいう男が好きと」
「イケメンが好きなんですー」
「面食いかぁ」
きゃいきゃいと賑やかな周りをよそに私は加奈河さんが刻浦署長は上層部かもしれないと言ったことを思い出していた。一緒にいたのがその上層部の面々とすれば説得力が増す。彼らが夜にしか動かないのは顔や人数を他の職員に気取られないようにするためだろうか? しかしそれなら、なぜ今日は朝から行動をしていたのだろう? 考え事のせいでオムレツを味わう暇もなく、私は食事を終えた。
暗闇さんは相変わらず私が他のアーティファクトの作業にあたるのは嫌がったが、今日のような日はそうも言っていられない。私は別の部署のアーティファクト相手に作業を行うべく廊下を移動していた。アーティファクトはそれぞれ固定の作業員をあてた方がいい場合とそうでない場合があり、部署によって職員の構成は様々だ。U-r-0083部署は私以外にも作業出来る職員が増えたこともあり、固定の職員が作業にあたるとはいえたまにこうしてデスクから腰を持ち上げることも可能だった。今向かっている部署に収容されているT-n-0092は固定の職員をあててしまうと職員が“成長”してしまうため遠い場所の部署からも作業員があてられている、悪い意味で有名なアーティファクトだ。0092部署から最も遠い場所にいる職員は毎回嘆く。エレベーターやオートの歩道があるとは言え、施設を端から端まで移動すれば結構な時間がかかる。移動時間を犠牲にしてでも作業員を交換しないといけないなんて、手間がかかるなぁ。
私はいつぞや暗闇さんと来た、カメラの死角が存在する廊下に差し掛かる。するとその死角で立ち話をしている職員がいた。一人は真後ろからでも分かる灰色の髪、刻浦さん。もう一人は駿未さんだった。駿未さんの表情を見るに談笑しているみたいだ。この二人も気が合うのだろうか? 私は作業に向かっている途中だし、と思い挨拶もそこそこに通り過ぎようとする。
「こんにちは」
「やあ星川さん」
「星川くん、ちょっと」
刻浦さんに手招きをされる。
「なんですか?」
近寄ると無言で頭を撫でられる。まるで小さい子を相手にするように。刻浦さんは案外ボディタッチが好きらしい。不快ではないので私は大人しく受け入れている。
「刻浦さんは撫でるの好きだねえ」
刻浦さんは満足したのか、手を離すと煙草を取り出す。
「ちょっとちょっと、ここ喫煙所じゃないよ」
「ん、ああ」
彼は口にくわえかけた煙草を仕舞う。
「ヘビースモーカーも大概にしなって。肺を悪くするよ?」
「姉のようなことを言うね」
「お姉さんにも口酸っぱく言われてるわけね」
私は二人の顔を交互に見る。随分フランクに話しているが、駿未さんは刻浦さんが上層部の人とは思っていないのだろうか? それとも単純に友達なのだろうか?
「……お二人はご友人なのですか?」
「ん? うーん、どうだろうね?」
「友人とは言い難いな」
「違うんですか? 仲が良さそうに見えたんですが」
二人は顔を見合わせ、刻浦さんは目を伏せ、駿未さんは肩を竦める。そう言えば、この二人身長ほぼ一緒。いいなぁ、背が高くて。
「仲悪くないのは確かだけど、仲良しかと聞かれるとなんとも言えないよね」
「そうだな。とりあえず、顔見知りなのは確かだ」
なんだそれ。
「私、作業に向かうところなので失礼します」
「ああ、引き止めて悪かったね」
「いえ」
会釈してその場を後にする。
しばらくするとT-n-0092の収容部屋が見えてくる。扉の前に立ち、作業内容を確認する。
「えーと、十分以上の作業は禁止。肉体への接触禁止。人形かおやつを与えて挨拶をすること。雑談はしていいが彼女からの質問には答えてはいけない……」
音読して内容を頭に入れていると、サイレンも鳴らずに警報装置がピカピカと光る。あれ? と疑問に思った瞬間ぞわりと背中に冷たいものが走る。後ろに何かの気配が近づいてきている。この感じは、やばい。私は出来るだけ静かに手早くカードを挿入し0092の部屋に入る。どうしてだろう、カードキーの音もしない。0092の部屋は二重扉になっているため慌てて扉を閉めもう一度カードキーを使う。今度はピッと音がした。0092の姿を確認する前に私は廊下の方を向いてしゃがみこむ。鼓動が大きくなる。背後に気配がして、私は振り向く。黒く長い髪をだらりとさせた顔の見えない少女が立っている。しまった、気が動転して0092への挨拶を忘れてしまった。私が慌てて口を開こうとすると、0092は口のあるあたりに人差し指を立てる。音を立てちゃダメよ、と言われた気がした。私は口を結ぶ。0092がゆっくり近づいてくる。触れてはいけないので、姿勢を低くしたまま彼女と扉から離れる。0092は背伸びをして扉についている窓から廊下を覗く。何かを確認すると、彼女も姿勢を低くして一度私の近くに来る。0092は何かを探すそぶりを見せると部屋の真ん中へ移動する。画用紙とクレヨンを抱えて戻ってきた。なんだろう? 彼女は何か書き始める。
(おとをたべるおにがきたわ)
なるほど、筆談ね。音を食べる鬼、をヒントに私は緊急マニュアルから脱走したであろうアーティファクトを探す。周囲の環境に影響するタイプならtailorの性質のはずだ。
(これだ、K-t-0054)
K-t-0054『無響殺人』と書かれた部分を読み進める。周囲の音を吸収する性質。人間は完全な無音に身を置くと数分でパニックになるので、遭遇した際は0054から離れ防音された個室に逃げ込むこと、とある。幸い、多くの収容部屋は防音されているのでさっきの判断は間違っていなかったようだ。社用の端末を取り出し本部への緊急用連絡アプリを立ち上げる。遭遇したかしていないか、逃げている最中か身を潜めているか、などの簡単な質問が並んでいるので答えを選択していく。
(遭遇した。身を潜めている。すぐに指示が欲しい。えーと……)
落ち着いて文章が打てる状態なので私はさらに細かく現状を補足欄に記していく。内容を確認して本部へ送信。打っている間に気分が落ち着いたので、廊下を確認しようと思い腰を上げる。けど、すぐさま両手を広げた0092に進路を塞がれる。彼女は首を横に振り覗くのもダメだと伝えてくる。うーん、鎮圧部隊が出動したかどうかとか確認したかったんだけどな……。仕方ないので私はもう一度座る。0092が画用紙と赤いクレヨンを差し出してくる。指示が飛んでくるまでは待つしかないからなぁ。私はクレヨンを受け取って彼女と床に座ったままお絵かきを始める。二分ぐらい経っただろうか。端末が震えたので受信内容を確認する。
(鎮圧部隊が現在0054を再収容するため対処中。Dマイナス職員・星川は0054が再収容されるまでは0092の収容室で待機。作業時間を超過した場合脱出後すぐ検査を受けること)
つまりは十分を越えても再収容されていなければ部屋の外へ出てはいけないらしい。うーん、困った。ふうとため息をついて天井を仰ぐ。0092の部屋は子供部屋のようになっていて、天井にも絵が描いてある。それを眺めていると再び端末が震える。U-r-0083部署のグループメールだ。
(星川無事か?)
加奈河さんだ。私はすぐ返事を打つ。
(無事です)
(本部へ連絡は?)
(しました。0054の再収容が確認されるまでは0092の部屋で待機するよう指示されています)
(わかった。0054の鎮圧部隊にナイルが加わっているのであいつとは連絡が取れない。不安ならここに色々書き込め)
加奈河さん、優しいなあ。
(ありがとうございます。今0092とお絵かきしてるんですが、結構楽しいです)
(星川さんって結構タフね……こういう時)
(すごいですよねー! 私だったらすぐ慌てちゃう!)
佐井登さんと雨江嶋さんが砕けた雰囲気にしてくれたので、私はくすっとする。
(何も出来ないので、落ち着くしかないんですよねえ)
(それがすごいんですよー)
そうなのかしら? つんつん、と袖を引っ張る感触がしたので私は端末から目を離す。0092が赤いクレヨンを使いたい、と指すのでクレヨンを渡す。再収容の連絡はまだ来ない。時計を確認する。部屋に入ってから八分ほど経っており、これは十分経っても無理だなと悟る。諦めて報告書に手をつける。作業時間超過と備考欄に書き加え、0092と同じように床に寝転びお絵かきを再開する。0092は前髪が後ろ髪と同じ長さになっているので表情はわからないが、楽しそうにお絵かきを続けている。喋らなくても感情ってそれなりに分かるのよね。私は画用紙の隅に、かくまってくれてありがとうねと書いて彼女に見せる。匿うの意味がうまく伝わらなかったらしく彼女は首をかしげるので、隠れるのを手伝ってくれて、と書き直す。今度は通じたらしく彼女は嬉しそうに何度も頷いた。0092は私の隣に来て同じ画用紙に返事を書いてくれる。
(おねえさんはかくれんぼがじょうずね)
(ありがとう)
(きのうのおにいさんは、おてだまがじょうずだったの)
(すごいね。わたしはおてだまできないなぁ)
(れんしゅうすればきっとできるわ)
彼女はお手玉を取りに行って戻ってくる。見ててね、と示し目の前でテンポよくお手玉を動かす。本当なら歌がついているんだろうなと思いながら、その動きを見ている。やってみてとお手玉を手渡されたので挑戦してみる。お手玉の落下地点を予想するのは結構難しいものだ。それでも、彼女と交代しながらお手玉を動かすとそれなりに出来るようになっていた。お手玉に満足した頃端末が震える。0054を再収容したという本部からの連絡だ。やっと声が出せると私は安堵した。
「もうかくれんぼしなくていいよ、って連絡が来たわ」
「怖い鬼もういない?」
彼女は確認するため廊下を覗く。満足そうに頷いて私に向き直る。
「怖い鬼いない。よかったねお姉さん」
「うん。じゃあ、私帰るね」
「ばいばい」
「ばいばい」
部屋から出て数歩踏み出すと、めまいに襲われる。0092と長く過ごしたせい? 立っていられずその場にへたり込む。頭がくらくらして瞼の内側に火花が散り、耳鳴りがする。色々な人の声が近くで聞こえる。暗闇さんと初めて会った頃を思い出す。そういえば、あの時も火花が散ったっけ。強いめまいに耐えきれず、私は壁に寄りかかる。朦朧とする頭でなんとか内線を取り出し、誰かに連絡をする。言葉を発したかどうかわからないうちに私は気を失った。
目を開けると、白い天井。どうも医務室に運ばれてきたらしい。この施設の場合、医務室とは言っても規模としては小さな病院なので結構広い。ぼんやり天井を見つめる。めまいは消えていたが頭がぼーっとする。誰か判別は出来ないが、近くで知っている声がする。さわさわと風のような音もしている。近くに誰か来たので、私はそちらに顔を向ける。サラサラの黒い髪、伏せ目がちの黒目。鐘戸さんだ。
「星川さん、目覚めたのね。私のこと誰だかわかる?」
私は頷く。
「そう、よかった。0092の作業中に0054の脱走に巻き込まれたのは覚えてる?」
再び頷く。なんとも気怠い。
「0092からの影響が大きかったみたいだから魔術部署の職員が呼ばれたの。処置は終わってるけど、まだぼんやりしているわね。医師を呼んでくるから待っててちょうだい」
鐘戸さんはそう言うと部屋を出ていく。彼女の立ち去る背中を目で追って、個室にいることを知る。暗闇さんは怪我しなかったかな。本当はすぐにでも彼の安否を確認したいが、思考に霞がかかった感じと気怠さでどうにも動けない。再び眠ってしまわないようになんとか入り口を見つめていると刻浦さんの姿が見える。彼は音もなく部屋に入ってきた。
「おはよう、星川くん」
「……おはようございます」
「0083は無事だよ」
「そうですか……よかった」
「念の為検査を受けているけれどね。加奈河は今0083と一緒にいるので私が代わりにここへ」
刻浦さんが私の額に手を当てる。温かくて大きな手。瞼が重い。熱が出ていないのを確認すると刻浦さんは私の頭頂部を撫でる。
「眠っても構わないんだよ、星川くん」
「お医者様がくるので……起きてないと」
「それは君の頭がしゃっきりしている時でいいんだよ。眠いのなら眠りなさい」
私は頷いて、瞼を落とす。刻浦さんがゆっくり頭を撫でている。その時私は、それが父親の優しい手だとはっきりわかった。彼に子供はいないはずなのに。そういえば昔、高熱を出した時にお父さんにこんな風に寝かしつけられたっけ。刻浦さんが子守唄を歌い始める。暖かい眠気に襲われ、私は意識を手放した。
広い宇宙の中で小さな光が見える。小さな炎。星から生まれた子供。星になる前の子供。その子は泣いている。妹が帰ってこないと、泣いている。私はごめんね、と呟いた。
耳元で誰かが穏やかに会話をしている。ゆっくり意識が浮上する。白い天井。私はまだ医務室にいるらしい。気怠さは多少残っているものの先ほどとは違い、起き上がれないほどではないので半身を起こす。
「やあ、星川さん」
私の顔を覗き込む人がいる。ああ、暗闇さんだ。よかった、元気そう。
「おはよう、ございます」
「おはよう。あー、まだ辛そうだね」
「なんか頭がぼんやりして……。暗闇さん、怪我してないですか」
「え? 私? 私は平気だよ。私より自分の心配してよー、もー」
「私は眠いだけなので……」
瞼が重くてほとんど開けていられない。暗闇さんが上着をかけてくれて、肩を抱いてくれる。ベッドの端に腰掛けた彼に寄りかかる。
「まだ寝かせておかないとダメそうだね、これは」
「まあ、すぐには回復しないだろう」
答えているのは刻浦さんだ。あのままずっとここにいてくれたのだろうか? 加奈河さんはどこかな。心配しているかもしれない。
「加奈河には知らせるかい?」
「ああ、後でな」
コンコンと個室の扉をノックする音が聞こえる。誰だろう?
「おや、星川さん目が覚めたの?」
この声は駿未さんだ。ぼんやりした頭でそっちを向く。駿未さんが私の顔を覗き込む。
「うーん、まだしゃっきりしてない感じ?」
私は頷く。
「そっか。まあ仕方ないね。0092の部屋に二十分以上いたみたいだし」
「私……そんなにあの部屋にいたんですか……?」
「おや、受け答え出来るまでには回復したのね。うん、結構長くいてね。長く接触した分回復にも時間かかるだろうから無理しないようにね」
「はい……」
駿未さんは私の肩をポンポンと叩く。
「それで?」
刻浦さんが二人に話を促す。
「三割ぐらいにはなったんじゃない?」
「私的にはまだ二割って感じなんだけど。三割もいったかい?」
「もう少し意識がはっきりしてから色々聞いてみようよ」
二割? 三割? なんの話だろう?
「ふむ、駿未くんの状況は?」
「僕の方はいい感じだよ。半分はいったかなぁ」
「いいペースじゃない」
「おかげさまでねえ」
「そのまま引き続きよろしく頼む」
「はあい。刻浦さんの方は?」
「こちらも進み具合は悪くない。そうだな、あと三日ほど待ってもらえれば良い」
「思ったより早かったねそちらは」
「そうだな。私もこのまま引き続き進めよう」
「よろしく」
「では解散。私は通常の仕事に戻る」
「僕は加奈河くん呼んでこようか」
「よろしくー」
席を立つ音がする。刻浦さんは去り際に私の頭を撫で、駿未さんはまたねと声をかけてくれる。私はぼんやりした状態で二人に手を振って見送った。暗闇さんによりかかったまま彼を見上げる。
「今の……なんのお話ですか?」
「ん? なにが?」
「二割とか、三割とかって」
「あら、筒抜けだったか。一応君にわからないよう話していたんだけど」
「普通に話してたじゃないですか……この近さだし聞こえますよ」
「んー、そうでもなかったんだけどね」
彼はにんまりしている。なんだろう?
「また眠ったら?」
「あんまり眠ると目が溶けちゃうので……」
「そう?」
足音がして、部屋に誰かが訪れる。
「星川さん」
「星川、大丈夫か?」
鐘戸さんと加奈河さんだ。まだ瞼は重いが二人に微笑む。
「おはようございまーす」
「あら、さっきより元気そう」
「よかった。今ここへ来るついでに医師に聞いてきたが、一日安静にしていた方がいいそうだ。このまま休んでなさい」
「わかりました……。さっきの脱走、怪我人とか出たんですか?」
「数人な。でも軽傷だし大したことはないよ」
「よかった……」
「星川さん、必要なものがあったら私、持ってくるけど。なにか欲しい?」
「んー……特には……。あ、一個だけ……」
「なあに?」
「暗闇さん、このままここにいてください」
私は彼のシャツをつんと掴む。
「もう少しだけ……お願いします」
全員が顔を見合わたような間を感じる。
「加奈河の許可があればいくらでもいるんだけどね」
「……仕方ない。ナイルは手の空いてる職員に見張らせる。待ってろ」
「ありがとうございます……」
「私は戻るわ。何かあったらすぐ呼んでちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
「お大事にね」
二人が立ち去る。私は体をひねって両腕を暗闇さんの腰に回す。
「眠そうだねえ」
「ねんむいです」
「横になりなよ」
「嫌です。暗闇さんどっか行っちゃう」
「どこにも行かないよ」
暗闇さんは私を抱きしめて頭を撫でている。温かいし眠いけど、眠りたくないので彼の肩に顔をぐりぐりと押し付ける。
「さっき、夢を見ました」
「どんな?」
「宇宙の真ん中で、炎の精霊が泣いてて。妹が帰ってこないって」
「そう」
「私、あの時ひどいこと言っちゃったかも」
「……今度会ったら謝ればいいよ」
「今度って、いつですか?」
「今度は今度だよ」
「んー、よくわからない」
「わからなくていいんだよ。いいからお眠り。疲れてるでしょ」
「いやでーす」
「強情だねえ」
彼はあやすように背中を叩く。眠くて全て溶けてしまいそう。夢へ落ちないように暗闇さんのシャツを掴む。まだそちらには行きたくない。それでも眠気は私を離してくれず、ずるずると夢へ引きずる。やめて、連れて行かないで。懇願も虚しく、私の意識は再び深くへ落ちた。
三日三晩私は眠り続けた。再び目を覚ました時には眠気も気怠さもすっかり消えていて気持ちよく目が覚めたけど、三日間眠っていたと聞いて慌てて支度をする。シャワーを浴びて検査を受ける。検査結果を見た医師たちが窓の向こうで話し合いながら難しい顔をしている。うーん、今日も戻れないのかしら。あんまり休んじゃうと周りに迷惑かかるし嫌なんだけどな。画面とにらめっこをしている医師たちに刻浦さんが近付いてきて話しかける。刻浦さんは今日は制服ではなく、上品な藍色のスーツに身を包んでいる。医師は検査結果を彼に見せ話を続けている。刻浦さんは彼らの話を聞きながら何度か頷き、何か指示を出す。医師たちはどこかへ行き、刻浦さんは検査室のベッドに腰掛けている私の隣へ来て座った。
「おはよう星川くん」
「おはようございます」
「検査結果なんだがね、健康体ではあるよ」
「そうですか」
「ただ、0092の影響で全体的に変わってしまっていてね」
刻浦さんは検査結果の挟まったバインダーを手渡してくれる。
「下の紙が以前の君の身体ステータス。上が今のステータスだ。見て欲しいのはここ。魔術面でのステータス値が大きく跳ね上がっている」
刻浦さんが見るべきところを指でとんとんと叩く。彼は今日、茶色の革手袋をしている。
「……魔術師みたいになったってことですか?」
「簡単に言えばそうなるね。魔術部署に配属されてもおかしくないぐらい、今の君は魔術の素養がある」
「えー、異動は困ります……」
「君が望まないなら部署の異動はないよ。ただ、魔術部署で訓練は受けることになるかもしれない」
刻浦さんは立ち上がる。
「加奈河くんが迎えにくるから、それまでここにいなさい。私は失礼するよ」
「わかりました。……今日はスーツなんですね」
「会議でね」
刻浦さんは私の頭を撫でて出て行った。手渡された検査結果を見ている。円グラフになっている魔術ステータスが、以前に比べてふた回りぐらい大きくなっている。T-n-0092の影響で私は成長してしまったらしい。酷く眠かったのは体に大きな負担がかかったせいなのだろうか。
制服に着替えて待っていると加奈河さんと鐘戸さんがやってくる。しゃっきりした私を見て二人とも顔がほころびる。
「刻浦さんからすでに指示を受けていてね。星川は朝食後、魔術部署へ行ってもらう」
「魔術師になるためのものとは違うけど、魔力の制御を覚えてもらうために基礎訓練を受けてもらうわ。今後は仕事の合間にやることになるから忙しくなるけど……」
「頑張ってみます」
「まあ、無理しないようにな」
「はい」
朝食を摂りに三人で食堂へ向かうと、円衣さんが駆け寄ってくる。
「星川ちゃ〜ん!」
ぎゅうっと抱きしめられる。
「心配したんだよ〜! このまま眠り姫になっちゃったらどうしようって!」
「大丈夫ですよー」
「円衣、病み上がりなんだから手加減してあげて」
「はうあう……」
円衣さんは私を離す。彼女は涙ぐんでいた。相当心配させてしまったようだ。
「心配かけてすみません」
「ううん。よかったら一緒にご飯食べよう、星川ちゃん!」
「ええ、もちろん」
円衣さんたちと一緒に朝食を受け取りテーブルに戻ると、0083部署のみんなに加え駿未さんが座って待っていた。仲のいい人たちだが、全員が集まるのは初めてだと思う。
「星川さんおはようございます!」
「やあ、おはよう眠り姫ー」
「おはようございます」
「おはよう星川さん。せっかくお目覚めのキスでもと思ったのに、刻浦署長にチャンス奪われたんだけどあいつひどくない?」
「刻浦さんも……仕事だから……仕方ないと思います……。おはようございます……」
周りがわいわいと会話をしながら食事を進めていく。円衣さんと佐井登さんがお洒落の話で盛り上がったり、暗闇さんが加奈河さんをいじってそれを駿未さんが仲裁したり。鐘戸さんと雨江嶋さんは非常に静かで、食事に集中している。私はみんな一緒なのが嬉しくて、それを見ながらスパゲッティを口に運ぶ。話題は最終的に今回私の身に起きたことへ移り、身体ステータスが大きく変わってしまったことを話した。
「えっ! じゃあじゃあ、星川ちゃん魔術部署に通うのー?」
「ええ、まあ」
「また魔術部署か! ぐわー!」
「円衣さん……まだ根に持っていたんですね……あの件……」
「当たり前じゃないかー! 円衣さんの優秀な助手だったのに!」
「引き抜かれたの、円衣さんの助手さんだったんですか?」
「そうだよー。すっごく優秀だったし、人事交代ちょっと大変だったんだよねー」
「引き抜きとかあるんですねー」
「あるんですよー。僕の部署も何度か人員交代しててさー、異動も含めて。この前ごっそり死んじゃったけど」
「駿未、そういう反応に困る話をさらっと言うな」
「ああ、ごめん」
「この職場人間ぽこぽこ死ぬよね。もうちょっと丁寧に扱ったら?」
「お前がそれを言うな」
「お、そうでした」
「加奈河さん……私……星川さんに付き添いたいのですが……今日……」
「雨江嶋も? あー、どうする鐘戸?」
「そうね、出来たら魔術師は一人でも借りたいところ。星川さん魔術は初めてだし、知った顔が多い方が緊張しなくていいわ」
「そうか。じゃあ、星川をよろしく」
「はい……。そういうわけだから……一緒に行くわね……」
「ありがとうございます」
食事を終えて解散する。別れ際に円衣さんにまたぎゅうと抱きしめられ、暗闇さんには頬に口付けをされてしまった。鐘戸さん、雨江嶋さんと共に魔術部署へ通じるエレベーターへ向かう。
「雨江嶋さんは、入社してからずっと魔術部署だったんですか?」
「ええ……そうよ……」
「雨江嶋さんを引き抜くって言われた時は正直困ったわ。うちの部署で一番の呪術師だったし」
「じゅじゅちゅ……呪術師ですか」
噛んじゃった。
「そう……私は呪い師……。鐘戸さんは占い師……得意としていることが違うの……」
「なるほど。専門分野が違うんですね」
「ええ、そうよ」
エレベーターを降り、黒い壁の廊下を歩く。さわさわと風の音がする。医務室で聞いた時のような音だ。ここ、風は吹いていないはずなのにな。金で縁取られた扉をくぐり、高級ホテルのような高い天井のホールに入る。台座の周りに魔術部署の職員たちが集まっていて、私たちを待っていた。私は台座の短い辺の方に立たされる。いわゆるお誕生日席の位置だ。鐘戸さんが私の隣に立っている体格のいい男性に視線を向ける。
「さて、今日からうちの部署に通うカワイコちゃんの紹介よ〜♡」
口調が女性。えーと、LGBT? だっけ。そういう人に会うのは初めて。
「星川光ちゃんっていうのよ〜。0083部署の子ね。基礎訓練受けるだけだから、異動じゃないんだけど。よろしくね♡」
「よろしくお願いします」
お辞儀をするとパチパチと控えめな拍手を受ける。個性的な見た目の職員を想像していたが、魔術部署の人たちは思ったより普通の格好だった。
「星川ちゃんは基本的に鐘戸が指導するわ♡ でもわからないことあったら周りにたくさん聞いてちょうだいね。みんなも協力してあげてね♡ 私はここの署長、塙山(はなやま)よ。よろしくね♡」
「はい、よろしくお願いします」
握手を求められたので、塙山さんの手を握る。刻浦さんより大きいかもしれない。厚い手だ。
「ま〜、やわ肌♡ 羨ましい♡ じゃあ、他の人は通常通りね。お仕事頑張って〜♡」
塙山さんの号令で職員たちはあちこちへ動く。二、三人壁に吸い込まれていったのだが、見なかったことにしたい。
「雨江嶋ちゃん久しぶりじゃな〜い!?」
「おはようございます……星川さんのサポートに来ました……」
「あら、ありがとう♡ そしたら鐘戸と一緒に補助お願いね♡」
「はい……」
「こっちよ、星川さん」
「あ、はい」
雨江嶋さんと一緒に鐘戸さんの後ろについていく……がどう見ても壁だった。私も壁に吸い込まれるのだろうか。彼女が懐から短い杖を取り出し壁を叩く。壁が消え、通路が現れる。
「おお、魔法っぽい……」
「魔術だもの」
部屋に入ると、中央に等身大の人の大きさの木のマネキン、周りは開けていて円状に壁や棚が設置されている。棚には色々なハーブ、本が並んでいる。
「すごい……」
本当に魔法使いなんていたんだな、と今更考える。雨江嶋さんが背もたれのない小さな椅子を持ってくる。人形は端っこへ動かされ──というか自ら歩いていったのだが──小さな椅子が代わりにそこへ陣取る。
「座って……」
「はい」
鐘戸さんが何か小さなハーブの束と、色々な小物が乗った箱を持ってくる。
「まずは、星川さんの魔力の属性を調べるわ」
「属性?」
「火の魔法が得意か、水の魔法が得意か。といったことを初めに調べるの。自らの属性を知るのは大事なことなのよ」
「ほうほう」
鐘戸さんは手の平サイズのハーブの束を小さなお皿に入った水につけてそれを私の顔や肩に散らす。んん、冷たい。
「両手を出して、この石を置くからそのまま動かないでね」
「はい」
石鹸のような白い石を手の上に置かれる。大きさの割にずっしりとしている。じっと待つと、石の表面から湯気のようなものが立ち上る。鐘戸さんはピンセットで挟んだ小さな紙を湯気に当てる。すると紙は燃え出し、灰になった。
「属性は火ね」
鐘戸さんの指示で雨江嶋さんが何かメモをしていく。
「なんだか科学みたいですね」
「真理の探究、という意味では科学も魔術も根本は同じよ。追求方法が違うだけ」
「なるほど」
「以前Q-n-0067に気に入られていたけど、貴方に同族意識を持ったのかもしれないわ。火の気配を感じたのでしょう」
「あら……あの女王様が星川さんを……?」
「ええ、そうなの。会ってすぐ肩に乗ってね」
「やるわね星川さん……」
「あ、ありがとうございます?」
属性がわかったので、次は人形を使って別のことをするらしい。椅子や道具を片付け、棚にはカーテンがかけられる。
「火の属性の使う杖はこれ。好きなものを選んで。無意識に自分に合ったものを選ぶはずだから」
五本の杖が入った浅い箱を目の前に出される。木の色が若干違うようだが、あまり見た目の差はわからない。私はなんとなく一番右の杖を選んだ。
「まあ、それでしょうね」
「でしょうね……」
二人は私が右端を選ぶとわかっていたようだ。
「右端の杖は、触媒に不死鳥の羽が使われてるの」
「女王様の羽とは別物ですか?」
「ええ、別のものよ。その杖の中身はもっと古い、別の場所にいた不死鳥の羽ね」
「へえ……」
私は杖をまじまじと見つめる。この木の中にどうやって羽を入れているのだろう?
「じゃあ星川さん、あの人形を狙って杖を振ってちょうだい」
「えっ、いきなり振るんですか? 呪文とかは?」
「呪文を覚えるのはもっと先よ」
「貴方はまず……魔力の出し入れを覚えるの……」
「そう。人は常に一定の魔力を体に溜めているのだけど、呼吸のように出し入れも行なっているの。今後はそれを意識的に出来るようにする。それが目標よ」
「つまり……杖をスイッチにして……魔力の出し入れをする……ということを体に覚えさせるの……。呪文は力加減や対象を選ぶという……次の段階のものなの……」
鐘戸さんと雨江嶋さんはそう言うと、懐から自分たちの杖を出す。
「大丈夫よ、暴発したらすぐ対処してあげるから」
「な、なるほど」
人形を見る。さっき勝手に歩いていたけど、火が当たったら熱いんじゃないかしら? 大丈夫かな?
「も、燃えちゃわないですか? あの人形」
「燃やすぐらいを目指しましょう……」
「そうね。最初はおそらくそんなに簡単に火は噴き出さないはずだから」
「う、燃えたらごめんね人形さん……」
そう言うと人形はむしろ堂々と胸を張った。杖の先端を人形に向ける。振る、とは言ってもどうしたらいいのか悩む。
「え、えい!」
ピッと人形を杖で指す。当たり前だが、特に何も起こらない。
「いきなり上手に使おうとしなくていいわ。もっと振り回して。指揮棒みたいに」
「そんなに動かすんですか!?」
「まず杖が吸い出した魔力を先端から放出させる……というのがね……難しいのよ……。出るまで振ってみて……めちゃくちゃでいいから……」
指揮棒のように、と言われて若干イメージが掴めた気がする。私はとりあえず、指揮棒の感覚で空間をなぞるように動かしていく。四拍子でいいかな? 一二、三、四……。
「いい感じよ」
「体を動かしてみるのも……いいわよ……」
「体もですか?」
「そうね、せっかくだから踊る感じで動かしてみましょう」
踊る感じ……。そういえば以前休日に暗闇さんにダンスを教えられたけどあれでいいのかしら? まさかこんなところで役に立つとは……。私は四拍子に合わせて体を左右に揺らしながら杖を振る。一二、三、四。一二、三、四。
「いい感じ、いい感じ。その調子で」
しかし振っても振っても何も起こらない。
「……うーん、何も出ません」
「最初はそんなものよ。一度休憩しましょう。何もしてないように思うかもしれないけど、体には負担がかかっているから」
「あ、はい。人形さんありがとうございました。また後で」
人形は構わないよと言わんばかりに、歩いて壁に戻っていった。
「あの人形、自分で動くんですね」
「トニーは戦闘相手として動いてもらうことがあるから……簡単だけど自立した意識があるの……」
「そうなんですね。……トニーって言うんですか? 名前」
「みんな、なんとなくトニーって呼んでるの」
「ほうほう……」
私はいつの間にか用意されていたお茶の席に座る。紅茶とクッキーが机の上に乗っている。鐘戸さんがちょんちょんと杖でティーポットを叩くと、ティーポットが浮いてカップに紅茶を注いでくれる。
「わあ、便利」
勝手にペンが動いて報告書を書いてくれたら楽なのになぁ。全員のカップに紅茶が注がれたので口をつける。いい香り。
「美味しい。ダージリンですか?」
「あら、よくわかったわね」
「家で飲んでたのがダージリンだったので……」
「クッキーもどうぞ……」
「ありがとうございます」
サクッという軽快な音と共に口に甘さが広がる。うーん、仕事中にこんなゆっくり出来るなんて最高では……?
「あの、よかったら魔法を使うときのイメージとか聞いてもいいですか?」
「それは……個人差が大きいのよね……」
「魔力を動かす感覚は人によってかなりバラバラなの。参考にならない場合が多いんだけど……」
「うーん、そうですか」
「例えでいいなら……説明しましょうか……」
「お願いします」
「私の場合は……綿を握りしめる感覚なの……。片手で……ぎゅうって……」
「へええ」
「私は、そうね……杖の先から雲を出す感じかしら。雲って、空に浮いているほうね」
「なるほど」
本当に人によって違うようだ。
「他の職員にも聞いてみる……? もう少し休憩していたほうがいいから……時間はあると思うのだけど……」
「そうね。いいと思うわ。一人二人呼んで聞いてみましょう」
「私が行ってくるわ……そのままお茶を続けていて……」
雨江嶋さんが入り口を杖で叩いて出ていく。鐘戸さんはトニーのほうへ向かうと、トニーの表面を布で拭いている。トニーは鐘戸さんについて歩いて、また部屋の中央に立った。
「星川さんに見せるために塙山署長が使うと思って」
「え、どうしてわかるんですか?」
「簡単な未来視という感じだけれど。まあ、要は直感ね」
「おお、さすが占い師……」
鐘戸さんは褒められてまた照れたらしい。お茶を飲みながら肩をすくめ、耳がほんのり赤くなった。部屋の入り口が再び開き、塙山さんと雨江嶋さんが入ってくる。雨江嶋さんはすぐ席に座ってお茶の続きを楽しむ。
「星川ちゃんが魔力の操作イメージを聞きたいって聞いて来たわ♡」
「はい、そうなんです」
「勉強熱心でえらいわぁ♡ 他の子にも交代で顔を見せるよう言っておいたから、どんどん参考にしてね♡」
「ありがとうございます」
「もおお〜! いい子! ほんといい子! うちに欲しくなっちゃう♡ チューしたい♡」
チューはちょっと困る……。なんとも答えられないので笑って誤魔化した。
「私の場合は、こう♡ 力こぶを作る感覚ね♡」
「ほうほう……」
塙山さんは笑顔で力こぶを作る。すごい、白衣はちきれちゃいそうな筋肉……。
「トニー、いいかしら? つまり、実演すると。こう!」
塙山さんはフン! と叫びながら杖を思いっきり振る。そんな、野球のバットじゃないんだから。杖の先から空気の塊のようなものが出て、人形にしっかり当たる。トニーは反動で仰け反るけど、なんとか踏みとどまった。
「そんなに思いっきり振りかぶっていいんですか?」
「最初ならこのくらいしてもいいのよ♡」
「なるほど……」
「ちなみにでいいけど、今どんな感じで振ってる?」
「ええと、指揮棒を振る感じです」
「あら〜、いいわね〜♡ 心地いい感覚をよく探して、続けてちょうだい。じゃあ、また後でね♡ また気軽に呼んで♡」
「はい、ありがとうございます」
私に投げキッスをして塙山さんは戻っていった。
「……塙山さんって可愛いですね」
「そうでしょう。うちのアイドルよ」
「アイドルですか……」
私は塙山さんが可愛い衣装で歌って踊っているのを想像してしまった。似合う……。塙山さんと入れ替わるように、金髪の男性職員が入ってくる。
「お星様が杖の操作感覚聞いて回ってるって?」
「ええ……そうなの……」
「俺はね、えーと。水鉄砲を撃つ感じ」
「おお、ありがとうございます」
「うん。じゃあ、0022の作業行ってきます」
「行ってらっしゃい……」
本当にそれだけ伝えに来てくれたらしい。忙しい合間に顔を出してくれたのだろう。
「……お星様って私のあだ名ですか?」
「ええ。ほら、前に0083に星くずというあだ名をつけられたって話をしてくれたでしょう? あの報告書は部署の中で共有されたから、実はすでに愛称がついているの」
「あらぁ」
「実は私も0083部署へ異動して……お星様と呼ばないようにするの……気をつけたの……つい言っちゃいそうだったから……」
「あら、お星様でも構わないですよ?」
「いえ……星川さんと呼ぶほうが……すでにしっくりくるから……やめておくわ……」
「そうですかー」
お茶を飲み終わったので、またトニーに協力してもらい杖を構える。塙山さんがさっき言っていた心地いい感覚、を目を瞑って掴もうとする。四拍子もいいけど、二拍子にしてみてもいいかもしれない。そうだ、二拍子のほうがきっといい。私は目を瞑ったまま杖を一、二と振る。うん、さっきよりいいかも。しかし数回振ってみて、またちょっと違うなと思った。二拍子じゃないな、三拍子かな? 一二、三。一二、三。リズムに合わせて自然と体が動く。ゆらゆらと体が左右に揺れる。そうそう、多分この感じ。集中していると後ろにいる鐘戸さんと雨江嶋さん、それから別の職員がまた来たのだろう。彼らの会話が耳に届く。
「いい感じに見えるけどね」
「そうね。もう感覚掴めていそうなのだけれど」
「魔術の心得なしに初日で出たらすごいわ……」
「杖が合ってないんじゃない?」
「その可能性もあるわね」
いい感じではあるけれど、やはり杖の先から何かが出てくる気配はない。一度、乱暴に動かすのもいいかもしれない。私は塙山さんのフォームを真似してみたり、水鉄砲っぽく動かしてみたり色々試してみるが、やはり心地いい感覚とは遠い。指揮棒の動かし方が今のところいいようだ。また三拍子で体を揺らしてみるが、やはりうんともすんとも言わない。
「うーん、難しい……」
中断して鐘戸さんたちの元へ戻る。さっきまで一緒にいた職員さんは仕事へ戻ってしまったようだ。
「難しいわよね……最初は……」
「星川さん、また休憩入れましょう。今かなり集中してたから疲れたと思うわ」
「そうですね。なんかたくさん読書した時の感じがします」
「あら、もう少し体全体が疲れる感覚が出るといいのだけれど……」
「となると、ちょっと正解とは違うんですかね?」
「頭で考えすぎているのかも……。茶葉を替えてくるわ……」
「ありがとうございます」
椅子に座り、背もたれに寄りかかる。深く深呼吸して、気持ちを緩める。
「見ていた限りではとても良さそうだったわ」
「うーん、いい感じではあったんですよね……」
「もう一回チャレンジしたらお昼だから、食堂に行きましょう」
「はい」
二度目のお茶の休憩の後も頑張ってみるものの、やはり杖はうんともすんとも言わなかったので魔術部署の人たちと共に食堂へ戻る。職員はそれぞれ好きなテーブルへ移動していった。私と鐘戸さんと雨江嶋さんは、0083部署のみんなが手を振ってくれたのでそちらへ向かう。暗闇さんがおいで、と促すので隣へ腰を下ろす。
「魔法の訓練はどうだい?」
「いやぁ、難しいですね……」
「いいところまでは感覚を掴めているみたいなのだけれどね」
「杖が合ってないのかもねえ」
「それは……他の職員も言っていました……。さすが王……」
「杖との相性って大事なんですか?」
「ええ、とても大事よ。合わない靴を履いたら靴擦れを起こすでしょう? 似た現象が杖でも起きるの。早めに貴方に合う杖を探した方がいいわね」
「奥が深いですね、魔法……」
「まあでも、杖に関しては問題ないよ。そのうち解決するさ」
「そのうち、ですか」
暗闇さんはにんまりとする。何かまた企んでいるのか、先が読めていてニマニマしているのか……。
「試しにだけど、私の杖持ってみるかい? 星川さん」
「え、いいんですか?」
「いいとも。合わない杖を持ってみたほうが感覚的にわかると思うよ」
暗闇さんはそう言うと、右手をかざして何もない空間からすっと杖を取り出す。暗闇さんの杖は腰の高さまである、イギリスの古い映画で見るような紳士が持っている類いのものだ。見た目はいたって普通だが、装飾が入っていて洒落ている。暗闇さんは杖の真ん中を握り、持ち手を私に向ける。
「握ってみて」
私は言われた通り持ち手を握り、ぐっと力を入れてみる。ぞぞぞっと悪寒が走ってすぐに手を離した。
「うわわ」
「合わないと、こういう感じ」
「な、なるほど……。ありがとうございます」
暗闇さんはパッと手を離してまた何もない空間に杖をしまった。どうやってるんだろう、それ。
「自分の持ち手じゃないとわかると杖の方が嫌がるんだよね」
「杖にも意思があるんですねえ」
「あるよ。意識まではないんだけどね」
「へえ……」
加奈河さんや佐井登さんとも雑談を交わし、また魔術部署へ戻る。すると私たちより先に戻っていた職員たちが台座の周りを囲んでいる。
「あら……どうしたんですか……?」
「さっき受け取ったんだけど、星川ちゃん宛てにお届け物が来てるの」
「え、私に?」
「大きさ的に杖だと思うわ……。でも驚くことに誰もこれを頼んでいないの。もちろん私も。今日来たばっかりの子への杖の注文はさすがに不可能だもの……」
「塙山さんが指示を出していないのに魔術部署に物資が届くのはあり得ないわね……」
「ひょえ……」
いつぞやのボイスレコーダーを思い出してしまい私は震える。
「星川ちゃんが開けてちょうだい。大丈夫よ、危ない物だとしてもこれだけ職員いるし対処出来るわ」
そう言うと全員が杖を取り出す。き、緊張する。私は届いた細長い箱をよく見る。ダークブラウンの綺麗な木箱だ。贈り物だからか、赤いリボンが巻いてある。リボンをほどいて、恐る恐る蓋を開ける。赤い布地の中央にキラキラと光る真っ黒な石で出来た、太さ一センチくらいの私の手の平よりやや長い杖が収まっていた。持ち手の部分の装飾を見て、チェスの駒のクイーンを想像する。
「あっらぁ〜〜〜美人な杖だこと!」
「おお、石の杖なんて珍しい」
「高そう……」
「作った職人が知りたいわ……こんなにいいもの作るなんてよほどの腕でしょう……」
「すげえ……」
塙山さんや他の人たちが感嘆の声を上げる。あまりに美しい杖だったせいか、全員の警戒心はすっかり吹き飛んでしまった。私も綺麗な杖だなぁと感じる。
「持ってみていいですか……?」
「是非是非!」
塙山さんにそう促されたので、持ち上げてみる。杖は冷たく、しかししっかりと手に馴染んだ。ああ、これだ。さっき暗闇さんに合わない杖の感覚を教えてもらったからよくわかる。これが私の杖だ。
「すごい……冷んやりして気持ちいい……」
「すぐ試しましょう。訓練場を開けて」
「はい」
職員さんはさっき私が使っていた部屋とは別の方向へ進むと、壁を叩いて入り口を開く。塙山さんに背中を押され、小走りに中に入る。他の職員さんたちも入ってくる。完全に注目の的だ。先に入った職員さんが天井に張り巡らせてあるレールに釣り下がった、寸胴の皮袋を部屋の中央に動かす。準備が出来たところで、みんな私から離れる。
「よく的を狙うのよ」
「はい」
塙山さんは軽く背中を叩いて励ましてくれた。皮袋を見つめる。考えるより先に杖が感覚を教えてくれる。私はタ、タ、タと前へステップを踏み杖を軽く振る。杖の先から湯気のようなものが飛び出て、皮袋を揺らした。拍手が起こる。
「すごいわ〜!」
「お星様天才だなぁ」
「星川さんすごい……」
私は杖を腰に仕舞ってそそくさと職員たちの方へ戻っていく。手放しで褒められるのってなんだかくすぐったい。
「で、出来ちゃいました」
「すごいわ〜! 天才よ天才!」
「はわわわ」
感極まった塙山さんにハグをされる。体格がいいなとは思ったけど、胸板も厚い。
「いい調子ね。杖をよく可愛がってあげて♡ 杖を褒めると魔術の調子も良くなるの♡」
「そうなんですか?」
「ええ、べた褒めにするぐらいで丁度いいわ」
「なるほど……」
再び取り出した杖を両手でつまんで横向きにする。
「感覚を教えてくれてどうもありがとう。とても綺麗な杖で私嬉しい。これからよろしくね」
なんとなく、杖が微笑んだように感じた。
結局私のところへどうやって杖が届いたのかは謎のままだったが、早々に届いてくれたおかげで私は訓練に打ち込むことが出来た。魔力の出し入れの感覚を体に馴染ませるにはそれなりに時間を有するので、私は数日をかけてトニー相手に魔力の塊をぶつける練習を重ねた。午前は0083部署で仕事、午後は魔術部署で訓練というスケジュールが定着してきた頃、次の訓練に移ろうという話になった。今日は鐘戸さんと二人で訓練をしている。
「次はいよいよ火を出してみましょう」
「おお、今度から空気の塊じゃないんですね……?」
「ええ、そう。先に呪文を覚えてね。呪文は“イグニス”」
「イグニス」
「そう。唱えながら、今までと同じように杖の先から魔力を出すの。よく見ていて」
鐘戸さんはそう言うと人形のトニーに向かって杖を構える。
「イグニス!」
鐘戸さんの杖の先から炎の塊が吹き出て、トニーの胸に命中する。人形が燃えるほどの威力はないので、彼は悠々と立っている。
「おおお」
私は思わず拍手をする。
「やってみて」
「はい」
ドキドキしながらトニーの正面に立つ。私の場合、魔力を出す時は杖はあくまで軽く振る。杖の表面を風が流れていく感覚に集中する。
「イグニス」
炎は出た。が、杖から出た瞬間に広がってしまってトニーに届くようなものにはならなかった。
「ふおおおわぁああ! ……当たらない」
「最初は当たらないわよ。でもちゃんと杖から炎が出たわね。いい調子よ」
「ありがとうございます」
「そのまま何回か練習してみて。見ていてあげる」
「はい」
よし、と意気込んでまた挑戦する。何度か試してみるが、炎は杖から一定量出るものの塊にはなってくれない。炎は杖の周りで楽しそうに舞うばかりだ。
「うーん、出てはいるのだけれどね」
「ううん……」
休憩を挟んで再開しようということになり、一度ホールへ戻る。止まり木の上でQ-n-0067『不死鳥』が羽を休めている。不死鳥は私に気づくと、こちらへ向き直って羽を広げ頭を下げる。
「星川さんお辞儀、お辞儀して!」
鐘戸さんが慌ててすぐ動作を返すように言う。
「え、お、お辞儀?」
私は両手を体の横で少し広げ、左足を後ろにして軽く頭を下げる。お上品なお辞儀というか、ダンスを受ける時のお辞儀だ。制服を着ていてスカートではないのが残念だ。
「ご、ごきげんよう女王様」
不死鳥は満足したのか、そのまま私の肩へ飛んでくる。彼女は鳥としてはそれなりに大きいので、真正面から飛んでくると迫力がある。思わず目を瞑る。鐘戸さんは口を開けたままこちらを見ている。彼女は通りかかった職員を手招く。
「今女王様が星川さんにお辞儀をしたの」
「え!? 本当!?」
話を耳にした別の職員も近付いてくる。
「お辞儀したの?」
「いいなー、見たかったなー」
「ここ数年で塙山さん以外にお辞儀したの初めてなんじゃない?」
「そんなに珍しいんですか? 女王様のお辞儀って」
私は話しながら職員さんから鳥用のおやつを受け取り、彼女に与える。おやつの中身は穀類だ。ひまわりの種とかキビとかが入っている。女王様は私の手からおやつを美味しそうにつまんでいる。
「女王様、プライド高いからねー。人間相手には滅多にお辞儀しないよ」
「あら、そうなんですか。……おやつ美味しい?」
彼女は私の手の平に乗っていたおやつを平らげると、そのまま毛繕いを始める。
「女王様、相当星川さんのことお気に入りなのね」
「そうみたいだねー」
肩に不死鳥を乗せたまま雑談をしていると、部署の扉が開く。不死鳥は私の肩から止まり木へ移動する。
「ハァイ星川さん」
入ってきたのは暗闇さんと加奈河さんだった。
「暗闇さん」
「暇だから来ちゃったー」
「暇じゃないがどうしてもと言われて連れて来た」
「ああ、ありがとうございます。また加奈河さんにわがまま言ったの?」
「だって今日タイミング悪くて星川さんの顔ほとんど見てないんだもの」
暗闇さんは不死鳥の正面に立つと、恭しくお辞儀をする。
「ご機嫌麗しゅう、0067」
暗闇さんのお辞儀を受けて、不死鳥もお辞儀を返す。周りがおお、と声を上げる。
「さっき、不死鳥のお辞儀は珍しいんだって話をしてたんです」
「ああ、知ってる。敬意を表すか誠意を見せないとあっという間に消し炭にされるよね」
一度消し炭にされたような口ぶりだ。
「暗闇さんも彼女におやつあげてみます?」
「いやぁ、やめておくよ。火は苦手でね」
「そうですか」
鐘戸さんと加奈河さんが仕事の連絡をしている横で、私と暗闇さんはベンチに腰掛ける。
「暗闇さんって、他のアーティファクトに私を盗られるの嫌って言ってませんでしたっけ?」
「そりゃあ変な奴には触られたくないよ、未だにね」
「不死鳥はいいんですか?」
「彼女は星川さんと友達じゃない。君の友達を奪ったりはしないよ」
友達、と聞いて不死鳥を見つめる。彼女も優しい眼差しでこちらを見ている。
「友達だと思ってくれてるんですかねえ?」
「おや、自覚ないの? 珍しい」
「親切にされているとは思うんですが、そこまで心を通わせたかと思うと微妙で……」
「彼女のほうは友達と思ってるでしょ」
「うーん、私が友達でいいのでしょうか……あんなに美しい女性(ひと)と……」
「自信ないのね」
「ないですねえ」
加奈河さんたちが話し終えると、暗闇さんは満足したからと魔術部署を後にする。去り際に額に口付けをされてしまったので咳で誤魔化した。その後休憩を終え鐘戸さんと再び訓練に戻ろうとするが、けたたましいサイレンに邪魔をされる。
「脱走か?」
「場所は?」
全員が放送に集中する。
「脱走、一体。J-f-0048『木偶』。場所は中央塔食堂ホール。食堂ホール付近の職員、およびDランク職員は速やかに食堂ホールにて再収容を試みよ。繰り返す。脱走、一体。J-f-0048『木偶』……」
「食堂か……」
「星川さん、行きましょう」
「えっ」
「Jackクラスだから貴方も対処出来るわ。いい練習になるはず。さ、すぐ行きましょう。杖構えたまま移動して」
「は、はい!」
鐘戸さんと共にエレベーターに乗り込み、食堂までやってくる。食堂にはすでに数人が対処していた。暴れているのは人型の木だ。三メートルぐらいあるだろうか、かなりの巨体だ。私たちは一度物陰に身をひそめる。
「0048は火が苦手なの。イグニスを使いましょう。当てる必要はないわ。火をチラつかせて収容部屋まで追い込めばいいの。私の隣から離れないようにしてね。行くわよ」
私は頷き、鐘戸さんと一緒に物陰から飛び出す。矢印の書かれた盾を持った武装職員が廊下の近くに立っており、Dクラスの職員が全員でそちらへ誘導している。0048は炎に怯むものの、その巨体で近くのテーブルや椅子を投げ飛ばしており職員たちは迂闊に近づけない状況だ。鐘戸さんが0048ににじり寄っていく。
「イグニス!」
鐘戸さんの掛け声と共に炎が吹き出る。0048は火を嫌がり吠えながら後ずさる。
「星川さん加勢して! イグニス!」
「はい! イグニス!」
杖の先から火が吹き出る。さっきの練習とは違い、炎は前方へ向かう。やはり塊にはなっていないが、今の炎は多少言うことを聞いてくれるようだ。
「イグニス!」
「イグニス!」
周りと協力しながら0048に迫っていく。0048はなおも吠え、掴んだテーブルを振り回している。一人の職員が火炎放射器を上手く当てながら0048に近付こうとする。しかし、0048はとうとうその職員を掴んで放り投げてしまった。投げられた職員が私の近くの職員にぶつかり、周辺の職員たちの態勢が大きく崩れる。0048は崩れたところを狙い、こちらに大きく踏み出す。倒れた職員と0048の間におどり出る。恐怖はなかった。時間が止まったように遅く感じる。体の中心から何か大きな力が沸き立つ。私は杖を向けた。
「──イグニス!」
ごうっという音と共に杖の先から勢いよく炎が吹き出す。炎は大きな布を広げるように舞い上がり0048の目前まで迫る。0048は悲鳴をあげ、真後ろに向かって走り出した。周囲の職員たちがすかさずそのまま0048を廊下へ追い込んでいく。逃げ込んだ廊下の先でまた物音がして、0048は食堂から遠ざかっていく。私は後ろにいた職員に声をかける。
「大丈夫?」
「大丈夫、ありがとう……」
その男性職員は痣を作ってはいたもののひどい怪我はないようで、胸を撫で下ろす。
「よかった」
職員の肩を軽く撫で、鐘戸さんと廊下へ移動する。その後、廊下のあちこちにいる職員たちによって0048は誘導され、すぐに再収容された。
怪我をした職員は医務室へ行き、残った職員たちと清掃員で食堂を片付けている。食堂の端っこではAクラス職員が対処に当たった職員たちに聞き取り調査を行なっている。その中に加奈河さんの姿を見かける。
(ただのAクラス職員じゃなくて、監査かな?)
片付けを進めていると、声をかけられる。聞き慣れた声だったので私は顔を上げた。
「星川くん」
「刻浦さん」
「大活躍だったそうだね」
「え、うーん。そうなんですかね?」
刻浦さんは私を連れて、食堂の端で行われている聞き取り調査の集団に紛れる。
「見事な魔術を披露したそうじゃないか。どうだい? そのまま魔術部署へ異動も出来るが」
「それは……」
出来れば0083部署のままでいたい。でも刻浦さんがわざわざこの話を持ってくるということは、推薦されているのだろう。評価されたことはもちろん嬉しいので、私は困った。
「うーん、悩みますね……」
「やはり0083部署に残りたい?」
「そうですね……。私が異動すると暗闇さん拗ねそうですし……また脱走されても困るし……」
「そう」
刻浦さんは私の話を聞きながら何か書いている。報告書だろうか?
「0083部署からの異動はしたくない、ということでいいね?」
「はい。すみませんせっかくお話をいただいたのに……」
「構わないよ」
刻浦さんは加奈河さんの元へ行き、何か耳元で一言二言告げるとその場を後にする。私は別のAクラス職員に声をかけられ、聞き取り調査に協力した。
「見事だったね、星川くん」
「まあ彼女なら当然だよ」
「惚気るねえ」
「あ、そうそう。三割程度の目覚めって言ったけど訂正するよ。恐らく四割は越えてる」
「では我々のお喋りも彼女の前では封印だな」
「そうだね」
三人のやり取り。私の知らない会話。私の知らない時間。その間に刻一刻と出来事は進んでいた。
次作へ続く
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