見出し画像

04 U-r-0083の収容記録

前作:『03 U-r-0083の収容記録』

 J-f-0048の脱走から三日後。私は朝早々に、他部署への書類を届け廊下を歩いている。カメラの死角になっているあの場所で刻浦さんが煙草を吸っていた。
「あら、刻浦さんここ喫煙所じゃないですよ」
「灰皿は持っているよ」
「それは知ってますけども」
「星川くん」
軽い手招きで刻浦さんは私を隣へ誘う。近寄ると、壁に寄りかかるよう促される。
「なんですか?」
「少しサボりに付き合ってくれないかな? あと十分はここでこうしていたい」
「上司自らサボりを宣言していいんですか?」
「上司が率先してサボらないと。君たち日本領民は休むのが下手だからね」
「うーん、それはだいぶ改善されたと祖父が言ってましたけど」
「いやいや、まだまだ」
刻浦さんは持っていたバインダーを開いて何か書き出す。
「サボりじゃなかったんですか?」
どう見ても仕事のファイルなのだが。
「サボりだよ。今は0083部署の仕事はしていない」
「でもそれ、仕事用のバインダーですよ」
「そうだよ。君たちの前では出来ない仕事のね」
「……それって……」
刻浦さん、自ら上層部だってバラしてない?
「あの、ズバリ聞いていいですか?」
「なんだい?」
「刻浦さんって上層部の方ですか?」
「そうだよ」
「……随分あっさり答えますね」
「君だからね」
「え?」
「星川くんは一人だけ秘密を知ったからといって人に言いふらしたりはしない。人へ伝えるべき事柄とそうでない事柄の区別はついている」
「ええと、まあ、その通りですけど……普通は機密保持とかあるんじゃないですか?」
「まあね。だから、これは独り言」
「なるほど。軽く聞き流しておきます」
刻浦さんはさらさらとペンを走らせている。ペンの動き的に書いているのはどうも日本語ではないようだ。上層部は英語でやりとりしてるのかしら?
「上層部、本当にあったんですね」
「あるとも。Aランクの職員は大方気付いているし、監査は特に気付きやすい。監査の人事異動は私たちが行っているからね」
「言われてみれば監査の人選を考える人たちがいるはずですよね……。上層部の仕事って大変ですか?」
「人によるかな。私はそうでもないよ」
「ほうほう。……欲張って色々お聞きしたいんですけどいいですか?」
「どうぞ」
「上層部の正式部署名ってなんでしょう?」
「正式には部署ではなく、委員会と呼ばれている」
「ははあ、なるほど。委員会の方ってたくさんいるんですか?」
「いいや、十人程度だよ。ちなみに、委員会の人選を決めているのは所長」
「なるほど、納得です。ええと、委員会の仕事は所長の補佐で合ってます?」
「補佐とは言い難いかな。隠さずに言うと所長と言うのはこの委員会の最高責任者でね。各部門の最高責任者が委員。責任者たちの集まりが委員会。委員会最高責任者が所長、だね」
「本部、総務、人事、監査、私たちのアーティファクト管理部門、整備、会計……ええと」
「警備。それから食堂……正しくは食材管理部、ね」
「そうでした。あれ、私上司の独り言でこの会社の構造をほぼ完璧に知ってしまった……?」
「君は言いふらさないから」
「そうですけど……随分評価高いですね、私」
「私は人を見る目は持っている」
「刻浦さんは人事か監査のトップですね?」
「ご明察」
「なるほど……だから部下が監査の加奈河さんなんでしょうか」
「そう言うこと」
加奈河さんが可愛がられてる理由、自分の担当部署の新人さんだったからなんだな。と、私は軽く頷く。
「加奈河くんは能力的にもう少し上のポジションに置いてあげたいんだけど、頑張りすぎるのが玉に瑕でね」
「頑張りすぎる、ですか」
「仕事を抱え込みすぎるんだよね。だから監査以外の仕事は出来るだけ負担の少ない部署にするしかない。0083管理部署は変化が乏しいところだから真っ先にここへ配置したよ」
「なるほど」
「他人に仕事を配れる能力があれば0083、言わばここは窓際部署だったんだけれど、窓際でもなく加えて監査の上の方に置いたんだけどね。残念ながらその能力は別の職員が発揮している」
「窓際部署だったんですかここ……」
「0083が暴れたのは最初の三ヶ月程度でね。それ以外は本を読んでるし、扱い難さはあるものの加奈河くんが窓越しに作業して、日々の報告は出来ていたから」
「そこに私が来て、変化したんですね」
「そう」
「変わったことは良かったん、ですかね」
「良かったと考えるのに抵抗があるのかな?」
「総合的に見たら良かったのかな、とは思うんですけど。暗闇さんが動けるようになってあちこち改善されたし……でも……」
良いことだらけ、と言うのも違和感があった。
「……この職場で良いことしかないと言うのもなんだか怖くて」
「ほう?」
「だって、色んな人がここにはいて……駿未さんだって顔に怪我はしてるし。加奈河さんも普段見えない位置に怪我はしていそうだなって思う事があるし。私、この職場に来て死ぬ覚悟をした方がいいかも、と考えたくらいなんですけど本当に自分は何もないと言うか……肩透かしを食らっていると言うか……。ラッキーガールだって言われましたけど、今まで幸運でなんとかしてきた事とかはなくて……上手く言葉に出来ないんですけど、何とも言えない違和感が……」
「……ふむ、なるほど」
刻浦さんはさらりとペンを動かした。何を書かれたんだろう、今。
「君は実力に対して過小評価をしがち、と」
「過小ですかね……」
「星川くんは己が役立てる場面をわかっているし、必要性があるならと魔術の習得も日々努力している。習得した魔術で脱走したアーティファクトの再収容にも貢献した」
「ええと、はい。まあ、そうなんですが……」
でもそれは、周りに助けてくれる人がいたからなんだけど……。
「監査は事実に基づいて社員を評価する。君はここへ来てからめきめきと成長しているし、私としては正直なところ加奈河くん同様もっと上へ配置したいところだよ」
「それってその……この前の異動の話に関係ありますか?」
「うん、異動と一緒にまた昇級させようと思っててね」
「あらぁ……」
本当にいい話を断ってしまったんだな、とがっかりした。次から昇級や異動に関しては前向きに受け取った方がいいかもしれない。
「次からいいお話はなるべく受けます」
「そうだね、可能な限りはそうしなさい。……十分以上サボってしまったな。星川くん、この後の仕事はどのくらいあるのかな?」
「え? えーと、暗闇さんの定期作業と書類が二、三種ですかね」
「手伝いをして欲しいんだけど、時間を借りていいかな?」
「あ、はい。もちろん」
「ありがとう。では一度部署に戻ろうか」
刻浦さんと一緒に0083部署へ戻ると、部署のメンバーたちは色めき立った。
「刻浦さんだぁ!?」
「あら……早朝にお会いするなんて珍しい……。おはようございます……」
「あっ、お、おはようございます!」
「おはよう諸君。0083、今作業を終えてもらっていいかな? 星川くんにはこれから別の仕事をしてもらうのでね」
「えー、仕方ないなぁ」
私は暗闇さんと共に部署の端っこに作られた簡単な応接椅子に腰掛け、ボイスレコーダーを手にする。
「九時十八分、U-r-0083の作業を開始します」
「どうぞ」
今日はナイルと名乗る個体はいつから活動を開始しているのか? と言う質問だった。暗闇さんはそんなの覚えていないよ、とのこと。その他数件の質疑応答を済ませ私は報告書を書く。
「作業、終わりました」
「うん。では、星川くんは午前中私が借りる」
「あれ、そんなにかかるんですか?」
「多めに見積もって午前いっぱいと言う感じかな。君の今朝の仕事は他のメンバーに割り振ったよ。では行こうか」
「あらぁ、みなさんすみません……」
「追加のお仕事頑張りますぅ」
「いってらっしゃい……」
「はい、いってきます」
暗闇さんと手を振り合い、刻浦さんと部署を後にする。
 しずかについて行くと、普段は通らない部署の前を通過する。こっちは確か、駿未さんのいる部署が近かったかな? コンクリート製の高い天井を見上げていると、天井に魔法陣が描かれていたことに気付く。
「あ」
「ん?」
「ああ、ええと、天井に魔法陣があったので……」
「ああ、あれね。あれは上の階に収容されているアーティファクトのための封印だよ」
「ここ、こんなに天井が高いのに上の階があるんですか?」
「魔術部が下にあって、上には警備部がある。緊急時に双方から飛んで行けるようにアーティファクト管理部署を挟んでいるんだよね」
「なるほど」
この施設がマカロンみたいな、ハンバーガーみたいな形をしていたのはそう言う理由だったのか……。
刻浦さんは非常階段への入り口チックな似たような扉の一つを選び、開けたまま私を待ってくれる。お礼を言い早足で扉に近付くと、ブッと短いブザーが鳴る。扉を見上げるとそこには小さなセンサーがあった。カメラもついている。
「おっと?」
「気にせず通って」
「は、はい」
これから行くのって上層部……委員じゃないと入れないところなのでは? 扉を潜ると、上へのエスカレーターが目の前にあった。随分と大きい。地下鉄にあるようなデザインの広いエスカレーターだ。
「ここ、初めて来ました」
「基本Aプラスじゃないと入れない場所だからね」
「えっ」
加奈河さんたちですら入れない場所? い、一体何を手伝わされるのだろう……?
 エスカレーターでゆっくり上がると、広めのホールに出る。壁は白を基調としていて、魔術部署とは対照的だ。さっきの話もあり、壁に書いてあった案内を見る前にここは警備部署だと気付く。
「警備部署、こんな感じなんですね」
「うん」
廊下には誰もいない。刻浦さんは慣れた仕草で白い廊下を進んで行く。どこも壁が同じで迷子になりそう……。さわさわと言う風の音が耳に届く。時々聞こえるのよね、これ。なんだろう?
刻浦さんは派手な銃を持った屈強な白い迷彩服の警備員が立っている大きめの扉の横、カードリーダーに自分のIDを通す。そして静脈スキャンを続けて行い、さらに何やら暗証番号を打つ。厳重だなぁ、と思っていると手前の警備員と目が合う。年は加奈河さん、刻浦さんと似た感じ。ヘルメットとマスクの間から覗く眼光は鋭く、いかにも兵士と言った風貌の硬派な男性だった。私は彼に軽くお辞儀をして、刻浦さんに続いて部屋に入る。中は広々とした会議用テーブルと向こうにそれぞれ仕切られたパソコン机が十個並んだ小ぢんまりしたガラスのスペース。
「あの、ここってもしかして……」
「委員会のオフィスだよ」
(やっぱりぃ!?)
刻浦さんはガラス戸を開け己のデスクに向かい、私を手招く。彼は普段の私のIDカードによく似た、別の白いカードを手渡して来る。普段の社員証らしい見た目ではなく、顔写真の横に白地に銀や金でコードが刷られている。
「ここへ来る時は次からそのカードを使うように」
「次!? 次ってことは一回限りじゃないんですね!?」
「時折、必要があればやる感じだから頻繁に通うことはないよ。それに必ず私が同行する。今日はちょっとお試し。出来そうだなと判断したら正式に任せるし、給料もその分加える」
「わ、わかりました……。何すればいいんですか?」
「そっちのモニターでやるから、戻って会議テーブルに座って」
「は、はい」
刻浦さんはモニターを点け、タッチパネルの画面に指を滑らせる。フォルダから画像を一枚取り出し画面の中央に置く。円衣さんと訪れた中庭だ。彼は大学の授業で使うような指示棒を取り出し、モニターの近くに椅子を引き寄せて座る。
「君がこれから行うのは再収容訓練と言うものだ。私が出した課題に自分なりの答えを出す。その繰り返しだ」
「わ、わかりました」
「この中庭に訪れたことは?」
「あります」
「では話は早い。ここには樹が一つ植えてある。これは人の血を吸う樹で、アーティファクトだ。収容番号、Q-f-0041『吸血樹』。普段は人血の入った栄養袋を地中に埋められて管理されている」
「ひええ?」
アーティファクトをあんなに無造作に置いてていいの?
「では一問目。このアーティファクトが君の目の前で脱走した。君以外の人間は周りにいない。再収容を命じられた場合、君はどうする? この際、君は可能な限りの手段を用いていい」
「可能な限りの手段……それは通信機や、魔法を使う杖も含まれますか?」
「君が普段身に付けている物も全て含まれる」
「なるほど、ええと……」
想像力をフル稼働する。私は中庭にいて、目の前のQ-f-0041が今に人の血を吸おうとしている。対象は私。幸い私以外人はいないので、誰かが襲われる心配はない。
「まず、通信機で本部へ連絡をし、中庭を封鎖するよう要請します」
「封鎖する理由は?」
「被害の拡大を防ぐためです。私以外の従業員がいないなら封鎖はすぐ出来ると思います」
「ほう……」
刻浦さんはバインダーに挟んだ用紙にさらさらとペンを滑らせる。それを横目に私はモニターを見続ける。
「では、封鎖が完了した。次は?」
「性質がforestなので、このアーティファクトは基本自らは動きません。人血を吸収出来れば鎮静出来るはずなので……血を……でもこれだと私が死んじゃう? えーと……」
私が死んでは意味がない。この場に居合わせた私は生き残らないといけない。
「私を囮にしつつ、火の魔法を使って0041が近寄らないよう身を守ります。本部へもう一度連絡をして、人血の入った栄養袋を持って来てもらうよう要請をします。袋が届けられるまで私は魔法を使い時間稼ぎをします」
「ふむ」
ペンが動く。
「では袋が届けられた。封鎖は解かれていない。中庭の構造上、面した通路は二本。個別に開閉が出来る。どうする?」
「その時に自分が近い方の通路の封鎖を解いてもらうよう要請します。そこから袋を手渡してもらい、私は素早く受け取ります。魔法で0041を遠ざけつつ、栄養袋を元々の収容場所の土に撒いて、素早く距離を取ります。再収容を確認して……ええと、終わりです」
「……なるほど」
刻浦さんはまた何かを書き、ペンを置いた。
「十点満点中八点と言ったところかな」
「に、二点足りない……」
「初めにしては上出来だよ。最後が少しね。開けた扉から君が外に出て、同時に栄養袋を土の上へ投げ込めば満点だった」
「あ、そっか」
しまった、自分が退避することまで頭が回っていなかった。
「さすがに何度か訓練はした方が良さそうだね。今後君に追加する仕事は、見直しが必要になったり、新規作成された緊急マニュアルの添削だ」
「そんな大事なお仕事なんですか!?」
緊急マニュアルってあの厚い冊子!? あれの添削!?
「そう、とても大事な仕事だ。君のように入社してすぐにも関わらず危機を回避し再収容に貢献する人材が出て来る。そう言った人材に緊急マニュアルを作らせている。非常時にパニックにならず、冷静に、かつ被害を最小限に食い止める努力を怠らない性質の持ち主たち。非常時にパニックにならないって言うのは重要でね」
「ああ、魔術部署の鐘戸さんにも似たことを言われました。動揺を見せないのは大事、と」
「うん。虚勢を張る。相手に弱みを見せない。パニックにならない。どれもアーティファクト相手にも動物相手にも有効な手段だ。どれだけ訓練を重ねた兵士でもパニックになりやすい者もいる。君みたいに全員が出来るわけではない。ゆえに、この緊急時に冷静な判断が出来る者が他の者のために生存率を上げるマニュアルを作る。今後、添削に慣れたら作成に回ってもらうよ。いいかな?」
「は、はい。私に出来るなら……」
「うむ。……まだ時間あるな。もう一問やろうか」
「お願いします」
刻浦さんは一度立ち上がりタッチパネルを触る。次の画像が画面中央に置かれる。ベールを被り両手を握っている聖女の彫像だ。今までに見たことはない。
「これはK-n-0024『嘆きの聖女』。近くにいる人間を“勇者”に仕立て戦いの場へ向かわせる性質を持つアーティファクトだ。普段は、特殊な拘束具を施した上で“ここには小さな争い事がいくつもある”と示すことで被害を抑えている。完全な無効化は出来ていない。0024は常に戦いの場へ向かい、その場にいる“勇者”にふさわしい人間に力を与える。争いの規模により像が人へ与える力の加減が変わって来る。大きな力を与えた場合、対象の人間は“平和”になった途端死亡する」
「ひょえ……」
「では二問目。別のKing級が先に一体脱走し、Bランク以上の職員がそれの鎮圧に当たっている。K-n-0024がこれを“戦争”と判断し続いて脱走した。場所は……普段使っている中央塔第一食堂としよう。今回は君ではなくその場にいる別の職員が0024に目を付けられた。君はその職員を犠牲にすることなく時間稼ぎをしなければならない。どうする?」
「ええっと……」
いきなり課題のレベルが上がった気がする……。
「し、質問いいですか」
「どうぞ」
「0024は音声によるやりとりを主としていますか?」
「0024は思念による交信を、対象の人間とのみする」
「うわ……。ありがとうございます。えっと……」
第三者は無理やりにでも二人の交流を中断させないといけない……ど、どうやって?
「う、ううーん……」
「……遭遇した事のないアーティファクト相手はまだ難しいかな?」
「難しいです。でも、遭遇してないからって対処しなくていいわけじゃないので……すみませんもう少し時間をください……」
「ふむ。では仮定でいいから、考えたことを述べてご覧」
「え、えっと。音声によるやりとりではないので、聴覚には頼ってないと思うんです。思念で交流しているので……あ、インカム!」
私は暗闇さんがAce級だった時に使っていた脳を守るインカムの存在を思い出した。
「脳を保護するシールドが出るインカムを持って来てもらうよう本部に要請します!」
「それだと、インカムが届くまでにその職員が“勇者”になってしまうね。インカムが届くまでは? どうする?」
「えっ。ああ、そっか……ええっとぉ……!」
思わず顔を覆う。即効性のある手段を講じないと職員と0024との交流が進んでしまう。
「ええ……どうすれば……どうしよう……」
「……残念だが、この設問は時間制限付きでね。解答までに五分経ってしまったので時間切れ。その職員は“勇者”になってしまい、君が手に負える案件ではなくなった。職員が勇者としての活動を終了後、医療チームが駆け寄る事になる」
「ううーっごめんなさい職員さん!」
「では、正解の例。一つは、該当の職員を気絶させる。もっといい例は、職員の目を塞いで声をかけ続ける」
「えっ」
それでいいの……?
「インカムの発想は良かったし、合理的ではあるんだけど先ほどの0041の時と違い緊急性が高い。まず対象と0024の繋がりを真っ先に断たなければいけない。つまり、対象が0024を認識出来ない状態に持ち込むしかない。そこまでは考えられていたみたいだけど、自分が出来る範囲での具体的な手段に変換出来なかったようだね」
「0024を認識から外させる……なるほど……ひええ、これ難しいです……」
「最上級の難易度にしたからね」
そりゃ一発じゃ答えられませんよ!
「発想は悪くなかったから十点中四点と言う感じかな」
「四点……」
「最初はこのくらいだよ。大丈夫、今後も訓練はするからね。では、0024の対処の解説をしよう。いいかな?」
「はい……」
「0024は、狙った人間に認識されなくなると別の人間を探し始める。その間、像はその場から動かなくなる。有効な道具を持たない君が出来るのはあくまで時間稼ぎ。ゆえに、“勇者”を選ぶたびに邪魔をする。インカムの連絡は、邪魔をしながら同時進行させればなおいい、と言った感じだね」
「な、なるほどぉ……」
「0024を再収容するには0024自体を、一時的に思念を遮断出来る物で覆う。具体的にはそう言う効果のある布を魔術部が所有している。魔術部へ協力を要請すれば解決。解説は以上。質問はある?」
「ないです。正解例が綺麗で納得しかないです……」
「そうか、わかった。緊急マニュアルを作っている職員たちは本部、警備、総務、アーティファクト管理部門の中から選抜されて連携して仕事をする。なので頭が切れても個人主義の職員には向いていない。このマニュアル作成班は頭も切れるしその冷静さ故にBプラス以上のランクにいることが多くてね。通常の職員の中でもかなりエリートだよ」
「エリート……私もそこに加わるんですか……?」
「そう、これからね」
「が、頑張ります……」
「気負わなくても馴染めるよ。このあとは……うん、二、三人マニュアル作成班と顔を合わせようか。では移動しよう」
「は、はい!」
このままエリートに会うのー!? 緊張するなぁ……。刻浦さんは入って来た時と同じようにカードや暗証番号を使い解錠する。あれ、中からも同じ工程で出るんだ……面倒臭そう……。私はまた入り口を警護している職員に頭を下げ、刻浦さんの後ろをついて行く。来た道を戻りエスカレーターを降りて行く。
「Bプラス以上ってエリートなんですね」
「多くの職員はCランクの中で階級が上下するからね。B以上と言うのは割合的には人数が少ないんだよ。全体の職員が多いから少なさは感じないけれどね」
私の周り、同期以外はBとAランク職員ばっかりなんですけど……。もっと敬おう、と私は気を引き締める。エスカレーターを降り、駐車場のような壁を素通りし次は食堂を越えて0083部署とは反対方向へ向かう。こっちは本部や総務がある方向だ。
 予想通り、刻浦さんは総務に顔を出す。総務では三十人程度が仕事をしている。ここでもやはり、職員が色めき立った。
「あらぁ刻浦さんじゃない!?」
「お久しぶり〜!」
いかにも総務のおばちゃん、と言ったルックスの職員がきゃいきゃいはしゃぐ。
「ご機嫌よう諸君」
「ご機嫌よう〜!」
「伊志田さんはいるかな?」
「いるわよ。伊志田さーん!」
「はい。……あ」
これまたいかにもと言った風貌の黒い短髪を肩で切り揃えた、黒縁眼鏡の風紀委員のような印象の壮年の女性が歩いて来る。
「こんにちは刻浦署長。ご用件は?」
「君に訓練生を紹介しようと思って。我々がやってる仕事の」
「ああ。……星川さんですね。お名前は存じています」
「初めまして。0083部署の星川 光です」
「初めまして。総務の伊志田 透(いしだ とおる)です」
互いに会釈をし、改めて顔を見る。伊志田さんは女性にしては背が高く、細身だ。ボブカットの髪型も相まってキレッキレのエリートに見える。彼女は私が顔をじっと見ていたせいか、ふいと目線を逸らしてしまう。見つめすぎちゃったかな……。IDを見ると、彼女のランクはBプラスと記されていた。
「昼になったら食堂で、全体で顔を合わせようと思うから早めに顔を出してほしい」
「承知しました」
「では後ほど。星川さん、次へ行こう」
「はい。失礼します」
刻浦さんが背を向けると、総務のおばさまたちが残念そうな声を出す。
「あら、もう行っちゃうの!?」
「お茶出すからもう少しいて刻浦さ〜ん!」
「悪いね。新人相手に仕事の最中だから」
「んもう仕事の出来るいい男〜」
「沙名田さん、その新しいスカーフ似合っているよ」
「やだー! ありがとう!」
「まあ! 羨ましい〜!」
刻浦さんは彼女たちに軽く手を振ってその場を後にする。
「……モテモテですね」
「私は妻以外に興味はないんだけどね。女性からの人気はあるみたい」
まあ、イケメンだもんね……。
次は本部へ顔を出す。本部は社外への電話対応や緊急時に全体へ指示を出す司令塔としての役割が主。それ以外の書類仕事は基本総務と会計だと言うことを刻浦さんが何気なく教えてくれる。説明を聞きながら、五十人はいるだろうオフィスの中を進んで、突き当たりにいる一番大きな机の職員に会いに行く。置いてある肩書きのプレートを見て私は驚く。本部長と書いてあったのだ。
「太刀駒くん、今いいかな」
「わ〜刻浦くんだ。追加の仕事なら嫌だよ」
「違うよ、訓練生」
「なにっ!?」
刻浦さんは私を隣へ立たせる。太刀駒本部長は短い黒髪をワックスでバリバリに固めた……お洒落なのだろうか? 頭頂部の髪だけがちょこんと立っている。面長の顔のせいもあり、私はドングリのようだなと思った。壮年後半と言う感じの彼は縁のない丸眼鏡をかけていて、私たちとは違い作業着ではなく藍色のスーツだ。……あれ? このスーツ刻浦さんが着ていたのと同じ色?
「訓練生久しぶりだね!? あ、知ってる! 星川さんだ!? ラッキースターの!」
本部ってお堅そうなイメージだったんだけど、太刀駒さんはだいぶ面白いタイプだと思う。髪型のせいもあるけど個性強そう……。
「0083部署の星川 光です。初めまして」
「初めまして〜! ボクは本部長の太刀駒 八津士(たちこま やつし)。どっちが苗字かわかんな〜いってよく言われるよ。よろしくねー!」
太刀駒さんは胸を張ってIDがよく見えるように両手でつまんでくれる。Aプラス……駿未さんと一緒か……。まあ本部長だもん。ランクが一番上なのは納得。
「彼女、ある程度私たちの事も知ってるから」
「え。……あっ」
この藍色のスーツもしかして委員専用!? 私ははっとして思わず口を覆う。太刀駒さんも私の表情を真似してはっとした顔をし、直後にっこり笑う。この人笑うと目尻にシワがたくさん出来るんだ。愛嬌のある笑顔をする……。
「そのスーツ、もしかしてみなさんお揃いですか……?」
「ブランドは同じではないんだけれど、色は統一しているよ」
「あれはね、藍色にした方がカッコイイなー! っていうボクの提案!」
「そうなんですかぁ」
「そうなんですよ〜」
「察したかもしれないけど、太刀駒くんは私の同僚。本部のトップオブトップ、ね」
「はい。あの、刻浦さんにはいつもお世話になっております……」
私は本部長に深々と頭を下げる。
「あっはっは! うん、ボクもねえ、刻浦くんにたくさんお世話になっているよ! 一緒だね!」
「いえいえ、そんなそんな同じだなんて……」
「昼食に、星川くんをみんなに会わせるからそっちからも声かけておいて」
「うん、わかった。またね〜星川さん!」
「はい、また後ほど。失礼します」
太刀駒さんはニッコニコで私たちを見送ってくれる。私は入り口で再び頭を下げ、本部を後にする。しばらく歩いてから前を行く刻浦さんにそっと話しかける。
「……本部長で委員もやってらっしゃるんですか? 太刀駒さん……」
「そう。本部は社内でも一番忙しいと言われる部署なんだけど、それをやりつつ委員も熟している。そこらのAプラスとは別格の人材だよ。私の三倍ぐらい仕事してるかな。にもかかわらず普段はあのケロっとした態度をしている。口では仕事嫌だって言うけどね」
「ひょえ……」
エリートのインフレが怖い……。
「あと、太刀駒くんに対して謙遜していたけど、褒められたらなるべく素直に受け取って。彼、謙遜は苦手でね。相手に褒め言葉がうまく届いていないとあとで面倒くさいぐらい落ち込む」
「えっ! わ、わかりました……」
「君は自己評価低めだし昇進に欲がないから、褒めて伸ばして褒められて伸びてガンガン上り詰める太刀駒くんとは相性悪いかもしれないけど、頑張って慣れるか往なしていって」
「は、はい」
刻浦さんは時計を確認する。
「ああ、少し立ち止まるけどその場にいてね」
「え? はい」
「妻にメールを送るので……」
「あら、こまめですね」
「なかなか帰れない職場だからね。電話とメールはこまめにしているよ。……お待たせ、行こうか」
「メール打つの早いですね」
「昔から携帯電話は触っていたからね」
「ん? 電話は持ち歩く物ですよね?」
「……ジェネレーションギャップを体験したよ、今……」
 刻浦さんはアーティファクト管理部門へ戻る。方向としては……科学部署? 円衣さんに会えるかも、と期待しながらついて行く。科学部署に辿り着くと、刻浦さんは時計を確認して入り口の近くに立ったまま動かなくなる。
「ん? 入らないんですか?」
「あと二分で十一時になるから待った方が早い」
「十一時になると何かあるんですか?」
「十一時になると目的の人物が部署から出て来る」
他人のタイムスケジュールまで把握してるの? 刻浦さん。
十一時ぴったり。科学部署の扉が開く。出てきたのはプラチナブロンドの眼鏡の美女。肌は薄めの褐色。腰までありそうな長い髪を根元がお団子状のポニーテールにしている。モデルみたいに背が高くて細い。いいな……。刻浦さんは彼女に軽く手を上げる。
「あら、刻浦署長」
「ご機嫌よう機葉署長」
「ご機嫌よう」
えっ署長? 機葉(はたば)と呼ばれた壮年の女性は屈んで私の顔を覗き込む。
「ふむふむ」
「は、初めまして。0083部署の星川 光です」
顔が近すぎるせいでお辞儀が出来ず、機葉さんと見つめ合う。
「知ってる。円衣がいつも目一杯褒めてるから。可愛いとは聞いていたけど本当に可愛いわね。昨年度まで女子高生だったんだなってよく分かるわ」
「いえ、あの、可愛いなんてことはないです……」
「謙遜しなくていいのよ」
ち、近い……いい香りするけど顔がものすごく近い……。私の顔をまじまじ見つめ満足すると彼女は姿勢を戻し左手を差し出して来る。
「アーティファクト管理部門科学部署、署長の機葉 希世(はたば きせい)です。よろしくお願いしますね」
「はい、よろしくお願いします」
軽く握手を交わすと彼女は隣にいる刻浦さんに顔を向ける。
「ラッキースター、私たちの仕事に加わるんですか?」
「今後ね。さっき真ん中と最後の二問やらせてきた。結果は八点と四点」
「初発で正解率60%なら優秀じゃなくて?」
「うん。あとで全員顔合わせをするつもりだから、昼食は食堂で食べて」
「食べながら論文の続きやろうと思ったのに……」
頬を膨らませた彼女に、刻浦さんは胸ポケットから棒付きキャンディを出して手渡す。機葉さんはキャンディを見ると、さっと受け取って包装を剥がし口に含む。
「仕方ないわね」
「ではまた後で」
「はぁい」
機葉さんはバインダーを見ながらその場を去って行く。私たちも移動をするためすぐに離れる。刻浦さんは来た道を戻り始める。
「マニュアル作成班がエリートばかりなの、今すごく実感してます……。署長さんばっかり……」
「もう一人会いに行くけど、次の人は君も知ってるよ」
「え? 誰ですか?」
「駿未くん」
「駿未さん!?」
二人が顔見知りなのってマニュアル作成班繋がりだったの!
「昼まであと一時間だから、駿未くんに君を預けて私は監査の仕事を終えてくるよ。だから悪いけど食堂には駿未くんと向かって」
「わかりました」
コンクリート打ちっぱなしの駐車場のようなところ。非常階段のような扉の横に据えられたリーダーに刻浦さんと交代でカードを読ませる。扉を開けると、駿未さんと男性が三人書類に向かっていた。刻浦さんの顔を見ると男性たちは目を見開く。
「刻浦署長」
「駿未さんまた何かやらかしたんですか?」
「真っ先に疑われる僕さあ!?」
刻浦さんは口元を軽く手で押さえる。もしかして笑った?
「違うよ。星川くんを預けようと思って」
「星川さん! いやー最近顔会わせる頻度減ってたから嬉しいなぁ。わざわざ顔を見せに?」
「違うよ、部署外の仕事の件。解っているくせにすっとぼけない」
「ふぇえい……。課題は? やったの?」
「二問だけね。残りの八問、監督やっておいて」
刻浦さんは持っていたバインダーを駿未さんに手渡す。駿未さんはバインダーをさらっと確認してから口をへの字にする。
「はいはい。じゃあ星川さん、ここおいで。隣の机使ってね」
「はい。刻浦さん、ありがとうございました」
「また後でね」
「はい」
刻浦さんを見送り、私は駿未さんの隣の机に腰掛ける。駿未さんは机の鍵付きの引き出しからファイルを取り出し、私の前に置いていく。それなりに厚い……。ファイルの中から取り出された簡単なテスト用紙を、別のバインダーに挟み何か書き加えている。
「終わった二問はやらなくていいから、残りを出来る範囲でやってて。二問終わったら僕に見せて。アーティファクトのデータはこっちの冊子で見ながら解いていいよ」
「わかりました」
問題は先にやった物よりも簡単な物から始まっていた。私が集中していると、男性職員たちから視線がちらちら飛んで来るのがわかった。女性職員が珍しいのかしら?
「駿未さんが珍しく上司してる……」
そっちか。
「言わない言わない」
「部下からの信頼度が低いっ!」
私はふふっと吹き出しつつ、解いた二問を駿未さんに手渡す。
「二問終わりました」
「もう!? 速いね!?」
「簡単だったので」
「えーっそこまで簡単じゃないよ〜。採点するね、ちょっと待ってて」
「はい」
採点を待っていると、目の前の職員と目が合う。軽くお辞儀をすると相手も返してくれた。
「0033の脱走の時いたよね?」
0033は……ああ、一番最初に遭遇した『子切ハサミ』か。
「ええと、はい。お会いしました?」
「直接会ってないけど近くにいたよ」
「えっと失礼ですけどあの時怪我は……」
「俺は左腕飛んだだけだから平気だよ。くっ付いたし」
「く、くっ付いたならよかったです……」
でもそれ平気って言わないです……。採点を終えて駿未さんがバインダーを見せてくる。
「はい。一問目は満点、二問目は八点」
「あれ、惜しかったですか?」
「退避し忘れてる」
「またやっちゃった……」
「もうちょっと自分を大事にしてね。時間あるし焦らなくていいからじっくりやってみて」
「はい」
問題の続きに取り掛かる。職員が紙をめくる音とペンを走らせる音だけが響く。問題を終えて駿未さんに提出、採点、解説をしてもらい最低限の会話で黙々と課題を進めて行く。八問目に取り掛かるとさすがに難しくなってきて、私は唸る。十問目と同じく、別のアーティファクトも脱走した上での緊急時を想定している問題だ。
「難しい?」
「難しくなってきました……」
「八問目以降は自分が有効打を持っていないからね。無力さとの戦いでもあるよ」
「そうなんですよ……この現場に居合わせたら私なんにも出来ないなぁって思っちゃいます」
「そこをなんとかするのがこれから参加する仕事だね」
「頭のいい人ばっかりなのも納得します。計算が出来るとかじゃなくて、機転を利かせないといけないので……」
「それ僕のことも含まれてる?」
「含まれてますよー。駿未さんはこの課題熟してる訳ですし」
「ほぅら星川さんは褒めてくれる」
「俺らの前でも頭のいいところ見せてくれればなぁ」
「それ」
「ひどい……」
私はさらに考えたが、有効的な手段が思いつかず腕を組んで天井を見上げる。
「この状態で私に出来ること……?」
「八問目から難易度跳ね上がるよね」
「そうなんですよ」
「……あの、それ何やってるんですか? さっきから」
「え? あー、これ喋って大丈夫ですか?」
「僕が説明してあげる。これはね、緊急マニュアル作成チームが定期的にやってる再収容訓練っていうテスト」
「ウェ!?」
「あのマニュアル社内で作ってるんですか!?」
「そうだよ」
「てっきり社外の専門チームが考えたのを印刷して配ってるんだと思いましたよ俺!?」
「まさか。支社によって収容してるアーティファクトはそれぞれ違うんだ。全体のために作るのは無理だよ」
「いわ、言われてみればその通りか……。じゃあ彼女もその作成チームに?」
「そう、加えようって話が進んでる。言っとくけど秘密だからねこれ」
「はい」
「うぃっす」
「駿未さん、ギブアップです」
「もう粘れない?」
「頭空っぽになっちゃいました……」
「そっかぁ。よし、ヒントあげる」
「お願いします」
「ここはね、……ここのデータ。これはこっちのデータがヒント」
「ヒントというかほぼ正解のような……」
「組み合わせ方考えてみて」
「なるほど、わかりました」
三分ほど考えて書き終わった物を駿未さんに見せる。
「こういう感じですか?」
「お、採点するよ」
「お願いします」
「……ふんふん、いい線いってる」
「満点は無理でしたか」
「九点だね。被害は防げたけど若干惜しい。ここがね、こう……」
「……ああー、なるほど……。確かにそっちの方が綺麗です」
「でしょう。九問目も頑張って」
「はい」
最後の問題を解いていると、お昼のチャイムが鳴る。
「ありゃ」
「お、昼だ〜。ご飯行こうか」
「まだ問題途中なんですが……」
「これから先輩たちに会うんだし、直接質問出来るよ」
「なるほど、その発想はありませんでした」
私はバインダーと資料を持って立ち上がる。駿未さんたちも書類を伏せ椅子から立ち上がった。
「あ〜、腰いた」
「座り仕事大変ですよね」
「そうだな。0083部署も書類多いでしょ」
「そうでもない? です。暗闇さんも入れると六人で分担しているので……」
「ああそうか、大きさの割に結構人数いるんだな」
「うちの部署も人増やしてくれませんかねー駿未さん」
「増やしたいけど配分は監査が考えてるの。監査に文句言って」
「監査員わかんねえっすよニンジャだし……」
こっちでも監査員ニンジャ呼ばわりされてるんだ……。
「監査員かと思ったら違ったりするしな。星川さんは監査員の仕組み知ってる?」
「あ、知ってます。管理部の作業員と調査員に紛れてるんですよね?」
「知ってたか」
「僕が教えたからね」
「なんだ」
 全員で食堂に連れ立つと、刻浦さんと機葉さんが既に同じテーブルに座っていた。機葉さんは飴を口の中で転がしながら書類の上に顎を置いている。それを横目に私は駿未さんと食事を選び、彼らの元へ向かう。
「来たよ」
「来ましたね……本当に可愛い……。隣は要りませんけど」
「今日僕散々な言われよう!」
苦笑しながら椅子に腰掛けようとすると、向こうから0083部署のメンバーがやって来る。暗闇さんとばっちり目が合う。
「星川さーん。お昼一緒に……」
笑顔だった暗闇さんが既に私たちがテーブルを囲んでいることに気付いて真顔になる。
「すみません、今日はちょっと打ち合わせがあって……」
「私の星川さんなのに……」
暗闇さんは大袈裟によろよろっと姿勢を崩しながら私に抱きついて来る。私は彼を抱きとめて背中を軽く叩く。
「勤務終わったら顔出しに行きますから元気出して」
「ぅぇーん……」
「よしよし」
何度か背中を撫でると、暗闇さんは渋々加奈河さんたちに合流する。見送って着席すると、その間に集まってきていた伊志田さんとまだ顔を知らない他のチームメンバーにじっと見つめられていた。
「あ、ど、どうも」
「……0083が本気で懐いてるんですか? あれ」
「すごいですね」
「お、お恥ずかしいところを……」
伊志田さんたちも着席し、刻浦さんが代わりに口を開く。
「みんな素直に驚いているんだよ。0083の行動にはこのチームは特に翻弄されたからね」
「そ、そうなんですか……」
そっか、因縁あるの刻浦さんだけじゃないのね……。書類の上でペンを回している機葉さんがずっと私を見ていたので、何だろうと首を傾げる。
「刻浦署長、席代わってくださらない?」
「ん?」
「可愛いスターの隣がいいの」
「ああ、どうぞ」
刻浦さんが腰を持ち上げ、機葉さんがさっと隣へ動く。彼女は私の顔をみて満足そうに微笑み頬杖をつく。
「うーん、可愛い」
「ああ、星川くんこれ」
座る直前の刻浦さんに社員カードを渡される。
「昇級おめでとう」
「へっ」
「あら、おめでとうございます」
「よかったですね」
「あわわありがとうございます……」
カードを確認するとCマイナスランクになっていた。
「……また三段上がったんですか? 私」
「急成長ね」
「まだ入社二ヶ月なんですけど私……」
「エリートですね」
「さすがだね」
「いえ、あの……そうなんですか……?」
「半年以内にCマイナスに上がれば早い方だよ」
「なんと……」
早い人の三倍の速度で昇級してしまったらしい。特別なことしてないのに……いや、暗闇さんと仲良くなったのがそもそも大事なんだっけ……。
「星川くん、古い方のIDは早めに破棄してね」
「あ、はい」
「社員証の破棄は総務の仕事ですので、よければ今お預かりします」
「あ、じゃあお願いします……」
伊志田さんが持っていたパンチングを借りてIDに穴を開け、道具と一緒にカードを手渡す。
「伊志田さん、いつも穴開けパンチ持ってるんですか?」
「はい。仕事上良く使うので小型を一つ持ち歩いています」
「おお、さすがです」
「ありがとうございます」
誰も食事を始めないまま三分が過ぎると、刻浦さんが時計を気にする。
「遅いな太刀駒くん。先に食べ出すと悲しむの自分なのに」
「追加の仕事ですかね?」
「かもしれないね。内線かけようか」
刻浦さんが内線電話を手に取るとほぼ同時に、伊志田さんが太刀駒本部長の姿を見つける。
「本部長来ました」
「ん、本当だ」
本部長は笑顔で両手を目一杯振ってこちらにアピールをする。隣には物々しい銃を肩に下げた白い迷彩服の警備員がいた。
「あの、本部長のお隣の方は?」
「星川くんはさっき会ったよ」
私は、はたと委員のオフィス前にいた警備員を思い出す。あのどっちかの人もマニュアルチームだったの?
「あら、お会いした時にご挨拶出来たのに……」
「それが、彼は難しくてね」
「ふん……?」
トレーを持って来た太刀駒さんと、鋭い目に顔中傷の付いた壮年の男性警備員がようやく席につく。
「ごめ〜ん、お待たせ! 書類二枚増えてね!」
「そんな事だろうと思ったよ」
「さすが刻浦くん! じゃあ、いただきますしようか〜」
「はーい」
「いただきまーす」
「いただきます〜」
「いただきます」
全員、静かに食事をするタイプらしく黙々と料理を口に運んでいる。機葉さんはずっと私の顔を見ながら食事を進めているのでものすごく気になる。
「あの……」
「なぁに?」
「何か付いてます? 私の顔……」
「可愛い目と鼻と口が付いているわね」
「いえあの、そうではなく……」
「星川くん、気になるだろうけど機葉署長は放っておいて。ただ単純に可愛いものに目がないだけだから」
「円衣さんみたい……」
「円衣は私の右腕よ」
この上司にしてこの部下あり……。
「なるほど……」
「うん」
「うふふ」
半分が食事を終えると雑談が始まる。私も食事を終え、話に加わる。刻浦さんが顔見知り以外の職員を紹介してくれる。三人は他のアーティファクト管理部門の職員で、右から貴橋(たかはし)さん、小巳(こみ)さん、珠川(たまがわ)さんだそうだ。会釈し合い残りの一人、太刀駒さんの隣に座っている警備員を示す。
「彼はちょっと特殊で、他の職員みたいに人名じゃないんだ。コードネームのみで、イーグルアイと言う」
「おお、格好いいですね!」
「イーグルくん良かったねえ! 格好いいって〜」
イーグルさんは私の顔を一瞥して、そっぽを向いて右手を不思議な形に動かす。ええと、映画で見たことある……ハンドサイン、だっけ。サインを見た太刀駒さんが大袈裟に口を開けて眉毛を八の字にする。
「素直に受け取りなさいって!」
「あの、なんておっしゃったんですか?」
「“最初は大体そう言う”って」
「あらま」
「ごめんね! 気難しいのもあるんだけど彼、この会社に来る前から喉が潰れちゃってて話せないんだよ〜」
「あらら、そうだったんですね」
イーグルさんはまた手を動かす。手話とは違うのでまだ法則性が読めない。
「“筆談は億劫だから話す場合必要最低限にしろ”だって」
「わかりました」
「いやわかりましたじゃないよ? イーグルくんそれ失礼だよ? 新人さんだから優しくしてあげてね?」
彼は手を動かす。太刀駒さんは満足そうに笑ってからこちらを向く。
「“善処する”って」
「ありがとうございます。でもイーグルさんの無理のない範囲にしますね」
「優し〜! いい子!」
「あ、ありがとうございます……」
私は全体を見回す。一、二、三……私入れると十人かな?
「マニュアルチーム、これで全員なんですよね?」
「ああ、全員集めるつもりだったんだけど悪いね。本来はあと三人いる。星川くんを入れると十三人だね」
「あら、そうなんですか」
「残りは本部と総務の人だよ〜。なんかね、風邪だって!」
「あらぁ。お大事に……」
全員食事を終えたようで、伊志田さんや貴橋さんたちは早々に腰を上げる。
「すみません、ジムに行くので」
「私も。仮眠取って来ます」
「ああ、うん。わかった」
「みんなまたね〜!」
「失礼します。ではまた、星川さん」
「はい、みなさんありがとうございました」
残ったのは太刀駒さん、イーグルさん、刻浦さん、機葉さん。それと駿未さんに私。全員チラッとお互いの顔を見て、私に視線を戻す。なんだろ。
「ついでに喋っておこうか。今残ったメンバー、駿未くん以外はトップだよ」
「ひょっ?!」
イーグルさんと機葉さんも委員だったんだ!? って言っていいのそれ?
「ちなみにね星川さん。僕もだけどマニュアル作成班はトップの顔知ってる人がほとんどだから」
「機密上、全ての職員に周知は出来ないんですけれど職員が全くメンバーを知らないと言うのも安全性に関わりますので、マニュアル作成をする方々にはお教えしているの」
「なるほど……」
「機密保持が出来る人材ばかりだからね。みんな優秀だよ」
「私も加わっていいんですかね……」
「もう加わったんだよ。訓練生ではあるけどね」
「ひょぉ……」
「0083を手懐けた子だからね。そりゃ昇級も早いよねっ」
「やっぱり暗闇さんと交流出来たって言うのが本当に大きいんですね……」
「そうだね。君以外では無理だっただろう」
「うーん……実感がないです……」
「実感掴めるように頑張ろうね!」
「はい、頑張ります……」
私ははっとして課題のことを思い出す。
「あ、問題終わらせないと。すみません今やっていいですか?」
「どうぞどうぞ〜。熱心だねえ!」
「僕が勧めたんだよ。今なら本部長たちに質問出来るじゃない?」
「なっるほど〜。いいね!」
「今どこをやっているの?」
「九問目です」
「そう。じゃあ私たちはお茶でもしようかしら?」
「そうしようか」
「ボク奢るよ〜!」
「おや、じゃあお言葉に甘えよっか」
改めて問題を見る。ええと、K-t-0054の脱走か。怖かったなぁ『無響殺人』……。人の心音まで奪っちゃうんだっけ……。音を食べるんだから警棒とかでめちゃくちゃに壁と床を叩いて距離を取るとかダメかしら? ……ヤケクソみたいで嫌だな。他の方法……うーん。──資料とにらめっこしながら私は五分かけて問題を解決、いや、自分を納得させた。解決法がスマートじゃないけど他に思い付くものがない。
「で、出来ました……」
「お、自力で解いたの? すごいじゃない」
「すごいねえ!」
「ありがとうございます。採点お願いします……」
「では私が」
刻浦さんが採点してくれる間、私は機葉さんが注いでくれたお茶に口を付ける。
「美味しい?」
「はい、美味しいです」
「うふふ、よかった」
刻浦さんの方を見ると、隣の太刀駒さんに答えを見せている。太刀駒さんは面長の顔を思い切り縦に伸ばしている。加えて笑ってもいる。やっぱり馬鹿すぎたかしら……。刻浦さんは機葉さんにも私の解答を見せる。彼女は一度見た後、興味深そうに用紙に顔を近付ける。だんだん不安になって来た私は思わず口を開く。
「あの……」
紙を見つめ続ける三人に声をかけようとすると、イーグルさんが手の平をこちらに向けて来る。話しかけちゃダメか……。刻浦さんはイーグルさんにも解答を回す。駿未さんもそれを横から覗く。
「はっはーあ」
駿未さんは眉を持ち上げ、イーグルさんは数回頷いている。
「あのぅ……」
「少し待ってね、星川くん」
「は、はい」
「それぞれ何点かな、これは」
刻浦さんが周りに回答を促す。私は紅茶に口を付けているが緊張で味が分からなくなる。
「ボク的には十五点かな!」
太刀駒さん。満点越えてます、それ。
「私は十点と六点上げちゃおうかしら」
ええ……?
「イーグルくんは?」
イーグルさんは右手を開いたあと手を握り、もう一度手を開く。さらに手を握って次にピースを作る。
「十点と二点か。駿未くんは?」
「僕は甘いから十点と八点かな」
「なるほど。私は十点に三点と言ったところだな」
「刻浦さんもイーグルくんも辛めですね」
「加点してる時点でだいぶ甘いよ」
刻浦さんの発言にイーグルさんは頷く。カップを置き、私は恐る恐る声を出す。
「あの……ご説明いただいてもいいですか……?」
「うん、お待たせ。平均を取ると……十と五点かな。続きは太刀駒くんよろしく」
「うん、やっぱり期待の新人だね!」
「あ、ありがとうございます?」
太刀駒さん今まで以上にニッコニコ。
「我々が考えていた答えとは別の解答を出したんだよね、星川さんは」
「なんと」
「想定外の解答だったけど、方法としては無理も問題もなし! と言うことで十点満点と、新しい対処を見つけたご褒美で五点のボーナス!」
「ちなみに、答えはこれ」
刻浦さんにもらった正解例を読む。ああ、なるほど。近くの警報器を手当たり次第つけながら0054から走って逃げるのか。
「正解例の方がいいように思うんですけど……」
「もしすぐ警報器が使えなかったら?」
「……あ」
たまたま警報器が壊れていたら? パニックで設置場所が分からなくなってしまったら? 移動出来る状態じゃなかったら? 不測の事態はいくらでも考えられる。
「警報器は点検をこまめにして六メートル間隔であちこちに設置してあるから、必ずある物として想定してしまっていたけど、星川さんの方法なら手元にあるものだけでどうにかなるよね」
「ええと、はい。それと誰にでも出来ます、よね?」
「誰にでも出来るって言うのは強いよ!」
「それで満点ですか?」
「そう!」
「おお……」
「で、全部で何点?」
「一問ヒントありで八十六点に加点五点」
「優秀ね」
「ちなみに新人は六十点取れれば充分だよっ」
「ありがとうございます」
太刀駒本部長は小型のタブレットを懐から出すとたたたっと文字を打ち込む。
「これメイン行動が出来ない場合の補助方法としては最高だから今追加しちゃうね」
「そんなにすぐ加えて大丈夫ですか? 他の方の承認は……?」
「もちろん刷る前に他のメンバーにも見せるよ! でも早い方がいいよねマニュアルの訂正はっ」
「そうですね」
「うん」
「なるほど、そう言う感じで日々訂正していくんですね?」
「そうだよ〜。でね、一定量増えたら更新するのね」
「そうなんですね」
「訓練と並行してすぐ添削に加えて大丈夫じゃない?」
「そうだね」
「えっ」
「頑張ってね星川さん! あ、テストは二週間に一回だよ。次はね、十日後」
「わ、わかりました頑張ります」
「うんうんっ」
テストと顔合わせが終わり、偉い方々から解放されたので私は0083部署メンバーのいるテーブルに顔を出す。ヘロヘロだったため、雪崩れ込むように暗闇さんの左肩に頭を預けた。
「星川さんおかえり……お疲れ様」
「疲れました……Aプラスに囲まれてたので……」
暗闇さんは突っ伏したままの私の頭を撫でてくれる。
「ああ、本部長とかいたよな」
「本部長!? 本部長ってことは本部の署長ですか!? 私会ったことないです!」
椅子を暗闇さんの隣へ持ってきて腰を下ろし、彼に寄りかかる。
「本部長さんは一人だけスーツの方ですね。髪型がドングリみたいで可愛いです。面白い方ですよ……」
「その割にはヘトヘトじゃない?」
「緊張しすぎて……」
「あら、そう」
暗闇さんが私の肩を抱く。疲れているのでそのまま甘えることにする。この際周りの目は気にしない。
「なに話してたの?」
「内緒です。でも新しい仕事任されるみたいなので0083部署から時々いなくなるかも。今度刻浦さんから説明あると思います」
「えーっ!」
「そう頻繁に消えるわけではないので大丈夫ですよ。あ、あと昇級しました」
私は社員証を両手で摘む。
「えっ」
「わ! おめでとうございます! ランクいくつですか!?」
「Cマイナスです」
「また三段上がったのか」
「なんか知らない間に高得点稼いでたみたいで……」
「えーっ! すごいすごい! 星川さんすごいですね!」
「まあ私の星川さんだし当然かな」
何故か私ではなく、暗闇さんが鼻を高くする。
「おめでとうございます……。すごいわ…新人は次の年までにCランクに上がれればいいほうなのに……」
「ありがとうございます」
「星川さんこのままBまでサクッと上がっちゃったりして!」
「いや、それはさすがに……」
「わからないよ? 本当にあっという間に上がるかも」
「いや……昇級欲ないのでCあたりでいいです」
「欲張りましょうよ〜!」
「あまり目立ちたくないので……」
「それはわかりますけど〜」

 0083部署と談笑をし休憩時間が終わる。そのまま私は魔術部署へ足を向ける。今日は新しい呪文を覚えるって話だったかな。エレベーターを降り、魔術部署のリーダーに新しいカードを通す。一度ライトが緑色のまま点滅し、消えたのを見て再びカードを通す。ピッと言う音を確認し扉を潜る。
「こんにちはー」
「いらっしゃぁい星川ちゃん♡」
「お邪魔します。あの、塙山署長」
「んっなぁに?」
眼鏡をかけて本に目を通していた塙山(はなやま)さんに近寄って社員証を見せる。首からかけてる眼鏡、ただのお洒落じゃなかったのね。
「本日昇級しました。Cマイナスです」
「あっら〜!? おめでとう!!」
「ありがとうございま、はわーっ」
塙山さんに思いっきり抱きしめられる。この会社スキンシップ好きな人多いな……。自分の事のように喜んだ塙山さんは、ちょっと待っててと言って近くの本棚から小さな本を取り出す。
「はい、これ」
タイトルは……ラテン語だから読めない。めくってみると呪文に関する物だなとなんとなく気付く。
「呪文の本ですか?」
「そうよ♡ ランクがDだからゆっくり教えようと思ってたんだけど、Cになっちゃったなら実践的なものもどんどん覚えてもらわないとね〜♡」
「うひょー……頑張ります」
ラテン語読めるようにならないと厳しいかも。視線を感じ、ふと顔を上げると天井近くにいたQ-n-0067『不死鳥』と目が合う。不死鳥は私の顔を見ると真っ直ぐこちらへ飛んでくる。
「あら、女王様ご機嫌よ……うっふ」
右肩へ留まった不死鳥から風圧をまともに食う。起こった風のせいでページがめくれる。身体が大きいからいつまで経っても慣れないわ、この迫力。ふと本に視線を戻すと、一つの単語が目に留まる。気になって塙山さんにその単語を指して質問をする。
「あの、これ何て読むんですか?」
「それ? それはクレイペウス。魔力の盾を出す呪文よ」
「盾か……。防御魔術は早い段階で覚えた方がいいと思うのでクレイペウスから覚えます」
「あら、それ中級魔術よ? いきなり大丈夫かしら?」
「あ、難しいですかやっぱり?」
「イグニスが初級魔術なのよ。まだ初級一つしか覚えてないでしょう? もう何個か覚えてからの方が楽だと思うんだけど……。まあ、お試しでやってみる?」
「是非」
「そ。じゃあいらっしゃい。直々に教えてあ・げ・る♡」
「お願いします」
今日はあちこちの署長に教えを乞う日なのかしら……。塙山さんは一番広い練習場を開けてくれる。前に魔力の塊を引き出す練習をしたところだ。練習場に足を踏み入れる前に不死鳥を肩から降ろそうとしたが、彼女は嫌がって離れてくれない。さわさわと風の音がする。
「あのう女王様、降りてくださりません?」
「手伝ってくれる気かもよ?」
「え、いいんですか? 練習場に入れて」
「魔術部署の外に連れて行かなきゃ大丈夫よ」
「そうですか。じゃあお願いしようかしら」
不死鳥は私の左手に留まったまま練習場に入ると、辺りを見回す。
「女王様の止まり木ありませんかね?」
「あるわよ」
塙山さんは練習場の隅に置いてあった止まり木──結構大きい──を軽そうに抱えて中央まで歩いて行く。置いてもらった止まり木の、なるべく高いところへ不死鳥を降ろす。彼女から少し離れて、私と塙山さんは杖をホルダーから取り出す。
「さ、始めるわよ。呪文はクレイペウス。出す分には簡単だけど、この呪文のは詠唱後も魔力を出し続けないといけないの。そうしないと消えちゃうの」
「集中力要りそうですね」
「そうよ。さ、もうやっちゃいましょうか。これは感覚で掴んだ方が早いわ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
お互いにお辞儀をして、私たちは杖を構える。
「地面の砂をちょっとずつ飛ばすから、防いでみて。盾が消えたら呪文を再び唱えて、なるべく長い時間キープする事を心がける。それの繰り返しね」
「はい!」
「行くわよ〜。ヴェンタス」
塙山さんが足元の砂を巻き上げて私の方へ飛ばしてくる。
「クレイペウス!」
魔力で出来た青白い光の膜が私の前に現れる。ええと、魔力を出し続けないといけないから……。塙山さんは向きを変えつつ風を少しずつ送り続ける。私は盾を出したまま杖を上下左右に動かす。
「こ、これ予想以上に疲れますね……!」
「まだ五秒よ〜、頑張って〜」
「はい!」
まだ十秒も経っていないのに、私は汗だくになる。これランニングよりきつい! 息が上がってしまい、私は集中力を切らせる。膝に手を置き、肩で息をする。
「あ、あっつい……」
「一発目にしては頑張ったわよ〜。続けられる?」
「ひい、ちょっと待ってください……」
「あら、じゃあ休憩しましょうか」
塙山さんは呪文なしで杖をひょいひょい、と動かすとその場にテーブルと椅子、紅茶やティーポットが現れる。テーブルと椅子たちは地面にゆっくり降りながらお茶の用意をしていく。
「さ、座って」
「はい……」
私は紅茶、ではなくてコップに注がれたお冷やに口を付ける。
「美味しい〜!」
「クレイペウスはね、細く長く出し続けた方が時間が稼げるんだけど、厚い盾を出すと消耗が激しいのよね。星川ちゃんちょっと頑張りすぎちゃったみたいね」
「目一杯出しちゃったかもしれないです……。加減しないと……」
「そうねえ。弱火を目指しましょう」
「弱火……弱火ですねわかりました……」
私の場合、火属性だから火で例えてもらうと感覚が掴みやすいみたい。と、言うのを他の火属性の魔術職員に教えてもらった。水属性は水で例えてもらう方が感覚が掴めるとか、他の属性も同じらしい。
水をたっぷり飲み、椅子とテーブルを横へ避けてまた私たちは杖を構える。
「弱火頑張って〜♡」
「はい!」
「行くわよ〜。ヴェンタス」
飛んでくる砂風に向かって杖を向ける。弱火、弱火……。
「クレイペウス」
細くちょろちょろっとした魔力を出す。砂風は防げているが、さっきより透明度が高い。これだと銃弾とかは防げなさそう……。十秒以上経ったが私はまだ余裕だ。
「その調子よ〜」
「はい!」
三十秒程粘って、若干疲れてくる。塙山さんが風を止めたので一度魔術を止める。
「まあまあかしら。慣れてくると五分くらい出せたりするわよ」
「すごいですね……」
「時間は少しずつ伸ばしましょうね。さて、もう一回や」
塙山さんの声はけたたましい警報に邪魔される。
「脱走!? また!?」
三回目の警報ののち、放送が入る。
「脱走、一体。Q-o-0059『カマイタチ』。場所は中央塔D-4区画。D-4付近の職員、およびCランク以上の職員は速やかにD-4にて再収容を試みよ。繰り返す。脱走、一体。Q-o-0059『カマイタチ』。場所は……」
「D-4だと食堂付近ね」
「Cランクなので私向かいます」
「私も行くわ」
「はい!」
 塙山さんたちと共に食堂ホールを駆け抜ける。D-4区画は駿未さんの部署がある駐車場のように広い場所だ。多少戦っても頑丈だから大丈夫、だと思いたい。D-5区の終わりを走っていると警報器が鳴りD-4との接続域のゲートが降りて来る。
「あら、ここ封鎖!?」
魔術部署の人たちが速度を落としたのとは反対に、私は閉じて行くゲートに全速力で向かう。よく分からないけど、私はあの中に入らなきゃ!
「星川さん!?」
「星川ちゃんダメよ!」
制止も聞かず私はゲートと地面の間に体を滑り込ませる。休む間もなく立ち上がり、耳を澄ませる。銃声が遠くでする……警備部隊がすでに鎮圧に向かっているみたい。杖を構えて私はそろりそろりと壁伝いに移動する。別の通路にぶつかるたび壁からゆっくり顔を出し行先の安全を確認する。
「星川さん」
「暗闇さん」
交信久しぶりだなー、なんて呑気に考えていると暗闇さんは呆れたような声を出す。
「わざわざ封鎖された区画に飛び込んだの? バカ?」
「う、すいません」
暗闇さんと小声で話しつつ封鎖区域を進んで行く。銃声は近くなって来たけどまだ遠い。
「なんか、あそこで追い出されちゃうとダメな気がして……」
「勘が働いたのはわかったけど、もう少し自分を大事にしてよね。私は拘束具のせいでもう君のところにジャンプ出来ないんだよ?」
「すみません。怪我はしないようにするので……」
「そうして」
銃声が止む。次の廊下からそろりと顔を出す。いた、『カマイタチ』だ。鎌鼬とは俗に言うけど、ここに収容されているのはカマキリのような刃物の腕を大量に生やした人型の金属生命体だ。警備部隊は弾の補充をしているみたい。私の位置からはライフルを構えた薄茶色の迷彩の警備員が一人見える。
「暗闇さん、相手見えました?」
「見えた。体が金属なんだっけ彼。0059は一度確認した時収容状態に改善の余地がなかったからその後関わってないんだよね。星川さん、今使える魔術は?」
「イグニスとクレイペウスだけです」
「念のためこの場で二つ新しいのを教えるよ。一つ目。呪文はカストルム・イグニス。火の砦。己を中心に炎で障壁を作る魔術。使う魔力量で炎の壁の半径が調整出来る」
「ありがとうございます。カストルム・イグニスですね……」
「火の砦は上級魔術だから魔力消費が激しい。なるべく後退する時に使って。もう一つはフレイマ。イグニスの上位互換魔法で、炎。こっちも中級魔術だから同様に魔力の加減は気を付けて」
「はい、ありがとうございます。フレイマとカストルム・イグニス……」
呪文を頭の中で復唱しながら再びゆっくり様子を伺う。膠着状態に入ってしまったようだ。カマイタチは動かないし、部隊の人も様子を伺っているみたい。ええと、observerだから目を持つ生き物が見ている限りは動かない。全方向から見られてるから動けなくなったのね。
「部隊の人と合流した方がいいですよね……」
「そうだね。一番近い奴のところに行って」
「はい。……クレイペウス」
私は念のため盾を出しつつ、カマイタチを見つめたまま一番近くにいる警備員に後ろから近付く。さすがと言うか、私がいたのを把握していたみたいで警備員は左腕で私の首根っこを掴んで己の背中へ隠す。ふと見えた横顔で、イーグルさんだったことに気付く。
「イーグルさん」
「しっ」
「すみません……」
喉は潰れているけど舌は動かせるようで、イーグルさんは小さく舌打ちをする。め、迷惑かけてごめんなさい……。膠着状態はなおも続く。
(暗闇さん、イーグルさんたち盾持ってないんですけどなんででしょう?)
「0059相手だと盾ごと斬られるからね。身軽さを優先したんでしょう。見える限りで判断すると攻撃特化の装備だね」
(なるほど。あれ、それだと……魔術の盾は効果あります?)
「クレイペウスは効果あるよ。それは物理的な障壁じゃなくて小型の結界だからね。結界って言うのは……解説してる場合じゃないな。兎も角0059には斬れない」
(なるほど、ありがとうございます)
イーグルさんの頭に顔を近付けて私は出来るだけ小さい声で話しかける。
「あの、私魔術の盾使えるのでお役に立てると思います。囮になるとか出来ます」
イーグルさんはカマイタチを見たまま後ろにいる私にハンドサインで何かを言って来る。私を親指で指して、ピースした手を下に向けて……歩く、かな。自分の頭を指して……その指を上に立てる。えーと……微妙にわからない。
「この場合“囮になるとか頭おかしいのか?”かな」
「ひえ……すみません……」
暗闇さんハンドサインわかるんだ……。イーグルさんは続けてハンドサインを出す。私、と、自分、と? 歩いて……カマイタチを? ええと、その先わからない。サイン早いよー。
「“星川さんと二人で0059を引き付けて後退。そのまま誘導して再収容する”って」
「わかりました。盾は厚い方がいいですかね?」
イーグルさんは拳を上下に動かす。
「“ショットガン”かな。ショットガンが防げるくらいの厚みにしろってことだと思うけど、星川さんにそれ通じる?」
「わかりました、厚めですね。移動は……おおぉ」
イーグルさんは私の腰に腕を回して、そのまま立ち上がり私を軽々と持ち上げる。えーと、俵持ち、だっけ? この状態。イーグルさんはライフルを構えたまま私に握らせ、空いた右手で仲間にハンドサインを送る。命令を受けた部隊員はカマイタチを見たまま三方向へ後退して行く。しばらく待つとイーグルさんの右肩に付いている無線がザッと鳴る。
「退避完了」
イーグルさんは無線を指で一回トンと叩く。了解、かな? 彼は私の顔の前に手の平を出す。目を瞑れ、かな。
「盾出しますね」
イーグルさんは手を振る。
「まだダメだって」
「あ、はい」
目を瞑る。私が持っていた銃を受け取り、イーグルさんは後ずさる。彼はカマイタチとある程度距離を取るとどこかの壁に身体を沿わせる。私をその場に降ろして、杖を持っている私の右手の甲をトンと叩く。魔術を使えって事ね。
「クレイペウス!」
目を閉じたまま前へ向かって盾を出す。イーグルさんはライフルを仕舞ったような音を立ててその状態の私を左肩に担ぐ。直後、カマイタチが動き出す。金属音がしゃりしゃり鳴り出すと同時にイーグルさんは走り出す。結構速い! 揺れる〜。
「星川さん、魔法変えた方がいいかも」
「砦の方ですね!」
「そう」
「カストルム・イグニス!」
ごうっと言う音がして周りが熱くなる。上手く出来たかな!?
「上手上手」
「やったぁ」
しかし金属音は容赦なく迫って来る。これ距離縮んでない!?
「0059との距離大丈夫ですかね!? 私、目開けます!?」
「砦の範囲広げて」
「ええっと、はい!」
私は杖を頭の上で円を描くように回す。完全に勘だったけど動きは合っていたみたいで、熱さが遠ざかる。
「よく出来ました」
「ありがとうございます暗闇さん!」
「さて、少し難しいんだけど魔術同時に二つ使ってみようか」
「えっ」
「砦を作ったままフレイマやってみて。フレイマは威力激弱ね」
「は、はい! フレイマ!」
ボッと言う音がして炎の塊が飛んで行く。当たった感じは……なし!
「これ絶対当たってませんよ!?」
「いいんだよ、牽制と挑発だから。金属野郎だし熱いのは苦手でしょう。挑発に乗ってくれるといいんだけど……」
シャアアア、とカマイタチが鳴く。
「怒ってますねえ!」
「よし。挑発に乗ったならしつこく追いかけてくるから誘導は出来るね。時々フレイマで脅かしながらそのまま逃げて」
「了解です!」
イーグルさん結構長い距離走ってるけど大丈夫かしら?
「フレイマ!」
再び炎の塊を出す。ぽひ、と情けない音がする。どこかにぶつかったっぽいな今の感じは。でもカマイタチに当たったかどうかはわかんない……。
「うう、砦に集中してるからポンコツフレイマしか出せない……」
突然イーグルさんが私の太腿の裏を二回叩く。ビックリして私は声を上げる。
「ひええ! なんですか!?」
彼はもう一度太腿の裏を二回叩く。ええと、一回が肯定なら二回は否定かな?
「砦引っ込めろって指示ですか!?」
太腿を一回叩かれる。そうみたい!
「了解です!」
私は杖を振って火の砦を消す。カマイタチは明らかに距離をぐんぐん縮めてくる。
「クレイペウス!」
魔術を盾に切り替え魔術を維持する。さすがにそろそろ疲れて来た。上級と中級、燃費悪いな〜。
「イーグルさん、私そろそろ集中切れそうです!」
太腿を二回叩かれる。
「盾引っ込めるのはちょっと危ないかと!」
もう一度、二回叩かれる。
「わ、わかりました盾も引っ込めます」
よしと言わんばかりに一回太腿を叩かれる。本当に大丈夫? 私が魔術を完全に止めると、イーグルさんは速度を上げる。イーグルさんの足音がより硬いものに変わる。反響音にも変化が出る。隣の区画に移った? えっと、こっちは食堂と反対方向だからD-3かな? カマイタチもさらに速度を上げて来る。
「追いつかれちゃう……!」
やっぱり魔法を! 私は杖を構えるが、イーグルさんは急に速度を落とし後ろを向く。金属音が止む。イーグルさんもさすがに息が上がってきたみたい。
「だ、大丈夫ですか?」
彼は降ろした私の肩を掴んで向きを変えさせる。おでこを指で一回叩かれる。
「目、開けますね」
目を開くと、三メートルくらいの高さと幅のグレーの石壁の通路と、カマイタチが見える。カマイタチはギリギリ通路に収まっている。D-3にこんな場所あった? 少なくとも、私は知らない場所だ。イーグルさんはゆっくりカマイタチの方へ向かう。彼が向かう先には警報器とゲート開閉装置。イーグルさんは低い姿勢で操作パネルに近付き、カマイタチの後方のゲートを降ろす。警告音が鳴り、ゲートがゆっくり降りる。彼はゲートが降りたのを確認してから姿勢を低くしたまま私のところへ戻って来て、私にもしゃがむよう促す。イーグルさんはポケットを探る。小さなボトルを出して私の視界にかざす。ええと? ポーション? かな? イーグルさんは私の手にボトルを握らせ、動作で飲めと指示する。
「いただきます」
杖をホルダーに仕舞い、カマイタチを見たまま蓋を開けて口を付ける。オレンジとグレープフルーツ風の味付けだ。
「ん、美味しい」
本物のポーションって美味しいんだ。なんかゲームだと不味いって描写あったような……。私が飲み物に集中しているとイーグルさんは私の隣に腰を下ろす。彼も飲み物に口を付ける。彼は呼吸を整えながら、スマホを取り出して何か打ち込む。打ち終わると画面を私に見せて来た。カマイタチを視界から消さないようにしつつ私は文字を読む。
「一人で突っ込んでくるバカ……ひえ、すいません……」
彼はスマホを引っ込めて何かを打って、また見せる。
──次から上司連れて来い。
「はい……そうします」
スマホを使いながら私たちは会話を続ける。
──お前が加わったから対処しやすくなった。そこは評価してやる。
「ありがとうございます」
──だが次に考えなしで突っ込んできたら殴る。
「もうしません……」
──0059の収容場所はこの通路の突き当たり。まだ距離がある。火の砦を使え。最初に炎で挑発しろ。そのあとは砦に集中しろ。
「わかりました。ポーションご馳走様でした」
イーグルさんは飲み終わった容器を私の手から取り上げると、ポケットに仕舞う。文字を打ち、見せて来る。
──疲れは取れた?
「ああ、ええと、多分」
──多分では困る。
「す、すみません。まだ少し喉と胸のあたりがスカスカすると言うか……」
──わかった。もう少し待つ。
「はい」
座ったまま私は腕を伸ばしたり回して身体をほぐす。緊張が続いて身体強張っちゃった。ふうと息をつく。じっとしているとお腹から身体が温まってくる。お、いい感じ。
「回復しました」
──移動する。
「はい」
立ち上がって杖を構える。私を抱える準備をしつつ、イーグルさんはスマホをもう一度見せる。
──走り出して五秒経ったら目を瞑れ。それまで目は開けたまま。目を閉じてから二、三発炎を。その後は砦に集中。
「了解しました」
イーグルさんはまた左肩に私を担ぐ。彼はゆっくり移動を開始し、カマイタチと距離を取る。充分に離れたあたりで彼は駆け出す。一、二、三──私はカマイタチに狙いを定める──四、五。目を瞑る。カマイタチが動き出した。
「フレイマ!」
ボッと音がして炎の塊が飛んで行く。カマイタチはシャアアッと鳴く。当たったみたいだ。
「フレイマ!」
もう一発。カマイタチはさらに怒る。すぐさま距離が詰められる感覚がして私は杖を頭上に掲げる。
「カストルム・イグニス!」
炎が私たちを取り囲む。カマイタチは炎の壁が出来ると一定の距離から離れなくなる。ちょっと近いんだよなー、もう少し距離取りたい。
「暗闇さん」
「なぁに」
「フレイマの上位互換魔術ってなんですか?」
「ちょっと、まさか同時に上級二つ使うつもり?」
「0059との距離もっと取りたいんですよ。向こうが怯むぐらいの魔法出せないかなぁって思って」
「随分やる気だね」
「さっきポーション飲んだので元気です」
「なるほど、納得。でも力加減間違えないでね。最悪失神するよ」
「わかりました」
「呪文はインファーヌム。意味は業火。威力を絞ってもそれなりに大きい火が出るから注意して」
「ありがとうございます!」
杖を前に向ける。左腕を支点にしてイーグルさんの肩の上でバランスを取る。瞼の向こうに広がっているだろう景色を想像する。廊下はひたすら真っ直ぐ。真正面にはカマイタチ。カマイタチは身体が大きいから大きな火が襲って来たら避けられない。私は自分の腕から杖の先への感覚に集中する。
「──インファーヌム」
ドンッと重い音がして杖の先から炎の塊が飛び出す。即座に金属音が止み、カマイタチが悲鳴を上げる。
「よっし当たった!」
「まさか本当に上級二つ使用するとは」
「上級二つってやっぱり難しいんですか?」
「手練れの魔術師でも早々やらない」
「わぉ」
カマイタチは私が怖くなったのだろう。追いかけはしてくるがさっきより距離を明けて追って来る。
「効いたみたいです」
「そりゃ嫌いな炎に包まれたらねえ……」
イーグルさんが太腿の裏を二回叩く。あら、着いたのかしら?
「火の砦、引っ込めます!」
カマイタチとイーグルさんが同時に速度を上げる。私はいつでも炎を出せるように杖をしっかり構える。行く先でビーッ、ビーッと警告音が鳴りゲートが降りていく。イーグルさんはさらに速度を上げて両腕で私のウエストと膝をがっちり抱え込み、思いっきりスライディングする。姿勢が崩れたので私は慌てた。
「ひゃあ!?」
私たちはそのままどこか明るい場所へ滑り込んだ。ゲートが完全に閉じる。
「Q-o-0059の再収容を確認。繰り返す、Q-o-0059の再収容を確認。全ての職員は通常業務、及び事後処理に当たってください。お疲れ様でした」
イーグルさんに半身を起こしてもらい、私はやっと目を開ける。
「お、終わった……」
私は万歳をして床に寝転ぶ。
「やったぁ〜、怖かった〜!」
「怖がっていたようには見えなかったがね」
「刻浦さん!?」
「お疲れ様、星川くん」
刻浦さんは私の手を引いて立ち上がらせてくれる。
「あの、イーグルさんありがとうございまし……」
振り向いた私が言い終わる前にイーグルさんは胸ぐらを掴んで来る。額に血管が浮いているのがわかる。
「ごごごごめんなさい」
降参と両手を上げると、解放される。人差し指で何度もこちらを指されてしまい、もの凄く怒られてる事に気付く。
「ご、ごめんなさい。もうしません、もうしません!」
私は何度も頭を下げる。刻浦さんは私の肩に手を置き、イーグルさんをやんわり制止する。
「イーグルくん、そのくらいに。危険は冒したけど星川くんのおかげで死傷者はいないんだから。ね」
イーグルさんは呆れた顔で刻浦さんを見てから、私を指差して握り拳を作りその上を撫でる。
「“星川くんを甘やかしすぎ”だって」
「すみません……」
イーグルさんは私たちに一度背を向けたが、振り返って二本指で己の目を指したあと私を指差す。これは映画で見たことある。お前を見ているぞ、だっけ。
「“お前には目を光らせておく”だって」
「ひえ……」
「さて、じゃあ星川くんは検査に行こう」
「え」
「魔術士見習いが上級魔術を二つ同時に使うなんて芸当したからね。それでいてケロっとしてるし、“上”はステータスに変化が出たと予想している」
刻浦さんの上層部としての意見か。
「わかりました。検査行きます」
「送るよ」
「ありがとうございます」

 検査室に向かうと加奈河さんと暗闇さんが座って待っていた。あと塙山さんと鐘戸さんもいる。
「……おかえり」
暗闇さん機嫌が悪い。
「お騒がせしまして……」
「本当よもう〜!?」
「ご、ごめんなさい……」
「次からはゲートに飛び込んじゃだめよ、星川さん」
「はい……次はしません……」
「叱りたい気持ちはわかるけどそのくらいに。この子さっき警備部員に散々叱られたところだから。さ、星川くんは検査」
「はい。失礼します」
そそくさと検査に向かう。身体の表面についた埃や塵の採取。制服を脱いで殺菌消毒のシャワーを浴びる。バスローブに着替え、採血を行う。

 私の採血を窓越しに見守っている刻浦さんの横に、先に検査を終えたイーグルさんが近付く。彼は白い迷彩服に着替え直していた。
「お疲れ様。成長剤のタイミング、良かったよ」
彼は頭を下げる。イーグルさんは私が飲み終えたポーションのボトルを刻浦さんに手渡した。
「綺麗に飲んだね。さて、いい結果が出るといいけど」
イーグルさんはハンドサインで何かを言い、刻浦さんに再び頭を下げてその場を去る。人が気付かない程度に刻浦さんの口の端が持ち上がる。彼はポーションのボトルを胸ポケットに仕舞った。

 検査結果が出るまでは時間があるので、私は新しい制服に着替え備品をポケットに仕舞っている。杖用のホルダーを腰に装着。杖を仕舞おうと思ったが、そう言えば先ほどの成果を褒めていなかった。
「ありがとう。今日も貴女のおかげで頑張れたわ」
杖が微笑んだ感覚を受け取り、ホルダーに仕舞う。さて、暗闇さんの機嫌を取らないと……。
加奈河さんたちの元へ戻る。暗闇さんは足を組んでソファの上で目を瞑っている。加奈河さんや塙山さんたちも近くのソファに腰掛けていた。みんな私が戻って来ると、ほぼ一斉に駆け寄る。
「もぉ〜! おバカ!」
「すみませ〜ん」
「心配させないで」
「はぁい」
「星川」
「はい」
「……いや、いい」
「は、はい……」
むっすりした加奈河さんの向こうで暗闇さんが横目で私をじっと見ている。うわー、怒ってる……。私はそそそっと暗闇さんの前に行く。
「あの、心配かけてごめんなさい」
「……君が怪我したら私も脱走するから」
「うう、はい」
ツンとしていたが、暗闇さんは黙って両手を広げる。私はそこにすっぽり身体を収める。暗闇さんは私の背中を優しく撫でた。
「0059は消し炭にしてやってもよかったんじゃないの」
「それはそれで怒られるので……」
「次にあいつが脱走したら再生出来ないくらいボコボコにしてやる」
「それだと暗闇さんが怒られるので……」
「ふん」
刻浦さんがバインダーを片手に戻って来る。
「全員、いいかな。0083も」
「は? 私も?」
私も暗闇さんも加奈河さんたちも刻浦さんの前に集合する。刻浦さんはバインダーを全員に見せながら説明を始める。
「星川くんのステータスだけどね、原因は不明だが魔術系統の値が跳ね上がっていたよ。上級魔術を同時に二つ使えたのはこのせいだね」
「あら、まあ」
「本当。魔力保有量、魔力の質……どれも申し分なしね」
「これを見た“上”は星川くんの異動を決めた。魔術部署に異動だ。本人の意思に関係なくね」
「えっ」
「……言っとくけど私星川さんが作業に来てくれないなら脱走するよ?」
「まあ、そう言うと思ったのであくまで異動は一時的にする。魔術士認定試験に受かったら0083部署に戻すよ。星川くんは明日以降、魔術部署から二日に一回0083の作業に通って」
「わ、わかりました……」
「一日一回にして」
「本当は三日に一回にしたいところを譲歩して二日に一回なんだ。悪いが我慢してもらおう」
「…………」
「暗闇さん、空いた時間で顔見に行きますから……」
「……仕方ないな」
「ありがとうございます」
「うん、では異動申請を出して来るから今日は各自元の業務に戻って」
「やだ」
「え」
「おいナイル」
「星川さんさっきまで危ない目に遭ってたんだし私が独占しても許されるでしょ。いいや君たち誰からの許可も要らない。私が望んで私が許す。誰がなんと言おうと彼女抱えたまま部屋に引きこもるから」
暗闇さんは言い終わるも早々に私を抱えてしまう。
「……仕方ない。では星川くんは早上がりと言うことで」
「す、すみません……」
「0083に脱走されるよりはマシだからね」
暗闇さんは誰にも何も言わずその場を立ち去った。

 暗闇さんを一度部屋に送り、制服から私服に着替えて暗闇さんの部屋を訪れる。ブザーの音を待って部屋に入ると暗闇さんは頬杖をついて本を読んでいた。本から目は離さず、彼は自分の膝をぽんぽんと叩く。そこに座れと。
「んしょ」
大人しく彼の膝に座る。暗闇さんは本をテーブルに置いて私を抱きしめる。
「私の星川さんなのに」
「もう、わかりましたから」
「全然わかってないよ君は」
「これだけの接触を許してるのは暗闇さんだけですよ」
「……そうだけどさ」
「機嫌直してください。……異動かぁ」
その言葉を聞くと暗闇さんは腕を緩める。
「見習いが上級魔術二つも使おうとするなんて変だと思った。星川さんたちの再収容までの動きは部署の連中とモニターで追いかけてたんだけど……本当は警備員に何もらったの?」
「え、ポーションですよ。柑橘系のミックスジュースみたいな味の……」
「……苦味は?」
「え?」
「そのポーション苦味はあった?」
「えーと、グレープフルーツみたいな味だったので苦味はありましたね」
「……ふぅん」
「なんです?」
「なんでもない。ポーションって和訳すると水剤って言うんだけどね。要は薬なんだよ。どれかと言えば漢方みたいな味がするはずなんだ。でもジュースみたいだったって? それ本当にポーション?」
「え、飲みやすいように改良されてるんじゃないですか……?」
「苦い薬とジュース混ぜても限界があるでしょ」
「ああ、まあ確かにそうかも……」
「何飲まされたんだろうな……。“どれ”だ、予定にないことしやがって。これじゃいくらなんでも……」
伸びをしていた私は、暗闇さんの後半の呟きを聞き逃す。
「はい?」
「なんでもない。とりあえず、誰かに何かもらうときは気を付けて。特に口に入れる物」
「えー」
「えーじゃない。わかった?」
「はぁい。でもポーション美味しかったですよ?」
「美味しいからって混ぜ物がないとは限らないでしょ」
「混ぜ物ですか」
「ジュースで味を誤魔化して別の物を飲まされたとしか思えないんだよ。聞く限り絶対ポーションじゃないもん」
「うーん、でも魔力的にも元気になりましたしねえ……」
「元気になりすぎでしょう……。……あ、そう言う事か」
「なんです?」
「なんでもないです、ただの思い付き。さーて星川さん、もうオフだからこのままデート行くよ。つっても施設からは出られないけど」
「デートですか」
「ここ最近君とゆっくり出来てないんだもん。そのぐらい付き合ってよ」
「仕方ないですねえ」
そう言いつつ、私は笑顔だ。
「じゃあ、中庭行きます? 小さい公園になってるんですよ」
「うん」
「ふふふ」
私は暗闇さんと一緒に手を繋いで部屋を出た。

 一方、委員のオフィスでは会議が開かれていた。そこにいるのは刻浦さん、太刀駒本部長、イーグルさんに機葉さんだ。
「投薬は予定通り行われた。ご協力感謝する」
「星川ちゃん、いい感じに育ってきたねえ。イーグルくんもお疲れ様! ご褒美何がいい? “別に要らない”? そんなこと言わずに〜」
「主が褒美をくれるって言うんだから素直に甘えておきなさい? イーグルくん」
「太刀駒くん経由とは言え私のワガママを聞いてもらったんだから、礼はするよ」
「だって! ほら、素直に受け取りなさい? ん? “人員の補充と新しい装備”? いいよいいよ〜! そのくらいお安いよ! いやいやそれ社員としての話でしょ! 違うよ個人的な望みは!? いや“ない”じゃなくてね!?」
「ふむ、特に希望がないなら食事でも奢ろうか」
「“外食がいい”! そうだよ〜それを言ってよ〜! 焼肉行こう焼肉! 銀座の! 好きだよね! ね! ラーメンも好きだよね! うんうん、そうしようね!」
「薬を調合した私にもご褒美くださらない?」
「何がいいのかな?」
「好きなブランドの新作が出たの。服と靴」
「では今度買いに行こう」
「うふふ、楽しみにしてるわ」
 委員の会話は誰にも聞かれない。彼らの思惑に私たちはまだ気付かない。私を中心に行われている計画は、いずれその姿を現す。でもそれまでは、誰にも秘密だ。


次作へ続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?