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更新できるおっさんになりたい話。

私は、note のプロフィールに「おっさんです」と書いているが、実際「おっさん」とはどう定義するものだろうか。そもそも自分はいま三十代だが、おっさんと名乗っていいのか不安になってきた。

別に「おっさん」で居たいと思っているわけではない。けれど、年齢はどうあれ、周りから「あの人おっさんだよね」と認定されているのに、それを受け入れない、ましてやそれに気付いていないのであれば、まさしくそれは「おっさん」であり、「周りが見えてない若作りおっさん」となる。それなら「じゃあ、おっさんです」と自分から認めたところで、それは紛れもなく「おっさん」だ。ともすると「何このおっさん開き直ってんの」という批判もされかねない。
認めてもおっさん、認めなくてもおっさん。進むも地獄、退くも地獄、ということだ。 

あんまりおっさんおっさん書いているとゲシュタルト崩壊するのでこの辺でやめて本題に入ります。

ふと、「自分は歳を重ねてどんな人になりたいのかな」と思った。

たとえば、会社で、割と年配の人を見かけることがある。そろそろ定年間近だったり、定年後も嘱託で勤務されていたり、「顧問」とか「相談役」という謎の役職で定年関係なく居座ったり。
そういう方を見ていると元気の無い人が多い気がする。いや、中にはバリバリで働いている人もいるのかもしれないが、私が知る限りはそういう人は見つからなかった。たまに、元気の良い人が居てもそれは仕事上ではなく私生活が元気なだけに見えた。

酷い例を挙げてみる。
昔勤務していた会社で、日中、パソコンの標準ソフトのボードゲームをやっている人を見たことがある。いわゆるソリティアおじさんだ。私とは部署が違うところだったので、仕事上の関わりは無かったが、「本当にこういう人が居るんだ」とびっくりした。
彼は、役員を務めた後に定年退職し、嘱託として同じ職場で働いていたらしい。待遇こそ変わったものの、チームリーダーは、彼に対する敬意が邪魔をしてというか、今まで高みに位置していた人に対して、フラットな感じで業務を振ることは難しいようだった。だから彼が一日中そんな調子でゲームをしていても何も口を出せずにいたのだと予想できる。

もう一つ、昔の職場で出会した例を挙げると。
多分どこかの会社の経営者か重役だった関係で、「顧問」という役職を掲げられて、ある日突然、組織図の上の方、社長にほぼ近い場所に登場してきた人が居た。詳しい年齢は知らないが、定年なんて制度とは全く別次元で生きている、そんなふうに見えた。彼が来たことで、経営のサポート役として会社が良い方向に進むように舵取りをしてくれるとか、もしくは現場にテコ入れして業務をどんどん改善してくれるとかなら、まだ分かる。
しかし彼は、現場の社員と面談の場を設けて「不満や改善点は無いか?」と聞いてくれたところまでは良かったが、話をしていると最後の方には「こういうやり方だからこの会社はダメなのだ。私が若い時には〜」という武勇伝よろしく自慢話で終わってしまった。もちろんこの後、特に業務の改善も無かったし、社内の制度や売上自体も変わることはなかった。

ここで挙げた2人は恐らくかなり恵まれているケースだ。かつて活躍した経歴や実績のおかげで、一線を退いても依然待遇も悪くなく、自身の自尊心を満たしたまま働き続けることができている。誰に何を言われるでもない。否定的な意見を言われることもなく、「さすがですね。ご立派です」と言われて満足しながら、企業人としての人生を終えてゆく。

こうなれば、プライドも保てて高いお給金を貰えてそんなに生きやすいこともないだろう。意地悪な言い方をすれば本来なら働く必要は無くて、そのまま「逃げ切る」ことも可能だ。自分が他人からどう見られているか、とか、会社の中でどう役立っているか、などということは気にしない。むしろ「こんなに凄い私と一緒に仕事ができるなんて、周りの人は有難く思い給え」くらいのことを思っているかもしれない。

だが、私は違う。
彼らのような素晴らしい経歴も華々しい実績も無い、ただの平平凡凡サラリーマンのおっさんだ。こんな人間が、一体どうしたら、この後の会社員人生を、路頭に迷うこともなく、過ごしていくことができるだろうか。
そんなふうに思っていた時、この歌に出会った。

おっさん

-岡崎体育

私は、以前から岡崎体育の歌が好きで、アルバムも一通り聴いている。好きな歌はたくさんあるが、個人的には「龍」とか「式」とかのしっとりした歌が好きだ。落ち着いていて綺麗。でも、ネタ曲も良い。彼自身のことも本当に才能の塊だと思って尊敬している。
そして、この歌が公開されてからますます好きになった。この曲が作られた背景を何かで読んだら、「ああ、空気の読めないおっさんのことだな」とすぐ理解できた。と同時に、「いや、自分だって既にもうおっさんになっているし、ほんと気を付けないとな」と思った。まさに今の自分に当てはまる状況だったのだ。

この歌の中には、こんな歌詞が出てくる。

「僕はもうおっさんになった」
「だからこそ更新」
「明日はもっとおっさん」
「数年後はもっとおっさん」
「今を未来を学べる人になりたい」

多分この先、私は偉い役員にもなれないし、顧問とか相談役とかいうのもなれないと思う。もうおっさん化を止めることはできないし、止めようとも思わない。
だけど、どうせ何したっておっさんならば、せっかくなら素敵に年を取りたいし、仕事も、現場なら現場で誰より手を動かせる人になりたいと思う。どういうわけか私が勤める職場やチームは高齢化が進んでいることが多くて、いつでも私が最年少なのだけれど、この先働き続けていれば、きっと年下の後輩が現れると思う。そして年下の上司も出てくるかもしれない。そうなったときのために、年下から好かれるおっさんになりたい。明るくさっぱりとした、話しかけやすいおっさんがいいな。肉体的にも、ダイエットは続けて少しでも健康でいようと思う。

更新しよう。この歌の歌詞に本当に共感したので、note のプロフィールにも書いている。おっさん、だからこそ更新。

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