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いつまでも他人に執着したり煽られる人は、自信がないか暇説

ふらん(@tuppy_osakacafe)です。緊急事態宣言が出ましたが、2回目なので次はこうしようと決めています。その為大きく行動は変わりませんが、ここでストレスを溜めたり他人を攻撃する人は減りはしないだろうと。

他人は変えられないとも思いますし、変わりたくない人もいるのでどうこうしたいとも思いません。今の所ネチネチした人や他人がどうのという人は周りにはまずいません。ただ、何でそんな事になるのかを考えてみようかなと。

皆が〜はその個人の感想を盛っている

あたかも周りの数人の声を拾ったり、同じ意見をSNSで見ると「ほとんどの人がそう」と勘違いしてしまう人がいます。周りがどうなのかを気にする事を無視するのは出来ないかもしれませんが、同時に気にしすぎていると時間も足りないと思います。

あくまで発信者の感想、意見

「真ん中も、右から見たら左」

大学生の終わりぐらいに気付かされた事があります。例えばこの服が良い!という意見を出しても、とある人は「安っぽい」と言う人もいるかもしれません。マンションの外観が綺麗と思っても、ある人からしたらそれが普通に見えている人もいます。

それを否定せずにそのまま受け止めて、過剰に反応しない事が良いのかなと思います。

緊急事態宣言も毎日の様に「意味があって報道される情報」も感じ方はそれぞれなのは受け入れる。極端に経済回す派VS自粛派という構図は見ていてどうなのかなと。

最近、〜はカスとか特定はしていないけれども言葉遣いがキツいのは遮断。あくまでその人の感想であって、そこで自分が気分が害すのであれば見る必要もないですし見なければいい。わざとスクリーニングしている場合もあります。

議論に勝ってもまず変わらない

相手を打ち負かす事に価値はあるのか。
議論自体は否定しないですし、新しい価値観や考え方の為には必要な時もあります。ただ、議論する時も明確に目的があってする人はどれぐらいいるのかなと思っています

自分のストレス解消で相手を打ち負かして楽しい。
そう思っている人もいる気がしますが、同時に情報発信している時点で誰かが喜び誰かが傷つく可能性はある。これを言い出したら情報発信するな!という風に読み取る方がいるかもしれませんが、言葉ぐらい選ぼうという話です。

自分を忙しくしてみる

余暇時間が出来た時にSNSを見る人は多数いるかと思いますが、ある程度は自分で情報を選べる訳で。
思い返すと、僕も波があります。特に忙しい時は1日にSNSはほぼ触らない時もあります。

日々実店舗、必要な連絡、毎日のルーティンの時間の確保、大切だと思う人、これからの事を考えています。「何で顔も知らない誰かに時間を使うのか」と自問した事もあります。

誰かの意見に過剰に反応することは、自分の耐性が出来ていない可能性があります。プライドがあったり弱い所をつかれた時に感情が乱れるという事は自信がないのかもしれません

また、経験上暇になると余計な事を考えます。何か楽しい事がないかな、面白いことを探そうという風に。隙間があると刺激に対して反応してしまう。

その隙間の感情は自分で選べるのですが、時間が余っていると感じるとそこに時間を使ってしまうと思います。日々の出来事に反応しがちな人は忙しくしてみるのも一つの方法かも。

後は自分自身も華麗なスルースキルを磨こうと思いました。

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