December
今年も残りわずかとなってきましたが皆さん、いかがお過ごしでしょうか。私は師走という名のただでさえ慌ただしい月を今年も全力疾走で駆け抜けてしまいましたが、その代償に無事、27歳の誕生日を迎えることができました。皆さんに沢山のお祝いの言葉を頂き、感謝です。ありがとうございました。ちなみに女優の新木優子ちゃんと生年月日が一緒なので、毎年同じ日に誕生日投稿をしているのですが、今年のInstagramのコメント件数は、私40件、新木優子ちゃん4500件でした。そんな私の27歳の抱負は来年のエイサー祭りでちょんだらーすることです。
「ロックスターは死んだ まだ僕は生きてる」27歳といえば27クラブ、信じるか信じないかはあなた次第です。尾崎豊さんの年齢もついに超えてしまいました。年上の尾崎豊さんはもういません。少し考えさせられます。同時に27歳までにどの様にしてあんなにも感性を豊かにできたのかも気になります。ミュージシャンの方々はそういった方が非常に多く、宇多田ヒカルさんなんてFirst Loveを作詞作曲したのが15歳ですからね。感性が圧倒的すぎて、本当に人生1度目なのか?と疑ってしまいます。他にも桜井和寿さん桑田佳祐さんなどいますが、その中でも私が最も尊敬する人はZARDの坂井泉水さんです。これからの若い人達にも坂井泉水さんが残してくれた素晴らしい曲、歌詞を是非とも聴いて欲しいですし、こんなに美しくて才能豊かな人がいたということも知ってほしいです。
少し脱線してしまいましたが、27歳もブレずに、よりこだわって生きて、「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」そう思っています。頑張ります。
さて、今日は2020年を振り返っていきたいと思います。時を戻そう、このネタはしばらく時が進んでからまた使おう。
2020年の元日、私は友人とその父、兄と中野坂上のジョナサンで昼食を食べ、その後、友人の兄の運転で友人の父を羽田空港まで送り、その帰りの車の中で2020年はどの様な年になるかを友人の兄から話をされていました。「大きく風向きが変わる年になると」そんな年だからこそ良い風を吹かせていこうと。そして、友人の兄の家に届いたチンニングマシンを組み立て、軽くパンプアップした元日、スタートでした。感謝。
同じく1月コロナウイルスが世に姿を現しました。2020年を振り返る上で最も人々に影響を与えた出来事だと思います。今年の漢字はそんなコロナウイルス関連からの「密」でした。しかし、この当時はこのウイルスがこんなにも様々な方向で多大な影響を与えるとは、私は思っていませんでしたし、今後もどうなっていくかはわかりません。未来が見える人もいるのかも知れませんが、私は明日起こりうる出来事を予想することもままなりません。だからこそ人生は面白いとも思います。コロナに始まりコロナに終わる年と言えますが、良い意味でも色々考えさせられた年になったんでは無いかなと私は思います。リーグが中断して、無観客試合となり、最後までシーズンを過ごすことができずに中止。自粛、お家時間、一人で過ごす時間が増えました。仕事であるバスケットボールもできない状況、家族、友達にも会えない。そんな今までの当たり前が当たり前じゃなくなり、改めて大切な人や物に気づくことができました。そして今は仕事があり、友人と会える、これがとても幸せなことだなと。
「もしかして幸せは 訪れるものでも待ってるものでもなくて 今ここにあることに気がつくものなんじゃないかな」
5月、リリースが発表され、2年間お世話になった富山を離れることになりました。富山から琉球に移籍することになったのは、今年の私の大きな出来事です。2年間という短い期間でしたが、富山で過ごせて本当に良かったと思っています。最後に応援して下さった方々にご挨拶することができなかったのが心残りですが、富山への想いはnoteでも書かせてもらいました。そして、今シーズン富山の皆さんに会えるのを楽しみにしています。富山はすごく良い所なので行ったことがない方は是非行ってみて下さい。琉球のブースターの方々も是非、富山まで応援に来て下さい。
7月、沖縄上陸、いよいよ新たな環境でのスタート。その前に車で鹿児島まで南下したことも良い思い出に。とある某チームのアシスタントコーチの遠○向○さんは過去に愛知県から宮崎県まで車で運転してる最中にドライバーズハイになり、当時お付き合いしていた彼女にプロポーズをしたという話を聞いたことがあるようなないような。私はせっかくなのでゆっくり色んな所に寄って鹿児島まで行こうと考えていたのですが、名古屋から福岡まで一日で行ってしまいました。ドライバーズハイはなんとなくわかりましたが、お付き合いしてる女性が私にはいませんので、仕方がなく先輩の比江島君とご飯に行ってきました。福岡はご飯が美味しいし、本当に良い所ですよね。早く怪我治して下さい。
新たな環境、歴史ある素晴らしいチームでまたバスケットボールと向き合える機会を与えてくれた、琉球ゴールデンキングスに感謝。今シーズンは背番号も変わり、心機一転。新しい役割としてPGへの挑戦もしている。これも今年の私の大きな出来事であり、変化である。小学3年生でバスケを始め、約20年程になりますが、私はちゃんとしたPGの経験は無く、20年目、27歳にしてPG挑戦という新たなチャレンジをしています。今は正直、チームメイトのおかげでなんとか最低限の役割はこなせているかなというのが現状です。今までより責任が多く伴うポジションなので不安や悩みも多いですが、私の中で1つ1つクリアにしていき、よりチームに貢献できるようになるために、今まで以上にバスケットボールと向き合って、失敗も後悔も沢山すると思いますが、前を向いて、毎日上手くなるしかないと思っています。そして、私のことに限らず、何かを新しく始めるとき、何かを変えるときには不安や悩みが生じると思います。ですが、できない理由を探さず、できる理由を考えて、挑戦してみて下さい。きっとやれない理由をいくつ探してみたって、やらなかった後悔が勝ちます。そんなあなたを私は応援してます。一緒に頑張りましょう!
人生は感謝するためにある。改めてそう感じています。某テレビ番組で石田ゆり子さんが20代の頃からの習慣として毎日「今日も一日ありがとうございました」とつぶやいて、微笑んだ顔で眠りについていると話していました。これが50歳を迎えても尚、あの美貌の秘訣なのかはわかりませんが、私は全く関係ないとは思えませんでした。感謝できることを見つけて、感謝して生きることがとても大事だと。高校時代、嫌々書かされていたバスケノートには毎日感謝した出来事や感謝した人を書かなくてはいけませんでした。2021年、今一度、1日1回は感謝しようと心がけて、感謝できることに気がついて、感謝できることを探して、感謝できることをもっと幸せに感じて、過ごしていきたいと思います。
最後に2020年も沢山の方々に出会い、支えられて、幸せな年になりました。本当に感謝しています。2021年もこんな私ですが、どうぞよろしくお願いします。そして、2021年、私を取り巻く方々に良い風が吹くことを切に願っています。それでは皆さん、良いお年を!
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