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独りで抱えれば黒歴史、2人で叫べば青春/『惡の華』感想

この作品を、今、思春期に苛まれているすべての少年少女、かつて思春期に苛まれたすべてのかつての少年少女に捧げる

映画を象徴するコピーである。押見修造作品の中でもひときわ異彩を放つ人気漫画『惡の華』が実写化された。以下、感想です。

<あらすじ>

舞台は閉塞感漂う地方都市。中学生の春日(伊藤健太郎)は、ボードレールの詩集「惡の華」を心の拠り所に、息苦しい毎日をやり過ごしていた。ある放課後、憧れのクラスメイト・佐伯の体操着を教室で見つけた春日は衝動のまま持ち去ってしまう。その一部始終を目撃していたのはクラスの問題児・仲村(玉城ティナ)だった。

仲村はそのことを秘密にする代わりに、春日にある“契約”を持ちかける。こうして仲村と春日の悪夢のような主従関係が始まったー

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原作漫画は全巻揃えるぐらいに好きだった。この漫画や映画を観て、なんにもピンと来ない人もいるだろう。僕は心臓が少しだけヒンヤリとした。退屈だし理解できないと、突き放す感想を持つ人がいても驚きはしない。別にどちらが正しいも普通もない。ただ、僕は胸に迫るこの苦みに覚えのある人間でよかったと思う。

決して取り扱いが簡単ではない繊細な原作漫画。この世界観をどこまで再現できるか、映像作品として破綻せずに成立させられるか。絶対に難しいはずだし、観る側としても不安があった。

杞憂に終わった。

原作に忠実な世界観、違和感のないキャスティング、玉城ティナの存在感。どれをとっても素晴らしかった。漫画は最後に読んでから時間が経っていたけど、映画の中で次々と記憶が蘇った。再現度や敬意を持った演出は自然に受け入れられるものだった。

主人公の春日を演じた伊藤健太郎は幅広い役を演じられることを証明している。かっこつけようなんていう邪な気持ちを一切感じなかったので好感が持てた。高校時代のオタク感丸出しのダサい髪型とボテっとした後ろ姿は、絶妙に気持ち悪くて素晴らしかった。言ってしまえばただのドMの変態野郎とはいえ、そこにある葛藤はリアルだった。

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高校時代に登場するヒロインであり、この作品の清涼剤ともいえる常盤さん役には飯豊まりえ。個人的に見た目がとても好きなので、常盤さん役も大歓迎。すらっとした雰囲気も合っていた。中学時代の春日が越えられなかった山を越え、惡の華から脱却した彼を迎え入れるにふさわしかった。真のミューズは彼女だろう。

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そしてなんといっても本作のシンボル、仲村さんを演じた玉城ティナ。彼女のルックスは一般人離れしたお人形さんなので、女優としての立ち位置や役どころが本来難しいと思う。本人がどう感じているのかは知る由もないが、実際ハーフモデルから女優業にチャレンジしたものの、いつの間にやら淘汰されてるケースはたくさんある。なのに彼女はどの作品で見てもその世界観に馴染むからすごい。

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特に本作の仲村さん役はスーパー当たり役のハマり役で、一度観てしまえば彼女以外に考えられない。原作の仲村さんが持つ危うさ、そして脆さを完全に体現している。ひん剥いた眼光や荒らげた声、折れてしまいそうな儚い雰囲気と痩躯、どれもが鮮烈な印象を与える。

どう考えても顔面偏差値高すぎなんだけど、映画の中では(特に最初のほうの場面は)ちょっと病的なヤバさを確実に醸し出していて、「たしかにこれは近寄り難い、ルックス以前のヤバさだ」と説得力がある。

ロケーションやリーガルリリーの音楽も良いし、過去と現在を行き来する場面転換も見やすい。細かなツッコミどころやぶっ飛び要素はあるものの、それは原作漫画の存在によって許される。

夏祭りのシーンなんかは令和青春映画のひとつのハイライトに映えそうな場面であったし、ラストの海辺のシーンも無理がなく美しかった。全編通してほどよいエロスも最高。

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10代の頃に置き去りにした黒歴史。もしかしたら誰もに経験があるのかもしれない。これを観れば、その手触りや湿度をきっとほんの少しだけ思い出せる。独りで抱えた黒歴史も、ともに叫んだ仲間や、一緒に背負いこんでくれた誰かがいたなら、それはもう青春と呼べたと思う。

春日と仲村さんのあの日々も、他の全員が「黒歴史」だと糾弾しても、2人が呼べばただの青春。美しく燃えるような青春だ。

にしてもタイプの違う美女3人から引っ張りだこの春日の魅力たるや恐るべし…圧倒的に勝ち組の青春じゃないか!

サポートが溜まったらあたらしいテレビ買います