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夜明けのすべて




原作を読んだことがありました。
原作もとても好きでした。

三宅唱という映画監督もとても好きです。
過去作「きみの鳥はうたえる」を見た時は
まだ元彼と付き合っていた頃で
大学を卒業したばかりの私は複雑な、
それでいて瑞々しいような、
そんな気持ちになったのをよく覚えています。


ここから先の感想はネタバレを含みます。
ただネタバレを読んだとしても尚
映像として観に行く価値のある作品だと思います。
主演の松村北斗が番宣でよくこの映画をこう表現します。
「生きるのが少し楽になる、そんな作品です。」



PMS(月経前症候群)とパニック障害


主人公の藤沢さん(上白石萌音)は
月経前症候群、通称PMSを抱える女性です。
男性はピンとこない方もいるかもしれませんが
女性なら、症状に大小はあれど
毎月少なからず感じる方が多いのではないでしょうか。
(私も学生時代お腹痛すぎて休んだりしました。)

もう一人の主人公山添くん(松村北斗)は
パニック障害を抱える男性です。
あまり彼の経歴は詳細に多くは語られませんが
彼の家の棚にはたくさんのトロフィーや
友達に囲まれた写真が飾ってあります。
映画全体を通して言えることですが
本当に「多く語らない」のです。
でもそれだけで、彼がどう言う人生を歩み
そして今の自分にどれだけ落胆しているかがわかりますよね。


誰かが何かで言っていたこの言葉を
私は結婚してから、特に強く意識するようにしています。
「語れる何かがあるのが知性で、何を語らないかが品性」
この映画には語らない品性が随所にあるような気がしました。


まあかくいう私は、原作を読んで知っていましたし
知ってほしいので言ってしまいますが(笑)
彼はかなりエリートな道を歩んできた男でした。
スポーツ万能、成績優秀。
女性にもさほど困らず、なんとなく恵まれた道を
歩んでいたような
「高める」という生き方を選んできた人です。

映画開始後、登場した彼は
そんな面影はありません。
髪は無造作に伸び
影を落としたような佇まいで登場します。


藤沢さんのPMSはかなり重度のものです。
生理が始まる前になると
苛立ちを抑えられなくなり
自分の感情なのに自分でコントロールできなくなります。

よく「アンガーマネジメント」なんて言いますが
そんなもの通用するはずもない
自分のことなのに、まるで自分ではないような
そんな感覚に陥るそうです。
私もそこまでではないですし、毎月必ずなるわけではないですが
気づいたらいつもより不機嫌で
いつもより悲しくなるようなことはあります。
マネジメントなんてできるわけないという感覚を
なんとなく体で知っています。
ただそれが世間一般には
「甘え」だと評される生きづらさがあるということも。


私は知識も経験もないのでおそらくでしか語れませんが
映画の中で描かれる”パニック障害”からするに
それもPMSと似たようなものなのでしょう。
唐突に発作が起き、それは自分ではコントロールができない。
死への恐怖や、明日への不安。
何に対してかわからないものへの恐怖かもしれません。
気づけば呼吸が荒くなり
息の吸い方を忘れる。

やがてまた来るかもしれないその発作に
日々怯えながら
電車やバス、人混みや美容室
行けないところが増えていってしまう
なぜ普通にできないのか
自問自答する、そんな病です。


山添くんも電車に乗れません。
歩ける範囲が僕の世界、そんな描写がありました。


藤沢さんも普段は気立のいい
どちらかといえば気を使いすぎるような
ゆるく微笑む、纏う空気のあたたかな女性です。
そんな彼女からは想像できないような
激昂するPMS時との対比。



そんな二人を見守る「栗田科学」という会社と
そんな会社のある街。
全体が二人を優しく見守るお話です。



さざなみ


PMSやパニック障害などセンシティブな議題を
取り扱っているくせに
それによって問題が起きるのは
物語の序盤までです。

二人の主人公のどこか陰ってしまった毎日を
ぽつりぽつりと繋いでいきます。


例えば、
スーパーヒーローが世界を窮地から救ったり
誰かが時空を飛び越えたり
未来からロボットが訪れたり
大きな争い事が起こったり

そんな突出した出来事はありません。
一つも、ありません。


さざなみのように
チクッとした言葉、
今日できなかったこと、
迷惑をかけてしまった自分、
それでも許してくれた人、
できることが一つ増えた今日、
知らなかったことを知れた自分、

引いてみたら、なんでもなくて
他者からしたらどうでもいいかもしれないような
それでも自分の中では”変化”で
その積み重ねで日々は成り立っている。


そんな映画です。

これで感想終わってもいいくらいですが(笑)
そんな映画、だと
私たちに伝える技法と演技が
本当に素晴らしい作品なのです。


俯瞰、見守る視点、優しい描写


おそらく全編フィルムで撮影をされています。
フィルムってとてもお金がかかります。
デジタルと違いNGテイクにピリつくような
技術者側にもかなり負担のかかる手法です。

映画パンフレットを買いました。
その中の監督の言葉に
「今回は役者に寄り添って、役者たちのペースで
焦ることはないように大きな懐を持って臨もうと決めていました。」


なるほど、と思いました。
それが全部出ていました。
藤沢さんも、山添くんも
彼らに似たような状況の人たちも
そういう人に囲まれて欲しいと思いました。


この映画、一貫して
誰かにグッと寄ることはありません。
あったとしてもバストショットくらいで
それより寄ることはなく
また会話のシーンも
誰かの肩なめ、なんてカットほぼありません。

話している主体の肩を見切れさせて話し相手を映す手法

会話は基本横から。
その話している二人を丸ごと映します。

演者の正体にカメラが据えられることも
ほぼありません。


私たちはあくまで「彼らを見守っている」のです。
栗田科学の社員の一人になったとでも
思うべきなのでしょうか。
ただ見守る、その一点の視点で
終始撮影されています。


中でも印象的な引きのシーンは
いくつかあって。

一つは、山添くんの伸びた髪を
藤沢さんが切るシーン。
寄ったのは、藤沢さんが
ジョキッと、慣れない手つきで
美容室では聞いたことのないような
鈍めの音を立てながらハサミを入れた
そのワンカットだけ。

あとは背の高い山添くんが
正座をして膝に両手を置いて
小さく座る全体が余裕で入ってしまうような
そんな引きの構図で。
切りすぎた藤沢さんの一投目を
「ちょ、待ってください。確認します。」
と言って自分で確認したのち
信じられないくらい吹き出して笑う山添くんを
寄ることもなく、動くこともなく
据えた位置のまま私たちに見守らせてきます。
あたふたする藤沢さんと
笑ってしまった山添くん
対照的は二人を
私たちは微笑ましく見守るのです。

公式Xより


もう一つは、PMSの症状が現れそうな
藤沢さんの微妙な変化を
山添くんが察知して
事前に外に呼び出し
「ちょっとしばらく一人で怒っててください」
というシーン。

「怒り」という強い感情を持っているのだから
藤沢さんにグッと寄ってしまったって
違和感はないはずです。
助けてあげたいと思う山添くんの
優しい手に寄ってしまったっていいはずなのです。
そうしたら幾分かドラマチックにだってなるはずなのに。

でもそんなことはなくて
怒る藤沢さんと、見守る山添くんを
めちゃくちゃ引きで真横から見せるその構図は
前述した”さざなみ”の代表例のようで。
ドラマチックな見せ方をあえて選ばず
それが彼らの日々なのだと
そのひとつでしかないのだよ、と言われているようでした。

公式Xより


あともう一つだけ。
物語の後半。
明確に、「山添くんの世界がひらける」瞬間があります。


山添くんは、ずっと栗田科学の制服である上着を
頑なに着用しません。
紺色のカーディガン、ワイシャツ、スーツパンツに
ピカピカの革靴。
単純作業業務の栗田科学の仕事場には
違和感のある装いで
ビジネスバックを片手に
彼は会社に通い続けます。

前職の上司に
「早く前の職場に戻してほしい」
と懇願しながら
おそらく、なぜ自分が
「こんなところで」働かなければいけないのか
なんて思いながら。


それでも少しずつ
藤沢さんと共鳴し合い
栗田科学のみんなの優しさに触れて
その業務にやりがいを見出し
藤沢さんに髪を切ってもらったあたりから
俯いていた顔の角度が少しずつ上がりだします。

藤沢さんが体調不良で早退した際
忘れ物を届けに行くことを自ら志願した山添くんは
あまりにも軽やかに
さも当たり前かのように
栗田科学の上着を羽織ります。

その変化に、気づいているのは
社長だけ。


「行ってきます」と声をかけ
以前藤沢さんからもらった自転車に跨って
風に乗って漕ぎ始めるのです。

「歩いて行ける範囲が僕の世界」だと言っていた彼に
一つ、新しい世界へ運んでくれる手段が加わりました。

その自転車が表すのは
彼にとっての藤沢さんなのか
はたまた栗田科学なのか
自転車、という道具そのものなのか。
その全部かもしれません。


道中に、暗い高架下のトンネルを通る描写があります。
劇中前半彼は背中を丸めて、俯いて
重い足取りでそのトンネルを潜っていきます。
それはまるで暗闇に吸い込まれていくようで
彼のその時の気持ちを表す表現そのもので
パニック障害という
コントロール不能の病と立ち向かう心情はまさに
暗闇に飲み込まれるようだったのかもしれません。

対して、自転車を小脇に抱えた彼は
前を向き、大きく力強い足取りで
トンネルを抜けた時
それはまるで新しい世界への扉を一つ開けたような
暗い先を一つ越えられた彼を
見事に表現されていました。


忘れ物を藤沢さんに届けたあと
光を浴びて街の道を軽快に漕ぎ帰る彼を
背中から正面から、映した後に
公園を手前に挟み、奥の方の道をゆく山添くんを映す
かなりワイドな引きのカットがあります。

物語の節々で、街の実景だけのカットが
挟まれています。
朝も昼も夜も、時間を変え、所を変え
挟まる街のカットと
そのとてつもないワイドな引きが

この街の
小さな会社の
たった二人の
光へと向かうだけの
そんな些細な話なんだよ、と
見ているこちら側に語りかけられているようで
「わかったよ」と頷きたくなりました。


夜明け前が一番暗い


劇中の最後の方に出てくるセリフです。
これはイギリスのことわざらしいです。

"It's darkest before dawn"
意味は「苦難や雌伏の期間は、終わりかけの時期が最も苦しい。
それを乗り越えれば、事態が好転するだろう。」
ということだそう。


山添くんは言います。
「明らかなことが一つだけわかりました。
助けられることはある。」
自分の症状はどうにもできないけど
何回かに一度、藤沢さんの症状を止めることはできる。


藤沢さんは
山添くんに自転車を渡します。
髪を切ってあげます。
ご飯を買って、自分が先輩だからお金はいいよと笑います。


そうやって彼らは、光を見つけていくのです。


夜明け前が一番暗い。
でも夜があるからこそ宇宙の彼方の存在を知ることが出来る。
一番暗い夜明け前を過ぎれば、そこにはたとえ少しであっても
明るさが待っているはず。
藤沢さんや山添くん達が1歩を踏み出そうとする姿と
踏み出した先に待っていてくれる
変わらない人たちと風景が
優しいなぁと思う映画です。




ほんとはこの映画彼ら二人だけではなく
もっとピックアップしたい人はたくさんいます。

弟を自死で亡くしてしまった栗田科学の社長。
同じく姉を自死で亡くした山添くんの前職の上司。
山添くんと付き合っているのに
心配しているようで自らが飛び立てない足枷に感じてしまい
藤沢さんという人が山添くんのそばにいると知ってから
その足枷を安心して自ら切り離した恋人。


映画を観た後に、小説を読んでください。
前ではなく、後に。


あんなに普通にしていた人の背景には
こんな過去や経歴があるのか、と
多かれ少なかれみんな
人には言えない何かを抱えて日々を過ごしている
ということに
当たり前なそんなことに
改めて気づきます。


私自身、直近で悲しいことがあったからなのか
その言えない何かがあったとして
それでもなお変わらず過ごそうとしているから
もし藤沢さんや山添くんに
最後エールを送りたいような気持ちになったなら
そのエールは多分自分へのエールでもある気がしました。



優しい映画です。
これからをちょっと踏ん張ろうと思える作品でした。






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