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一人じゃ気づけなかった。僕は人より葬儀の仕事に向いていた

仕事柄、葬儀業界を目指す新卒の方や中途採用の方に出会うことがあり、葬儀業界にはどのような人が向いている、適正なのかという質問を頂きます。

僕の場合、父が葬儀社現場→葬儀社経営者となり、この葬儀業界に飛び込んだきっかけになりましたが、親が葬儀に関わる仕事を行っていただけで、実際に当時僕自身が「適正者」であったかどうかはもちろん当時はわかりません。

結果、やってみたらわかるという考えで葬儀社に就職いたしました。

最初は故人様、ご遺族のことを考える余裕がなかった

今思えば、大変失礼な話なのですが、新人の頃は自分自身の与えられた業務を行うのに精一杯になってしまい、全く余裕ない葬儀担当者でした。

病院へ故人様のお迎え、ご遺族からのご要望を伺い打ち合わせ、物品の誤発注がないかの確認、式進行の段取り、宗教者様との打ち合わせ…

葬儀担当をさせて頂くと、葬儀担当者はこのような毎日を送るようになります。

僕が当時お世話になった会社は、日本有数規模の葬儀社であり、また配属された葬儀会館は日本初の葬儀会館と呼ばれる葬儀会館であり、友引の日も関係なく毎日葬儀を行っておりました。

毎日とにかくミスがないかを集中して送る日々が続きます。

ご遺族・故人様と接すると悲しい気持ちになる

火葬場まで

ご遺族・故人様と接すると、とても悲しく「なんとかしなくては…」という気持ちに毎日のようになっておりました。
時にはご遺族と一緒になり悲しむという状態にもなっていたことを今でも思い出します。

このような状態に常に気持ちが不安定な状態で葬儀担当を行っておりました。

「僕は葬祭ディレクターには向かない」と何度も思いました。

常に気持ちが不安定な僕の状態を見て、当時の師匠や先輩からは、よく叱咤激励を頂いており、
「プロとしてはご遺族と一緒になって悲しんではいけない」と、この時何度も教えて頂きました。

「でも、お前は葬儀の仕事に向いているよ」

その時、お世話になった師匠にそう言われました。

「お前のご遺族とともに悲しむ気持ち」は必要だ

プロとして一緒にご遺族と悲しんではいけないと言われていたのに関わらず、「ご遺族とともに悲しむ気持ちは必要」と言われ、最初はこの意味がわかりませんでした。

師匠や先輩は「機械的にご遺族や故人様と接するな」と伝えたかったのです。

一方で、ご遺族と一緒になって悲しんでいたら「誰がご遺族を導くのか」と伝えたかったと思っています。

機械的な対応しか行わない葬儀担当者は「必ずご遺族に見抜かれます」

葬儀の仕事に慣れ、機械的に行っていると、

「あっ…こいつは手を抜いている…」とご遺族に思われます。

実際に、大規模の葬儀社から、中小の葬儀社まで所属させて頂いた中で、クレームを頂くのは、新人葬儀担当者ではなく、葬儀担当に慣れてきた3年目〜中堅の葬儀担当者が特に多い印象があります。

葬儀に「慣れすぎてしまう」ことが一番よくない

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「葬儀の業務には慣れ、ご遺族の悲しみには慣れるな」

僕は葬儀担当者の方にはこのような考えを持ち続け、業務を行うべきであると思っています。

葬儀に「慣れてしまう人」は「葬儀業界に適さない・向かない方」です。

故人様、ご遺族がいらっしゃる限り、そこには故人様に対する寂しさ、悲しさなどの気持ち、ご遺族しかわからない複雑な気持ちや問題があったりします。
しかし、どのような状態であっても、故人様を供養をしたいという気持ちはご遺族にはあります。

このサポートを行うのが葬儀担当者・葬祭ディレクターです。

葬儀の仕事には適正のある・ないは存在するのか?

世の中には多くの仕事があり、根本的なスキルが必要な業界もあり、たしかに最初から個々で適正能力が問われる職種もございます。

しかし葬儀業界は、決まったスキルや国家資格が必要な業界ではありません。

葬儀業界は「葬儀の仕事に従事する」と決めた時、「誰もが適正者」であり、経年すると「適正者と不適性者」にはっきりと分かれてしまう業界だと僕は思います。

どの業界でもそうだと思うのですが、人の行う仕事は能力も必要ですが、最後はやはり「一所懸命さ」だと思います。

特にお葬式のような、人生最後のセレモニーに関わる葬儀担当者:葬祭ディレクターには、ご遺族や故人様に尽くす「一所懸命な気持ち」必要なことではないでしょうか。


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