見出し画像

はじめて福島の海を見た日

「私はまだまだ手探りだけど、でもこの12年間手探りでやってきたんだから」と言われて、これまでのキャリアの話かな、と思ったら、まいさんは「ここの地域の人達は」と続けた。

12年。案内してもらった、海の見える芝生の公園は、かつて住宅地だったという。指定された駅についたとき、「ずいぶんきれいで新しい駅だな」と思った。公園内の施設に展示されていた、かつての駅舎の写真に写る、ひしゃげて千切れた階段と、横転した電車の車両、瓦礫の山。道も建物も、きれいで新しいはずだ。ここはかつて。公園のトランポリンで、小さい子供が跳ねている。

公園を出て、「風音ちゃんは、何歳だった?」と聞かれた。いつのことを聞かれているのか、言われなくてもわかる。「15歳、中学校の卒業式の前日でした」と答える。三年生だった私は、卒業式の予行演習を終えて、一年生だった弟よりも先に家に帰ってきていた。飲んでいたミルクティーが溢れないように、と必死にコップを両手で覆っていた。母に、「そんなもの置いて行きなさい!」と怒鳴られた。合格発表前なのに、高校生活はどうなるんだろうと思って、受験票を握りしめて外へ出た。暗くなる前に父と弟が歩いて帰ってきてほっとした。家はオール電化だったので、停電後は何もできなくなってしまい、カセットコンロを出してきて、ロウソクの明かりで餃子を焼いた。今でも、餃子を食べると「生きてるなぁ」って思うのはあのときの影響なのだろうか。まいさんは当時大学生で、弘前にいたらしい。停電し、心細さからバイト仲間の家に集まってみんなで鍋をしたんだって。翌日、バイト先のレンタルビデオ屋に行ったら、停電でプレーヤーからディスクが取り出せなくなったというお客さんが殺到して大変だったらしい。それから原発事故のニュースがあって、福島で暮らす姉夫婦が生まれたばかりの姪っ子を連れてまいさんのアパートに避難してきたらしい。

福島県には、部活の大会で何度か訪れたことがあるけれど、海を見たのは初めてだった。まっすぐ伸びる水平線と、穏やかな波の音。髪を攫う風が優しい。ここまで会いに来てよかったなと思った。ここで暮らすまいさんに、また会いに来たいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?