見出し画像

INFJ女の人生 Ep.3

この「INFJ女の人生」は前回の話みたいに最近あった出来事を基に話したりもするけど、実はこのブログを書いていく上での大きな枠組みとしては、今までの人生をベースに書いていきたかったから、今回は少し過去に戻ってみるヨ!

「私による私のための自分史」を読んでくれた方が読みやすいと思うので、良ければぜひ。


人生初めての留学、そして挫折

私の人生において一番最初の大きな出来事は小5の時のBIGBANGという韓国のアーティストとの出会いで、彼らに出会ったから韓国語を勉強し始めたし、その韓国語が22歳になった今でも続いてる。
この出来事は「人生を360度変えた出来事」って自分の中では捉えてるんだけど、今日記事にするのは「考え方や価値観が変わった出来事」って言える出来事。

韓国学校(日本に住む韓国人が通う学校)に通って韓国語については少し自信を持てるようなった私は高1の冬からニュージーランドに10カ月の留学に行くことになった。在学中の高校のプログラムで、国際コースの全員が同じニュージーランドに留学に行って、それぞれ2~3人ずつ現地校に配属される形だったんだけど、私はクラスの中で英語の成績も上位圏だったし、ガリ勉みたいな雰囲気ではないけどそこそこ真面目でもあったから、進学校でもあり、留学先のクライストチャーチの中で一番生徒数も大きい学校に編入することに。

正直高校受験も第一志望の公立に落ちて私立の高校に入ったんだけど、ずっと英語圏に留学するのが夢だったのもあったり、入試結果の開示に行ったら、英語96点、国語80点後半、社会70点後半っていう今までの模試で出たことないぐらい点数よかったのもあって、挫折だとか悔しい!みたいのはあんまりなかったんよね。(理数系二つ合わせても100点行かないぐらいだから綺麗に落ちたけど)

そんな感じで今までやればそこそこ点も取れて、小中でも割と勉強もできて運動もかなり得意で、作文やスピーチ大会で賞をもらったりもしたから、自尊心がものすごく高い状態で渡航して、
向こうについて初めてハンバーガーショップで注文するってなった時に、だいぶ聞き取れなかったり、ホストファミリーとの会話も20%ぐらいしか理解できない、そんな初日を迎えた。
英検2級持ってようと何の役にも立たないんだって思い知らされて、こんな状態で10カ月やっていける自信がなかった。

私みたいに日本の高校から留学してる子たちも多かったんだけど、他の学校の子たちはその現地校が進学校なのもあって、日本でもかなり頭いい子だったり英語が得意な子たちばっかりで、なんで私だけこんなにできないんだろうって本当に何万回と思ったりもした。
現地校には留学生も多いから一人一人に対するサポートは正直そんなになかったし、問題があれば自分で解決してね、留学生だからってハンデはないよ(課題の量、授業のアシスト等)っていうスタンスだったからよりツラかったし、久々に一緒に留学してる友達と会って話してると「課題がこんなに出されてテストも受けさせられるの私だけなんだ」とか「みんな先生とかすごく助けてくれてるんだ」っていう違いにものっすごく打ちのめされた覚えがある。

向こうの高校は大学みたいに自分が取りたい授業を自由に取るスタイルだったから、音楽に興味もあるし音楽の授業を2つ取ったけど、その2つとも鬼ムズイし、音楽に対する知識がなかった(趣味としてすごく好きなだけだった)から辛すぎて、留学生センターで授業変更をお願いしたんだけど、もう変更期間過ぎたから無理って帰されてお先真っ暗になったし、
同じ現地校に配属された日本のクラスメイト達は日本にいるときからとにかく問題児で、日本の先生も現地のアドバイザー達も私によく「大変だとは思うけどよろしくね」とか「面倒見てやってね」って言って、それもすごくすごくすごく負担になってた。

そうやって毎日毎日辛くて、英語もできないし伸びないし、大人からのプレッシャーもあるし、ホームシックにもなって、軽くうつ状態になった。
それが人生で初めて感じた挫折だった。

あまりにも刺激的すぎる3人の女の子

英語が伸びなかった理由の一つにずっと日本人と行動してたのもあるけど、正直、私はこの一緒に行動してた3人の友達がいなかったら今の私はなかったと思うぐらい、大切な存在。

1人は個人留学生で、すでに1年その学校に通っていたし、そこの高校を卒業する予定だった。あとの2人は私と同じ時期に来て、同じ時期に帰る子たち。そしてみんな共通してK-POPが好きだった。
でも仲良くなったきっかけがK-POPだっただけで、それがなくても私は彼女たちと仲良くなりたいと思える、そんな人たちだった。

私なんかよりみんな英語も上手だけど、それぞれに悩みが常にあったし、高校生で留学に来たり、今までも海外にたくさん来てた子たちだから、すごく考えがしっかりしていて、今まで出会ったことがないような友達だった。
学校からの帰りには歩きながら死後の世界についてや宇宙とか、そういう哲学な話とかスピリチュアルな話もよくした。

やりたいことが明確で、努力家で、それでいて謙虚で、奥が深くて、基本的なマナーや配慮が身についていて、すごく人間として好きな友達。
この子たちとの出会いと留学での挫折が相まって、ものすごく私の視野は広がったし、少しばかりは柔軟な人間になれた。

今までは自分があまりにも上手く行きすぎて、「うまくいかない人は努力が足りない人」「落ち込むのは精神力が弱すぎるだけ」って思い込んでた。
だからこそ自分で自分の首を絞めることになったし、ダメな自分を認めたくなくて自己嫌悪に陥る一方だったんだと思う。

今まで人の顔色を伺って、すごく仲が良くてもどこか息が詰まる感じがしていた人間関係が、この子たちの間ではそういうのを全然感じなかったし、普段私が無意識的にしてた気遣いを向こうも同じようにしてくれて、お互いがお互いの考えやあり方を尊重し合えてた関係は、私に自信をもくれた。

それからの私

日本と遠く離れた土地で大きな挫折と、軽度ではあったけど想像もしていなかった躁うつ。
こういう一度HPを0にされる経験を高校生の内にできたのは、その後の人生を生きていく上ですごく重要だったと思う。

韓国でベストセラーにもなったエッセイ、『언어의 온도(言語の温度)』にこんなフレーズがあった。

아픈 사람을 알아보는 건, 더 아픈 사람이란다.
(苦しんでる人に気が付ける人はもっと苦しんでる人なんだって)

孫の体調不良に気が付いたおばあちゃんに、なんでそんなに自分の体調について気が付くのか孫が聞いたことに対する返答として出てきた一文なんだけど、体調に限らず精神面でも同じことが言えるっていうことが文面からも伝わってきた。

あれだけ自分の能力や努力にも自信があった私が挫折は誰でもするもので、ふとした拍子にうつにだってなったしまうぐらい脆い人間だったって身を持って体験したからこそ、人の気持ちを理解できるようになったんだと思う。

何でも上手くこなして周りからすごいと思われる人になりたかったけど、そういう経験を通して私は、「あらゆる人の考えを理解し肯定する。その上で自分という芯をブレずに持てる人になろう。」っていう考えに変わった。

それまでは相談とかあまりされなかったけど、それ以降結構人の悩みとか弱い部分に触れる機会も増えたし、そういう悩みに対して純粋に向き合いたい、サポートしてあげたいと思っていたから、やっぱり言葉や表情、行動にも自分の考えってすごく映るんだろうな、って実感した。

留学って必ずしも楽しいものではないし、正直80%ぐらいはネガティブな気持ちで毎日早く帰りたいと願う日々だったけど、言語面だけじゃなくて、人として考えさせられる時間は間違いなく持てたし、それがあったからこその自分だとも思うから、これから留学する人は参考までに覚えてくれたらな、と思います。
それも込みで留学っていうものに意味があると私は思ってる!


という感じで初めての留学中のことを書いたんだけど、これでもだいぶ削りに削ったぐらい!それでも伝えたい真髄みたいなところには触れられたと思ってるから、とりあえずは満足。

留学としての情報的なものは別で書きたいなとも思ってるし、今回はこのぐらいにします。すでに原稿用紙8枚以上の文字数なんでね...

また次回にも読みに来てください~:)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?