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お茶とホワイトニングと

半年に一度、歯医者の定期検診に行くと、それぞれの患者に前回何を言っていたかをいちいち覚えていない先生は、「コーヒーとかお茶とかよく飲まれます?」と毎回聞く。コーヒーやお茶は着色汚れの原因になるとの説明が毎回あり、かといって先生はコーヒーやお茶をやめろと言っているわけではないのだが、コーヒーやお茶が好きであるならば相応のケアをしないと審美性が失われることを仄めかす。

蓋がワンタッチで開けられる点だけが気に入って何年も使っている歯磨き粉は、特段ステイン汚れ対策に力を入れたものではないので、毎度このやりとりがある。コーヒーもそうだが、私は毎日お茶を飲む。

お茶に目覚めたのは実家が京都に移って数年経った時。慣れない新幹線に乗って生まれ故郷でもない街に帰省すると、まだ新しい街にわくわくしたような親が、一保堂のほうじ茶を飲ませてくれた。出されたマグカップに入ったお茶は、湯気とともに、ひねているのに真新しいような香ばしい匂いを放つ。

ペットボトルか、ホテルのティーコーナーに置かれたティーバッグでしか飲んだことがなく、ほうじ茶は特別おいしいものだとは思っていなかったが、一保堂の「極上ほうじ茶」はその認識を一変させた。茶道を習っていたときに、先生が用意してくれる選ばれし抹茶と、そのへんのスーパーで買った抹茶では全く味が違うことは知っていた。同じことがここでも起こっている。

それから実家のお茶といえば、一保堂のほうじ茶となった。裕福ではないのにお茶にお金をかけて、と思わないでもなかったが、そのほかの出費を削った分を充てて、このお茶を買いたい気持ちはよくわかる。取扱店は市内各所にあるが、私たちが買いに行くのは本店だ。ほうじ茶の茶葉で染めたような、深い茶色の長い暖簾をくぐる。無駄なく美しい店内を眺めながらゆっくりお会計を待つ時間も、わたしたちが一保堂のお茶を飲むことの楽しみのうちのひとつだった。

そこから幾年経ち、実家でいちばんお茶を飲んでいた母は他界したが、いまも実家のお茶は一保堂。母の写真の前に備えるマグカップには、生前と同じようにほうじ茶が入る。法事などでたまに来る客人にお茶を出すと間違いなく「このお茶、おいしいですね」と言ってもらえる。

そして、実家から離れて暮らすわたしの家のお茶も一保堂である。心の友であるほうじ茶の底が見えてくると、そわそわするので買いに走る。昨年末はたまには違うのを、と思い大福茶を買ってみたら、なんだかすごく良い。朝のカフェインを緑茶で取ると、気持ちがスッキリ晴れる。お取り寄せした551の豚まんと朝ごはんにすると、関西パワーで冬の寒さに抵抗する力が湧いてくる。

最近試してみたのは、煎り番茶。お会計をしようとすると、店員さんに「以前にお試しになられたことはありますか?」と確認される。煎り番茶はほうじ茶よりも安価で、京都の日常用のお茶とされている。お茶が好きなのに、茶葉で淹れるのが面倒になってしまって、ティーバッグにしようと思ったが、割高になるのでいり番茶を選んだ。

どちらも煎るんだからといって、ほうじ茶と同じようなものだと思うことなかれ、香りが超独特ではじめはなんだこれ?!となる。なので店員さんから確認が入る。一保堂の説明書によればスモーキーでワイルドな「たき火の香り」がする。わたしが初めて飲んだのは、京都生まれのとんかつ専門店「かつくら」で出されたものだったが、最初はぎょっとしても、すぐに香りの虜になる。

ひとくちひとくち、おいしいなあ、おいしいなあ、と飲んでいると、いつの間にかお茶がなくなっていて、それを一日に何度か繰り返す。カフェイン入りとカフェインが少ないものを繰り返しながら、一日の水分はほぼお茶でとっている。ステインが溜まることこの上ありません。

もし半年に一度のクリーニングをしていなければ、わたしの歯の色が一保堂ののれんの色になるまで、そう時間はかからないだろう。歯医者の先生には、着色と着色除去のいたちごっこをさせてしまっているわけだし、患者の努力でできる対策を、そろそろ始めた方がよいかと後ろめたくも思う。

またお茶を飲みながら、ワンタッチで開けられる、チューブがきちんと自立する、ホワイトニングできる歯磨き粉をネットで検索するのであった。あれ、ワンタッチのやつって、最近はけっこう出てるんだなあ。


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