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夕勤のすゝめ

これまで覚林坊について、熱く語ってきましたが、

・・・実は、私、日蓮宗ではありません。(驚愕)

実家は、曹洞宗です。

かといって、曹洞宗のいろいろを知ってるわけではありません。

実家のお墓を管理していただいているお寺が曹洞宗のお寺という、ただそれだけです。

曹洞宗の方々に、
「この、裏切り者がっ!!」って言われそう。

でもすいません。
僕の部屋には、神棚があります。
天照大御神と箱根神社と九頭竜神社と地元の八幡様のお札があります。
毎朝「今日も充実した一日になりますよう、お願いいたします。」と
お祈りしています。

4月に女将の息子さん(是皐上人)が大学卒業して、覚林坊に帰ってきてからは、
毎晩、夕勤に参加し「南無妙法蓮華経」と唱えています。

宗教だけで二股
宗派・神様の数で数えると六股です。

神様を股にかけるなんて、なんて最低なの。。。チャラっ。
そういわれても、仕方ないですね。

ただ、私は、日本の神話も知らなければ、日蓮宗や曹洞宗の歴史も知らない。
神様の正しい祀り方や参拝方法も知らない。

何も知らないのに、ただただ、祈っています
毎日、時間がない日でも、少なくとも15秒くらいは、なにかしら手を合わせる時間を設けてます。

手を合わせない日があると、なんかモヤモヤします。

毎日毎日、私は何のために何に手を合わせているのか。。。
(お供え物とか、お掃除とか毎日しているわけでもないのに、私が神様だったら、そんな人の願い事なんて叶えようとしない。。。笑)


私が毎日手を合わせる理由、、、
それは、おそらく、自分自身の”心の現在地”を確かめるため
だと思います。

もちろん、神様にいろいろすがっている気持ちもあります。
特に、つらいときや悲しいときは。

「神様を正しくお祀りし、毎日謙虚に神様に感謝すること」は、とても大事なことなのですが、
私にとって、毎日お祈りをすることの意義は、

「自分の心の状態が正常であるかを確認すること」

いまを懸命に生きてるか
自分の生きようとしている軸から外れてないか
人への感謝を忘れていないか
未来向かって前進できているか
自分にうそをついていないか
物事に対して素直になれているか。。。

お祈りをしているときは、
自分自身にいろんな問いかけをし、自分自身と対話をします。

そうすることで、
自分の心が迷子にならないように心がけています。

手を合わせない日があれば、
私にとっては、心の状態が危険なサイン。

とても分かりやすいです。

なので、
”祈る時間をつくる”ということは”自分と向き合う時間をつくる”
ということなのだと思います。

わたしは、
神様、仏様を厚く信仰するというよりも、
そこに向かって「素直な心で手を合わせている自分がいることを確かめること」をとても大事します。

神社とか神棚によく、まーるい鏡、ありますよね。
あれって、祈る人に向かっておいてます。

個人的には、
祈る姿を、自分自身の目で確かめなさい。
鏡に映った自分を見て、いまの自分と向き合いなさい。

そういった意味で置いてるのかな。と解釈しています。

なので、
神様、仏様を信仰しなくても、

毎朝、顔を洗う時にでも、
鏡に映った自分にいろいろ問いかけてみるってのは、
いいことかもしれません。

それも一種の自分に向き合う方法ですよね。

覚林坊では、毎晩夕勤をしています。
夕勤が終わった後は、なんだか心がスッキリします。

コロナで世の中が混沌としているいま、
こういう時間をつくることは、
すごく大事なんじゃないかなーと感じます。

ふと、心に想ったこと、つらつら書いてみました。
ではでは、また~


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