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イラク人の友達が気付かせてくれた人生において大切なこと

私の人生に影響を与えたイラク人の友人との話をしたいと思う。

カンボジアへの移住

大学を卒業して日本の企業に就職し、仕事はとても忙しくて朝から晩まで働き詰めだったけど、やりがいのあるもので楽しかった。でも、会社の古い体質、上司の古い考え方がとにかく体に合わなかった。そんな上司たちのもとで、毎日裏で愚痴ばっかり言っている自分を含めた若手たちも若手たちだ。こんな腐りきった組織にいてはいけない!と、ずっと黄色だった自分の中の警告信号が遂に赤になったある日、会社をやめる決意をした。
そこからは早かった。転職サイトに登録し、新たな職が決まり、会社に辞めると伝え、気付いたらカンボジアにいた。
一人旅が趣味だった私は旅行会社に転職した。日本社会は自分に合わないとわかっていたから、海外での仕事を探していたところ、日系旅行会社のカンボジアオフィスでのポジションに就くことができたのだ。

イラク人のモーとの出会い

カンボジアでの生活はすべてが新しくて、毎日が楽しかった。そのなかでも一週間で一番好きな日は土曜日だった。月曜日から金曜日までは会社で働き、毎週土曜日はアンコールワットのはずれにある村の貧困家庭に栄養のある食事を届けるNGOで活動をしていた。ここでの様々な国のボランティアたちとの出会いは私の人生に最も影響を与えた出来事のひとつだから、このことは改めて別の記事で書きたいと思う。
そこで出会った人たちの中に、イラク人の友人、モーがいた。当時の私は25歳、モーは50歳だ。倍の年齢の異性と”友人”と呼べる関係になるということ、フラットな関係が築けることも当時の私には新鮮だった。オープンマインドな人たちと出会える機会が多いことも海外生活のひとつの魅力だと思う。モーはカンボジアでレストランをやっていて、彼のレストランはトリップアドバイザーで街の人気レストラン上位の常連だ。今まで11ヵ国に住んだことがあり、カンボジアを終の棲家に決めたそうだ。「なぜカンボジアなの?」と聞いたらモーは「カンボジアは人々が素敵で、一番ハッピーでいられるからだよ」と答えた。そうか、とその時は”ハッピーであること”についてそこまで真剣に考えずにその会話を終えたが、その数か月後の彼との会話で”ハッピーであること”について考えさせられ、自分が今まで日本で培ってきた”あたりまえ”や”常識”にとらわれる必要がないことを教わった。

ある日のモーとのディナー

その日のカンボジアは雨期の真っ只中で、スクーターで外出していた出先で突然のスコールに見舞われた。雨期であればスコールは日常茶飯事で、その日もすぐにスクーターを路肩に止めて、シートボックスからカッパを取り出し被り、またスクーターを走らせた。私が住んでいたシェムリアップの街は道路の水はけが悪く、すぐに洪水状態になってしまう。その日は特にスコールが激しく、既に雨水はスクーターのタイヤを覆ってしまうほどの高さまで上がってきていた。それでもスクーターを走らせないことには帰れないので、もはや水上ボートのようになっているスクーターに乗っていたら、途中で動かなくなってしまった。おそらくマフラーから雨水が入りエンジンがやられてしまったのだろう。家までスクーターを押して帰るには遠すぎたし、空はもう暗くなっていたから、仕方がなくモーのレストランに行くことにした。その日は定休日だということは知っていたのだけれど、バイクを一日置かせてもらおうと思った。明日になればきっと乾いて動くようになる。でも街のどこかに放置しておくわけにもいかない。モーはレストランの上の階に住んでいたから、レストランの前に着き連絡をしてみると降りてきてくれた。事情を話すとバイクを置いておくことはもちろん快諾してくれた。バイクを置いてトゥクトゥクに乗って帰ろうと考えていたが、モーが「夕飯もう食べた?」と聞くので「まだだよ」と答えると「一緒に食べに行こうか」と誘ってくれた。

私たちは大雨のなか、お互いのお気に入りのカフェに歩いて向かった。利益は地域コミュニティの教育などに役立てられる仕組みになっているソーシャルエンタープライズとして運営されているカフェだ。このカフェはモーのレストランのデザートを出しているため、カフェのスタッフとモーは仲が良く、会話が弾みすぎてなかなか席につけない。言い忘れていたが、モーはかなりのおしゃべりだ。ようやく席について注文を終えるも、人気レストランの名物オーナーとして在住外国人のなかでは有名なモーとの食事は度々他の来客者に邪魔をされるのがネックだ。彼ほどコミュニケーション能力の高い人間はなかなかいないだろう。人見知りの私はもはや嫉妬の感情すら抱きながら、笑顔で彼らの会話を見届け、中断された私たちの会話に戻った。
今まで聞いたことがなかったモーのこれまでの経歴や、レストランの成功の秘訣などを話しながら夕飯を食べた。夕飯を食べ終え、彼は外のテラス席で一服しよう、と言った。まだまだやまない雨を見ながら、祖父の葬式のために日本へ一時帰国しカンボジアに戻ってきたばかりの私に「カンボジアに帰ってきて、自分のホームに戻ってきたって感じてる?」とモーは聞いてきた。「そうだね、今はカンボジアがホームだと感じてる。でも、この生活が現実逃避みたいに感じたりもするよ。ここでの生活は今までの日本での生活とは違いすぎて、変な感じがする。」と私は答えた。当時の私は、カンボジアでの生活を本当に楽しんでいた。毎日4〜5時間の残業は当たり前で、上司の顔色を伺ったり、社内のくだらない人間関係を気にしていた日本での生活から一転、残業も一切なく、自分以外はカンボジア人だけのオフィスで人間関係に悩まされることもなく、仕事よりも仕事以外での活動に軸を置いてライフワークバランスが充実していた。一方、そんな日本での生活とのギャップから、これは現実逃避ではないのだろうか?日本にまだ残っていたらあんな生活を今もしているんだ。とモヤモヤと考えることもよくあった。今考えればそんな考えは馬鹿馬鹿しい、異常なストレス社会に身を置いていたことによる重度のPTSDだ。でも、当時の私はそんなふうに考えては、こんなに楽しい日々を送ってていいのだろうか、なんて考えていた。そんな私の言葉を聞いて、「現実逃避?今の生活が現実の世界から逃げてると思うか?違うよ。ふみが日本に置いてきた生活は現実じゃなくて過去だよ。今生きてるこの世界が、カンボジアでの生活が現実だよ。ここで今、最高にハッピーに暮らしてるじゃないか。いいか、人生っていうのはハッピーであることが大事なんだ。ハッピーじゃなきゃ意味がない。日本で働いてた時の生活はハッピーだったか?そうじゃないならそんなものが本来あるべき現実だなんて考えることはないよ。今このハッピーな瞬間が現実だよ。Being happy is the most important thing in your life!」いつもふざけてばかりで、周りを笑わせることしか考えていないモーが、目の前で熱くなっていた。イラクで生まれ育って、イラクの有名大学を卒業するも、その後11ヶ国を移り住んできた彼の人生の中でどんなことがあったのかを私は知らないけれど、彼もまた私の中でモヤモヤしていたなにかを感じてこんな話をしてくれたのかもしれない。そうだ、人生とは一体なんなのか?なんて難しいことをグダグダ考える必要はない、周りにいる人たちを大切にして、自分がハッピーでいることが大切なのだ。そんなシンプルなことに気付かされて、スッと心が軽くなった。

いつもならすぐ止むスコールが、どうやら止む気配がない。私たちは諦めてそれぞれの家路に着くことにした。家が遠い私のために、モーがトゥクトゥクをつかまえてくれる。私たちがいた場所から私の家まではいつも大体5ドルだ。この大豪雨、大洪水の中、通常と同じ5ドルでは渋るドライバーに、「いいじゃないか、そう言わずに!ほら、ふみ!乗っちゃえ!」と笑いながら私をトゥクトゥクに押し込むモー。モーの明るい笑顔には誰もかなわない。ドライバーも呆れて笑って「わかったよ」と言って水上都市のようになった街を抜けて、私の家までトゥクトゥクを走らせてくれた。トゥクトゥクが水中を走る音と周りの雨音を聞きながら、確かに今、最高にハッピーだ。Being happy is the most important thing in my lifeだ、と心に噛み締めた。


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