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化粧を落としたら_2024年3月14木/快晴

なにも、女の身だしなみではなく。
いま流行っている化粧のことを、男の人はどう思うのだろう。
眉が長いや細いはそのときどきで変わることになっているから、
ま、それはそうとして。
いつからでしょうね、
肌を「きれい」に見せるために、表面を「塗りつぶす」ようになったのは。
そりゃぁ、ニキビを見れば悲しくなったりするでしょう。
シミが増えたら落ち込むでしょう。
これさえなければと悔やむ気持ちもよくわかる。
もともとは「きれい」だったはずの、じぶんの肌ですものね。
ただね、このごろといえば、「きれいになりたい」が
「きれいでなければ」に進化してるんじゃないだろうか。
肌の「きれいじゃない」ところを許さないような、
そういう気分が化粧品の流行に漂っている気がする。
「毛穴を撲滅」とか「陶器肌」とか、さ。
肌だけでなく、目も眉も鼻も髪も瞳も、
誰が決めたのかこうあるべきという「きれい」があって、
ぜんぶそのように修正しようとするのは、
なにか「ほかのもの」になりたがってるみたいだ。
顔が、そのままの顔ではいられない息苦しさというか。
昔は「きれい」を見る側だった男の人も化粧をはじめたみたいだし、
「きれい」はこれからどうなっていくんだろう。

と、ここまで書いたのは、
化粧の悪口を言いたいからではないのです。
「肌」ではなく、「地面」のことを語りたいのでした。

都内では、あちこちで家が建て替えられているのだけれど、
建物を壊したあとのあの「空き地」ですね、
あれは、めったにみられない「地面」が見られるチャンスでもある。
密集した家の合間にぽっかりと、わずかな「地面」が出現する。
これまで塗り込めていたコンクリートを剥がした開放感、
ちょっとすると角に雑草が芽吹いて花まで咲いたりして、
いのちの連鎖がはじまる予感、
そういう嬉しさがあるんだよなぁ、「地面」って。
なにも建てていない「地面」。
だけど、そのままでいる時間は短くて、
ほっとする空間はすぐにまた、
なにか「きれい」な建物で隠されてしまうのだ。
「空き地」が「空き地」のままでいたら、
どれだけたくさんの人がそこで息抜きできるだろうか。

土地はべらぼうに高いし、持っているだけでもお金がかかる。
管理しないと誰かに悪用される可能性もある。
だから、「空き地」をなににも使わないなんてできるわけない。
効率と正しさを追いかけるいまの社会だけど、
この思考回路を疑う気持ちもなくなっているかもしれない。

目黒区には、地主さんが亡くなって、その土地を寄贈した公立公園がある。
「土地」を「経済」のほかにも使ってもいいんじゃないか。
金銭ではないものも、「生産」できるのが土地ではないのかな。

土地はなんで誰かのものでなければならないのか、なんて思ったりもする。



よんでくださった方、ありがとうございます! スキをくださった方、その勇気に拍手します! できごとがわたしの生活に入ってきてどうなったか、 そういう読みものをつくります! すこしでも「じぶんと同じだな」と 思ってくださる人がいるといいなと思っています。