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初めての新宿二丁目と手術のこと 〜小説「ヒゲとナプキン」に至るまで【その5】〜

 

(全文無料公開)

初めてFTMの人に会ったのは18歳のとき、新宿二丁目のお店だった。当時人気だった『トゥナイト2』という深夜番組でやっていたオナベバー特集に衝撃を受けた僕は、いてもたってもいられずお店を訪れたのだった。

雑居ビルの4階にあった小さなお店、ピンク色の重たい鉄扉を開けたときのドキドキ感は今でも忘れられない。扉を開けると、そこにはテレビに映っていた「おなべ」の方がカウンターに立っていた。「すげぇ、、本当にヒゲ生えてる!この人本当に元女子なの!?めちゃかっこいいじゃん!!!」心の中で叫んでいた。緊張しすぎて最初にどんな会話をしたかは思い出せないけど、とにかく恐る恐る、いろんな質問をしたのだけは覚えている。

「うちで一緒に働いてみいない?」

何度か通っているうちに声をかけられた。とても興味があったけど、自分の中のトランスフォビアが邪魔をする。僕はどこかで「おなべ」を見下していたのだ。

「学校もあるし、働くのはちょっと難しいですね。」

適当に断りながら、「僕はこんな水商売をやるような人とは違うんだ。自分だけはああはならないぞ!」と、そう思いながらもお店に通わずにはいられない、自分の中の矛盾と葛藤していた。
その後、店のスタッフが手術でどうしてもしばらく店を休まないといけない、数日でもいいからなんとか手伝ってくれないかと頼まれて1日だけ手伝ったことがある。その夜はカウンターの中に立ち数組の接客をしたのだが、「新人さん?カミングアウトはどこまでしてるの?」「手術は?」「セックスは?」と自分の一番苦しい部分を興味本位で根ほり葉ほり聞かれ、それを笑いのネタと酒のつまみにされながら過ごす一晩はとても長く感じられた。営業時間が過ぎ片付けを終えたところで、

「すみません、僕にはやっぱりちょっとできなそうです。今晩のバイト代はいらないんで、またお客さんとして遊びに来させてください。」

そう挨拶だけして、明け方の二丁目をとぼとぼ歩いて帰宅した。

同世代のトランスジェンダーに初めて会ったのは二十歳のとき、日体大のフェンシング部の友人から紹介されて、同じく日体大の女子サッカー部だったイッサ(石井さなえちゃん、略してイッサ)と出会った。
タイと日本のハーフで「性別も国籍もハーフですww」という僕より2歳年上のイッサはクラスの人気者タイプ。スポーツをやっていることや実家が飲食店をやっているなど共通項が多く、すぐに意気投合した。既に他にも数人のトランスの友人もいたイッサにはいろんなことを教えてもらった。

「手術しないでどこまでいけるかが大事でしょ。俺は手術やホルモン注射に頼らないで生きていくよ。絶対。」

というイッサと僕は「そうそう、そうだよねー!」とお互いめちゃめちゃ共感し合っていた。そんな会話からたった数週間後に、

「昨日注射打ってきたよ♪」

とメールがきたときは目を疑った。(あれだけしないって言ってたじゃん!)
すぐに電話をして理由を聞くと、

「サッカー部時代の先輩にめちゃくちゃかっこいいFTMの先輩がいたんだよね。でも昨日久々に会ったら、あんなにかっこよかった先輩が『おばちゃん』になってたんだよ。俺、ちょーショックででさ。絶対おばちゃんにはなりたくないって速攻で注射打つこと決めたんだ。」

と。

(おばちゃん。。。)

ホルモンや手術なんて普通ではない「変な人」や、新宿二丁目のような自分とは別世界で生きる人たちがやることだと思っていた。まさかこんな身近な存在が治療をはじめるなんて、、、世間的には冷ややかな目を浴びせられながらも本来の自分を取り戻し、自分らしくイキイキと暮らす新宿二丁目のオナベさんたちに触れた時、自分の中で何かが変わったのはわかっていた。しかし、その気持ちに気づかないふりをしながら、なんとか手術をしないで生きていく道を、あれ以来模索し続けていたのだ。イッサに会って同じ想いの仲間がいるのを知ったとき、どれほど嬉しかったことか。

そんな親友が急に遠い存在になってしまった。

それから心身共にみるみると変わっていくイッサと過ごす時間はとても複雑だった。どんどん心が軽くなって、自分になっていくというイッサに対し、未だこの心と体で生きることに意味を見出そうとしながらも見つけられない僕。

「お前も早くやったほうが絶対いいって。俺もやる前は迷ったけど、やって本当によかったし。逆になんでもっと早くやらなかったのかって後悔してるくらい。やって本当に後悔はないよ。」

心が揺さぶられないわけがない。それでもなんとかこの心と体で頑張れないかと粘り続けた。特に本を出してからは多少意地になっていたかもしれない。

「手術をしなくても楽しそうに生きているフミノくんを見て勇気をもらいました!」

そんなメールが届くたびに、手術をしないでも自分らしく楽しく生きていく道を見つけること、それが僕に課せられたミッションなのではないかと。

意地になってホルモン投与も手術もしない僕に、イッサは何度も

「お前も早くやれって。本当に気持ちが楽になるから。」

「でも…。」

そんな会話を何度繰り返したことかわからない。いつまでもうじうじしている僕とは裏腹にイッサはその後も乳房切除、子宮卵巣の摘出、戸籍変更と順調に済ませ、最愛のパートナーと結婚した。

僕が手術をしたのはそれから5年もたってからだ。初めて新宿二丁目を訪れてからちょうど10年が経っていた。
何故手術を決断したか、何故乳房切除手術はしても子宮と卵巣の摘出をしていないのかについては次回にじっくりとお伝えしたい。


小説「ヒゲとナプキン」 #1 https://note.mu/h_ototake/n/nd428808e05bd
小説「ヒゲとナプキン」 #2 https://note.mu/h_ototake/n/ne593fea2f70b
小説「ヒゲとナプキン」 #3 https://note.mu/h_ototake/n/n631beab438e5
小説「ヒゲとナプキン」 #4 https://note.mu/h_ototake/n/nba04148586f3
小説「ヒゲとナプキン」 #5 https://note.mu/h_ototake/n/n3c34a624011e
小説「ヒゲとナプキン」 #6https://note.mu/h_ototake/n/n73046afd3418
小説「ヒゲとナプキン」 #7https://note.mu/h_ototake/n/nec26cedb1fae
小説「ヒゲとナプキン」 #8 https://note.mu/h_ototake/n/n73c941d7d28e
小説「ヒゲとナプキン」 #9 https://note.mu/h_ototake/n/n57faf556dc35

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