フミノ上半身

なぜ切るのか、切らないのか 前編 〜小説「ヒゲとナプキン」に至るまで【その6】〜

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おっぱいとサヨナラしたのは今から10年前、27歳のとき。タイにある病院で麻酔から目覚め平らになった胸を見たときには「元に戻ったー!!!!」と感激したのを覚えている。傷の痛みなど全く気にならないほど、心の傷が癒えた瞬間だった。

「何でフミノはそうまでして男になりたいの?」とよく聞かれていたが、別に変わりたかったわけではなく、「元に戻る」という感覚で手術を考えていた。とは言え、もちろん「元の体(=男性の体)」を経験したことは一度もない。それなのに元に戻りたいと思うこの感覚は、自分でも不思議なものだった。

「トランスジェンダー は無人島に行っても手術したいものなのだ」と言われたことがある。例えば同性愛者は社会の差別や偏見さえなくなりさえすれば、ほぼ苦痛を感じず生活することができるだろう。しかしトランスジェンダー は周囲に理解があろうがなかろうが自分の性自認と身体が噛み合わないというところに苦痛を感じるわけだから他者との関わりは関係ないのだ、と。それを聞いたときは、わかるようなわからないような、、ってか無人島行ったことないしな、、、そんな感じだった。

正直言えばとっくの昔から手術はしたかった。しかし、それはいけないことだと自分の気持ちに蓋をし続けていた。その蓋が開いてしまった後も、自問自答し続けた。手術をしたいと思うこの感覚は本当に自分が望んでいるものなのか、それとも手術をしないと生活が送りづらいという社会的圧力によって思い込まされているだけなのではないか。それをしっかり紐解かないことには後戻りのできない手術をすべきではないと考えていた。

そして世界中で「She」なのか「He」なのかと性を問われ続づけたバックパッカーの旅でたどり着いたエジプトの砂漠。
見渡す限りの広大な砂漠の中で夜中にポツンと一人、星空を見上げていた。
見たこともない絶景に感動している以上に、こんな時ですら自分の身体が嫌で仕方なかった。
そのことに気づいた瞬間、僕は長年悩んだ手術をすることを決断した。自分と徹底的に向き合って、悩んで、もがいて、やっとたどり着いた答え。誰が何と言おうと、僕は手術をしたほうが気持ちよく生きていけるだろう。逆にそうしなければ僕は自分の人生を謳歌することはできない。自分の中ではいい意味での絶望だったのだ。

乳房切除をしホルモン投与をはじめた。女体の着ぐるみを脱いだ開放感はたまらないほど爽快だった。手術によって除去されたのは肉の塊だけではない。朝起きるだけで楽しい。そんな毎日が始まった。(トップ画像の写真はおっぱいを切ってからちょうど1年が経ったころ。)
それまでは朝起きて鏡に映る自分の姿が嫌で、体のラインが出ないかだけを考えて服を選ぶ毎日。もちろんオシャレなんて二の次である。胸が強調される斜め掛けバックは避け、車のシートベルトは胸に密着しないよう乗っている間中手で押さえていた。楽しいはずの修学旅行は共同浴場が耐えられず、海やプールに誘われる度、みんなと一緒にはしゃげない自分が容易に想像がつき、断る口実ばかりを探した。
例を挙げればきりがない。24時間365日、どれだけ負荷がかかっていたのか。当たり前になりすぎていて自分では気づけないほど麻痺し、もはや何が苦しいのかわからなくなっていた。

術後初めて白いTシャツ一枚で出かけたときの喜びは、誰にもわかってほしくない。こんなことならもっと早くやっておけばよかったとも思ったけど、自分ととことん向き合った時間は、自分を深めてくれたかけがえのない時間でもあり、後悔はなかった。

小説「ヒゲとナプキン」 #1 https://note.mu/h_ototake/n/nd428808e05bd
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