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かつては村上春樹、今はポールオースターがそばにいる。

私が10代後半の頃、「好きな作家は?」と聞かれたら
必ず村上春樹の名前を上げていた。


彼の作品に最初に出会ったのは、彼の長編1作目である「風の歌を聴け」を読んだ、高校生の時だ。

その後、1973年のピンボール、羊たちの冒険、ダンス・ダンス・ダンスを
読み、ノルウェーの森とハードボイルド・ワンダーランド、海辺のカフカを、読んだ。

それから15年以上たった2020年現在にいたるまで、だいたい村上春樹のすべての作品を、文句を言ったり、賞賛したりしながら、なんだかんだすべて読破している。

思い返せば、10代から20代の前半の頃、持て余してしまうほど過剰だった自意識を、村上春樹の文章、や描写、人生観、に重ねていたような気がする。

友人や家族、恋人なんかよりもずっと、自分のことを知っている人に出会ったような気持ちがあったのだ。

時代的なことを言えば、当時は村上春樹の本読んでいることは自称文化系(またの名をサブカル系)は誰しも通る道、のような雰囲気もあったし(書いていて急に思い出したのだが、)私は付き合った彼や気が合う友人に、「風の歌を聴け」をプレゼントとしてしまうクセがあった。(今思うとちょっと痛い・・)

だから買っては誰かにあげて、買っては誰かにあげて・・としていたせいで、読みたいと思ったときにいつもその本がなかった、という記憶しかない。

よっぽど、自分と気の合う人や好きな人とこの感覚を共有したい、と思わせるような作品だったのだと思う。


それだけ、自分の青春時代を思い返すとき、村上春樹の小説は避けられないぐらい、強い影響を受けてきたと思う。


それから時は過ぎ、30代になったある時、
遅ればせながらポールオースターの作品を読むようになった。


きっかけは、小説ではなく「スモーク」という映画だ。

ブルックリンのタバコ屋を中心に、ブルックリンに住む人の日常の風景を淡々と描くこの映画をひどく気に入ってしまい、調べてみたところ、ポールオースターの短編が原作となっていることを知ったのだ。


はじめて読んだ、オースターの作品は「ムーンパレス」という小説だ。案の定、読み始めると本をめくる手をとめられなくなるほど、面白かった。


私自身、10代、20代と、比較的本をよく読むタイプだったものの、年々、その内容は文学ではなく、ビジネス本やカルチャー本、専門書などへ傾倒するようになっていた。

だから「物語に没頭する」というのが久々の感覚でとてもうれしかったことを覚えている。


ポール・オースターの作品の世界観は、私にとってノスタルジックで心地よかった。さらに読んでいるうちに、「あれ、なんか既視感というか、身に覚えがあるぞ」と感じたのは、10代の頃たくさん読んだ村上春樹作品と似た雰囲気があったからだった。

実際に村上春樹氏はオースター作品を高く評価しているようで、最近の書籍にもコメントを寄せている。

また、「自己意識の病」あるいは「メランコリー」といった点で彼らの類似性を指摘するような論文もいくつか見つけた。2人ともフランツ・カフカに影響を受けているという点も。

私にとって、村上春樹、ポール・オースター、共通して
すべての人生は不毛であり、誰もが人間としての弱さをもっている」というようなテーマを一貫して感じる。


だが不思議と、人生は無意味なものだというメッセージではない。

人生に抗うことも、完全に諦めるというわけでもなく、今ここにある現実を自然体でいきる人々が、魅力的に描かれている。多くの登場人物は孤独だ。でもなぜかそれに、とても救われる。

ある種の作品(小説にしろ映画にしろ)は、数年間のブランクがあっても、ときに強く物語に触れたくなることがある。何故そうなってしまうのかは、理由はわからないのだけれど。

ポール・オースターとはそういう作家だと思う。


人生に悩んだ時やちょっと疲れてしまったときなどには、
自己啓発本やハウツー本などよりも、ずっと彼らの小説に答えがあるような気がする。

私にとっての10代は村上春樹、今の自分には(他にも多分いるけど)オースターかな。


最近、私が読み始めた、ポール・オースターの新刊(実際には原作は10年前に出ているがやっと翻訳が出版された)「サンセット・パーク」も実に面白い。

それぞれの登場人物に強く惹かれると同時に、やはりなぜか、心が癒されて、救われている。


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