見出し画像

映画「ドライブ・マイ・カー」時間をかけて考えることを肯定する

ニューヨーク映画批評家協会賞にて、映画「ドライブ・マイ・カー」が作品賞を受賞した。日本映画として初であるどころか、外国映画が作品賞を受賞すること自体が稀という中での快挙だ。

私自身、今年観た映画の中で、最も大きく感情を揺さぶられたと言っても過言ではない、忘れることのできない作品だ。

映画館で鑑賞している途中、本当に息が苦しくなり、呼吸が乱れるほどだったのだ。

気がつけば、自分とは全く違うアイデンティティを持っているはずの主人公の男、「家福」を、自分の中にある過去の感情の何かと重ねてしまっていたのだろう。

この物語に、私は救われた。

そしてこれから先の自分にとっても、大切な1作となるだろうと感じている。

============

私は、自分の感情に気がつくまでに、タイムラグがあるタイプだと思う。

例えば、祖母が亡くなった当日、上司にお悔やみよりも先に仕事の進み具合のことを気にされた時に笑ってごまかした時のこと、かつて仲の良かった友人に「あなたも一度ぐらい結婚してみたほうがいいよ」という悪い冗談を両親の前で言われ「そうだよね」と笑顔で返したことだったりなどが、良い例である。

いつも、その瞬間には何とも感じていないのに、あとになってモヤモヤとし始めるのだ。

行き場のない怒りや悲しみを、その度に飲み込んで来た。

「あの時、きちんと自分の気持ちを素直に言葉にしていれば良かったかもしれない」と思ったことは、大なり小なり数え切れないほどある。

鈍感なのか、あるいは必要以上に傷つきたくないがための防衛本能のようなものなのかは、自分でもよくわからない。

ある人からすれば、私はとても損をしているようにも映るのかもしれないし、私のような行動が、別のある人を腹立たしくさせていることも、あるかもしれない。

映画「ドライブ・マイ・カー」は私のように自分の気持ちを即座に表現できず、後々悔やんだことのある人間にさえ、救いの手を差し伸べてくれていたように感じた。

主人公の家福は、妻を失った後、これまでと変わらず淡々とした日々を過ごしている。
ある時、自分の手掛ける舞台の公演のために滞在した広島で、同じように何かを失った若い運転手や俳優達と出会い交流する中で、少しずつ自分の抑えていた感情に気がついていく。


本当は、大事な物事や事象ほど、もっと時間をかけて気がついていっていいのかもしれない。


悲しみや怒りさえ、自覚するまでには十分な時間が必要なのだとこの映画は肯定してくれる。

この世の全ての物事が、白や黒、正解や不正解だけで成り立っているわけではないのだ、と。

私たちが住む世界では日頃、さまざまなことが起こりニュースになり、毎日のように誰かの言葉が目に入ってきてしまうようにもなった。何かを発言し、怒りや悲しみを明るみにしていくことだけが正しいと勘違いしていたこともある。

本当は自分の中で大切な感情ほど、誰にも気づかれず、自分自身の中でゆっくりと感じ続けていたっていいはずだ。
たとえそれが自分にとって良くない類のものであったとしても。

人間の内なるすべての感情を肯定し、前を向けずに生き続ける人すべてを救ってくれる作品のように私には感じた。

映画の原作は、村上春樹の短編小説集「女のいない男たち」の中の3つの物語が元になっている。

小説の世界観がそのまま映像化されたような美しさと、静かな余韻を残してくれる作品であり、性別や国籍や年齢を問わず、誰にとっても普遍的なテーマであるはずだ。

私が書くのもおこがましいが、世界中の多くの人にこの作品が届くといいと思う。

私も、ずっと大切にしたいと思っている。






この記事が参加している募集

#映画感想文

66,918件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?