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台北で過ごした、暑い夏の日の記憶【台北旅日記】

どうしても今、ここではない別の場所へ行きたい。たったひとりで。
そういう衝動にかられることが、時々ある。それは30歳を目前にロンドンへ行った時にも、長年付き合った恋人と別れてアメリカへ行った時にも、これといった理由もなくハワイへ行った時にも、同様だった。

移動が制限されてしまった今は、その時のことを脳内から引っ張り出して記憶の中を旅することしかできないが、それもまたいい。なぜだか分からないが、どうでもいいちょっとしたような出来事が、後になって急に思い出されたりするのだ。


2019年9月、私はひとり、台北松山空港に降り立っていた。

2ヶ月前に結婚したばかりで、来月には新しい会社に就職することが決まっていたときである。夫と新婚旅行にも行っていないのに、「今、ひとりで日本ではない場所に行きたい」と衝動的に思ったのだ。

外国のひとり旅は、私にとってそれぐらいになくてはならないことなのである。

その前の旅がアメリカだったこともあり、台北にはなんだか随分あっさりと到着してしまった感じがした。だが、空港に降り立った瞬間から感じる南国特有の湿度と暑さに早くも気分が高揚していた。

時刻は午後の4時。外は真夏のように暑く、昼のように太陽が燦々と照り返している。台北松山空港は、台北市街地にとても近い空港である。もう一つの桃園空港が成田だとするとこちらは羽田のような場所だ。松山空港周辺のエリア「富錦街(フージンジェ)」は台湾の代官山とも言われるようなおしゃれで洗練されたエリアらしい。BEAMSの台北店などもこのエリアにある。もうこのまま少し足を運ぼうかと思う気持ちをグッとこらえて、ひとまず、タクシーでホテルまで向かうことにした。
たった10分強で私が滞在したホテル「HOME HOTEL DA AN」のある忠孝復興駅に到着する。タクシーから見えるごちゃごちゃとした街並みに異様なまでに心が踊る。分かるような、分からないような漢字の中国語の看板を見ては「あ、ここのルーロー飯って美味しいんじゃなかったっけ」「あ、ここは小籠包の店じゃないかしら」とすでに台湾グルメを食べることで頭がいっぱいだ。

香港に行ったのは10代の頃だったから、アジアへ出向くのはなんと15年以上ぶりだ。近年欧米ばかりに足を運んでいたのが嘘のように、もうすでにアジア独特の熱気にあふれたこの空気に、私は心を掴まれていた。

私が泊まったホテルは、雑誌BRUTUSの台湾特集に記載されていたデザイナーズホテルである。台北には気になる魅力的なホテルがあったが、ここに決めたのは綺麗でこじんまりしていながらも、センスが良さそうで私好みの雰囲気を感じたからだ。実際に、部屋も広くて清潔に保たれており、アメニティは全てMIT(MADE IN TAIWAN)にこだわったおしゃれなもので揃えられている。思った以上に素敵なホテルだった。それに1泊1万円以下と、このクオリティとこの立地にしてはかなり安い。きっとこれからも台北に来たら毎回ここに泊まるだろうと心に決めていたほどだ。受付してくれた女性は日本語が完璧で、素晴らしい笑顔で出迎えてくれた。最高の旅のスタートだ、と心の中で思った。


すぐに街に出たい欲求を抑え、まずは部屋で備え付けられていた台湾茶をいただくことにした。烏龍茶とも緑茶とも違い、甘く爽やかな香りがしてとても好みの味である。ああ、それにしても暑い。もう9月も終わろうとしているというのに。冷房は最大にかけているのに全く汗が引かない。すでに空港から少し歩いただけで背中がびっしょりになっている。結局、台湾茶は隅にやり、冷蔵庫にあるミネラルウォーターをがぶ飲みしてクールダウンする。

軽くシャワーを浴び、ラフなノースリーブのワンピース1枚にスポーツサンダルという軽装に着替え、夜から街に出てみることにした。

今日は、台北に住む友人の家族と食事をすることになっている。本当はいつも通りたった一人で自分の好きなように過ごしたい気分だったが、せっかくならばと自分から声をかけてみたのだ。案の定、地元で美味しいと言われているらしい小籠包をいただくことが出来て大満足だ。台湾では安くて美味しいお店がそこかしこにあるらしい。

夢中になって熱々の小籠包や、炒飯などを食べているとお店の人がこちらに何やら中国語で話しかけてくる。さっぱり何を言っているか分からなかったが「好吃 (ハオチー)」と言ってみたら、こちらが驚くほどの笑顔で喜んでいた。先方が親指を立てていたので、私も親指を立てたら、驚くほど笑ってくれた。店内は雑多でガヤガヤうるさく、すし詰めのような状態であるのに、なぜかいつになく心地がいい。

私は普段、他人と食事をすると緊張してしまい、どうにも楽しめないたちだ。仮にもこの友人の夫には結婚式以来、初対面。まともに話したこともなければ、正直かなり話しづらいタイプの人である。だが、この店の熱気と熱々の美味しい料理を前にしたらそんなことはどうでも良くなる。もう住んで4年になるという友人夫婦が口を揃えて「日本よりも住みやすくてね」と言い合っている。
うん、確かにそうかもしれない。
初日にして私は、台湾の魅力に完全に虜になっていた。



友人と別れた私は、ひとり地下鉄でホテルのある方面へ向かった。
私は外国の旅先で電車に乗って移動するのが大好きだ。むしろ電車移動のない旅などあり得ないとさえ思っている。電車にはこの土地に普通に暮らしているサラリーマンや主婦、学生など、いろいろな人の姿をじっくりと見ることができて、そこに暮らしている気分を少しだけ味わえるような気がするからだ。帰国後に電車の路線図を眺めるだけで何故だか旅しているように気分が高揚したりもする。私がついつい旅先に都会ばかりを選んでしまうのもそういう理由もあるかもしれない。

もう、時刻は夜9時になっていた。ホテルのすぐそばに「東區(ドンチュー)」というおしゃれなエリアがあるらしいので、帰り際に少しだけ足を伸ばしてみることにした。ここは原宿や、かつての下北沢のようなイメージだろうか。若者向きのカフェや雑貨屋、美味しそうな豆花屋もたくさんある。ヘルシーなジューススタンドなども多く見かけた。

私は雑誌「POPYE」の台湾特集で事前に気になっていた古着屋に寄ってみることにした。(マガジンハウスの情報には絶対的な信頼をおいているのだ)どうやら夜11時までやっているとのことだ。


狭い路地の一角にその店はあった。
古びたビルの2階。恐る恐る階段を登り、店に入ると、日本人と見間違うような今風のファッションの若い店員が出向かえてくれた。ヴィンテージのシャネルやカルティエの小物などがセンス良く並んでいる。店内は、リノベーションが施されているようで外からみるよりずっと綺麗で明るかった。
奥の方に、花柄のワンピースがたくさんかかっている棚が目に入り、私はすかさずそちらに行ってみる。
台北の夏はとにかく暑い。暦上はもう秋なのだろうが、今も真夏のようだ。私は、日本から持ってきていた服はどれも台北向きでは無い気がして、新しく、風通しの良さそうな花柄のロングワンピースを2着買うことにした。2着で7000円ぐらいでとても手頃だ。きっと、この古着のワンピースで台北の街を歩いたら、随分気持ちがいいだろう。そんなことを思いながら、ホテルに戻り、その日はぐっすりと眠った。


2日目。どうやら台風が近づいてきているらしく、雨がぱらついていて、強い風が吹いていた。私は初日に買った、ネイビーの小花が散りばめられた軽い素材のワンピースを着て、台北の街を歩くことにした。日本では着ないかもしれないが、ここ台湾の街にはなんだかとても馴染んでいる。
こういう天候は、台湾では日常茶飯事のようで、ビーチサンダルにハーフパンツといった軽装の人が街に溢れていた。

この日は、「迪化街(ディーフォアジェ)」という、問屋街へいってみる事にした。雰囲気のある古い建物が立ち並び、店先には見たこともない色鮮やかな漢方や乾物、スパイスなどが立ち並んでいる。「台湾らしい場所」といったらこういう場所なのかもしれない。きっと東京でいったら浅草などの下町、もしくは合羽橋のような趣なのだろう。(私は旅先を、つい東京の街にたとえてしまう癖があるようだ)

私は、ここで、かごや蒸篭や器などを調達した。

雨が降ったり止んだりしていたせいで、昨日以上にジメジメしているが、私はそんなことも気にせず、とにかく街を歩き回った。髪もベタベタになり、サンダルをはいた足も濡れている。メイクも随分崩れていただろう。
だが、この街では誰も私のことを知らない。それは、私の気分ををなによりも自由にそして足取りを軽くさせてくれた。
この湿気と熱気がむしろ、南国の台湾らしい気がして、とても気に入っていた。

「永康街」という女性に人気のエリアがある。ここでは台湾初の化粧品を買ったり、人気の台湾茶を買ったりと買い物を楽しんだりした。

途中で見かけた屋台に、妙な人だかりができている。
気になって行ってみると、どうやら「天津蔥抓餅(ティェンシンツォンジュアビン)」という人気の屋台らしい。
雨の中、私は並んでみる事にした。

これは、ネギ焼きのようなお好み焼きのような味がした。
もちもちとしていて、味はお好み焼きよりももっと薄味だが、なんとも言えない滋味深い風味を感じた。とても美味しくて2個も3個も食べられる気がした。

それに、ここで働いている人たちは、皆とてもかっこよかった。
全ての動きが均一で、整えられているようで、私は思わずその仕事ぶりに目を奪われてしまっていた。目の前の仕事を手を抜かずに、丁寧にやっているが、無駄な動きがひとつもない。私は、仕事や会社のことでずいぶんと悩んできたが、「一流の仕事というのは本質的にこういうことなのかもしれない」などといったこと思った。

その次の日には、台北の銀座的な場所「中山」というエリアに行き、また台湾茶を買った。私は台湾茶にすっかりハマってしまったようだ。

ここでは目の前でお茶を入れてもらい、試飲をさせてもらった。
女性のお茶を入れる手つきや所作も、また食い入るように見てしまった。

昔、私は日本でお茶の教室に通っていたことがある。でもそれとはまた違った趣や、日本のお茶の文化にはない寛容性があり、これはこれでとても心地よいなと感じた。女性の美しい所作を見ていたら、私ももう一度、お茶の教室に通いたい気持ちになった。自国の文化を体得するというのは、改めてとても素晴らしいことなのだと思えてきたのだ。


台北は、なんといっても夜が魅力的だ。
私は、この日唯一の夜市に行く事にした。せっかく行くのなら有名な場所にすればいいものの、なぜかマイナーで日本人など一人もいないような夜市へ行ってしまった。

ろくな写真が残っていないほどだ。だが、こちらはこの旅の中で何よりもディープで台湾らしいひと時だったかもしれない。この3日間見ていた台北は、整えられて美しい台北だったが、この夜市はもっと普通に生活している人のリアルな姿を見たような気がした。決して綺麗ではない店先や、鼻につくような食べ物と人々の汗の匂い、アジアの都会の雑踏の中に初めて紛れ込んでしまった感覚に、私は高揚した。物騒な声が聞こえたりもしたが、この夜市で会った人たちは皆、とても優しくてあたたかかったように思う。
帰り際に夜市で買ったフレッシュジュースを片手に、夜の台北の街を当てもなく歩いた。


3泊4日の台北の旅の最終日。羽田行きの飛行機は、午後2時のフライト予定だ。朝、ホテルの近くにある、美味しい肉饅のお店でさっと朝ごはんを食べて、(これもとてつもなく美味しいのだ)電車を乗り継ぎ、オーガニックスーパーの開店時刻に合わせて向かった。
私が海外に行くと必ずやることの一つに、「オーガニック系の高級スーパーへいく」というのがある。ここで行ったのは、「天和鮮物」という台北で人気の店である。
台湾製の調味料や食材などの他に、オーガニックコスメや日用品などもおいてあり見て回るだけでもとても楽しい。

洗剤なども豊富にあり、パッケージを眺めるだけでもワクワクしてしまう。ここでは、調味料や、オーガニックのリップクリームなどの土産をたくさん買って、私は急いでホテルへと帰った。

空港でスーツケースを預けて、最後に念願の「富錦街(フージンジェ)」を散策した。ここは台北の代官山と言われるだけあり、洗練されたお店が立ち並び、街ゆく人も、どこかエレガントである。

この日は、晴天で、気温もいつになく暑く、湿度も高い。自分の肌が丸焦げになってしまうのではないかと思ったほどだった。だが南国らしい緑が立ち並ぶこの街にはこの気候がぴったりだった。行ったことはないが、メキシコやキューバの街を歩くときにもこんな風なんじゃないかと錯覚を起こしたほどだった。(もしかしたら暑くて幻覚が見えたのかもしれない)

最後に訪れたこの街では、1時間もいられなかったので、気になるショップを数件巡っただけで終わってしまった。最後に、素敵なカフェがありサラダを注文したら、それが思いがけず美味しくて(人生で一番かもしれないと思ったぐらいだ)嬉しかった。アイスコーヒも、日本でも流行しているサードウェイブ系(もう古いのか?)の独特の風味がして、以前ポートランドで飲んだコーヒーを思い出させてくれた。どこの国も同じなのだなと思った。


そんな風に、最後まで後ろ髪を引かれる思いで、私はこの台北の旅を終えた。

今でも台北の街の、ジメッとした空気、滴るほど汗が出る暑い気候、そして人々の暖かさや、街の賑わい、夜市の匂い、全部、体でしっかりと覚えている。

リアルで何かを体験する事や、フィジカルに人と会えることの素晴らしさや、かけがえのなさを、今の私はとても強く感じている。

どんなに時代が変わり、オンライン上やバーチャルで体験ができるようになっても、私の体の感覚は、この時のような体験をこれからも求め続けるのだろうと思う。

だから、私は、きっとまた世界を旅がしたいなと思う。

次も、あの時のような汗が滴るようなとても暑い日に、もう一度台北を訪れたいと思う。

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