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今書いているnoteは「未来の自分」へのメッセージになる、かもしれない

自分の書いたものを見返す?
見返さない?


わたしは、自分の書いたものは、なんだか恥ずかしくてあまり見返さない派である。

写真はまだいいんだけど、文章は恥ずかしさとそのときの感情が鮮明に蘇ってきて、一緒にイライラしたり、ハラハラしたりしてしまう。

ちょっぴり気合いが必要だ。

だが、10月に入ってから、体調がすぐれない日が続いた。
秋には毎年体調を崩してはいるものの、例年よりも頭痛がひどく、なにかおかしい。

すると、気分も落ち込んでくる。

落ち込んでいるから体調が悪いのか、体調が悪いから気分が落ち込むのか、それはちょっとわからないのだけど。

ともかく、心身ともに落ち込み期だったのである。



ふと、ひとつの疑問が頭をよぎる。

昨年もこんな感じだったっけ?
……そうか、1年前のnoteを見返してみればいいのか!

こうして、過去のnoteをさかのぼることにしてみた。

昨年のnoteを振り返ってみる

昨年のnoteを読んでいった結果、昨年の夏から秋にかけても落ち込みメンタルだったことが判明。今年ほどではないにせよ、やっぱり秋の不調はどうにもならないものなのだと、再確認する。


昨年10月のnote。
なにやら仕事でミスをして落ち込んで、このnoteを書いていたらしい。

落ち込んだときは「確実にできることをしよう」と、読者(あるいは自分か?)にエールを送っている。

お風呂に入る、ご飯を食べる、なんでもない当たり前のことかもしれないけど、ただできることをしよう、と落ち込みメンタルへの処方箋を書いていた。



こっちの記事は、昨年の7月に書いていたものだけど、落ち込んだときこそ家事を優先しよう!という内容。

整ってないと落ち着かないし、自分を後回ししないで労っている感覚が、どん底メンタルから自分を救ってくれる、と。


1年前のnoteだから、文体とかノリとか全然違うのは置いておいて……

な〜んだ、過去の自分が「こうしたらいいよ!」って言ってくれてるじゃん……!

noteは未来の自分へのメッセージ、かも?

過去のnoteを見返したあと、あまりの具合の悪さにほっぽりだしていた家事を数日ぶりにやってみた。
できることを確実に。自分が心地よい状態に自分で持っていく。

そしたら、なんだか今日は、少しマシなのだった。
少なくとも、どん底鬱々状態からは抜けだした気がする。


過去のnoteがこんなふうに役立つなんて。

noteを「過去の自分に書く」とは、ときどき聞くけども、まさか知らず知らずのうちに「未来の自分」に向かって書いていたとは!

大きな出来事がなくても、今の気持ちや気づいたことを残しておくのは、自分の財産になる。日常の細々したことを「大したことない」と思わないで綴っておこう。

今は石ころかもしれないけど、あとから見たら0.1カラットのダイヤかもしれないから。

図らずも、自分の過去のnoteに救われたという話でした。
ちゃんちゃん。

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