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【賢母を勧めない】まとめ

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【賢母を勧めない】

 賢母と聞いたとき、あなたは誰を挙げるだろうか?一昔前の日本では間違いなく孟母だろう。孟母三遷の教え、孟母断機の教えを知っている女の人は多かったという。

 『孟子』、養老孟司先生の『養老孟司の〈逆さメガネ〉』、香山リカ先生の『母親はなぜ生きづらいか』、西部邁先生の『教育―不可能なれども』を参考文献に、親のあり方を漫ろに考えたものです。

 『次郎物語』を筆頭に、細田守監督の『おおかみこどもの雨と

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『次郎物語』の穿った見方:良妻賢母思想に踊らされた母、お民

 更に他の一人は、「次郎は変質者だね。」と言った。
 これには私はかなり考えさせられた。そして、もし次郎が、その人の言うとおり、変質者として描かれているならば、彼を広く一般の親たちに引きあわせるのは、大して意味のないことだと思いはじめたのである。
 で、その後、私は何回となく原稿を読みかえしてみた。しかし、私自身には、次郎が変質者であるとは、どうしても思えなかった。
 次郎は、誰が何と言おうと、他

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『おおかみこどもの雨と雪』評:花は賢母に描かれてるか、それとも愚母に描かれてるか。

 弟子の万章がたずねた。
「舜は、毎日田に出かけると、声をあげて泣きながら慈悲深い天を仰いで訴えたり、父母の名を呼んだりしたとのことですが、どうしてそんなに泣き叫んだのでしょうか」
 孟子はこたえられた。
「それは父母がどうしても愛してくれないのを怨めしく思い、親を慕う心を天に訴えたのだ」
 万章がいった。
「古語には『父母が自分を愛してくれれば嬉しく思って忘れず、もしも父母が自分を憎むようなこと

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『バケモノの子』評:ミラーリングによって築かれる関係から、育児参加の再考

 前節にて、私は『おおかみこどもの雨と雪』における母子のディスコミュニケーション、『花』の欠点を論った。
 『バケモノの子』は実に対照的な作品であり、『おおかみこどもの雨と雪』補足として、ここに『バケモノの子』評論を書き連ねたい(母親に対して父親という短絡思考ではなく、『花』の足りなかった部分を描いた結果あのような作品になった……私はそんな印象を抱いた)。

 なお、『養老孟司の〈逆さメガネ〉』の

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『生かす』の落とし穴。『殺さない』ために心掛ける3つの『不断の努力』

 孟子はいわれた。
「(略)一枚の羽根が持ちあげられないというのは、力をだそうとしないからです。車いっぱいに積んだ薪が見えないというのは、見ようとしないからです。しも人民の生活が安定しないのはおなさけをかけようとなさらぬからです。ですから、王様が王者になられないのは、なろうとなさらぬからであって、できないのではありません」
 王がたずねられた。
「しないのと、できないのとでは、具体的にはどうちがう

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敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の1

●リトレイス[Retrace]
 繰り返す、跡をたどる。語源は『back + trace』、自分の辿った人生を丁寧に子へ伝えること。また、変遷してゆく世の中(次世代環境:子の住む世界で、自分は一切関わらない所)への研鑽に労を惜しまないこと。
 先の3つの努力に照らし合わせて考えると、当然リサーチ(自分の経験、努力の記憶はその大きな助けとなる)が、それ以上に日々のリニューアルが要求される。
 前節で

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敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の2

 情が通じればこそ湧く意欲があるとは思う。
 開き直って贔屓を肯定する論調は頷けなくもない。確かに、それが良い効果をもたらすことはあるだろう(ピグマリオン効果の話はよく聞く。問題はその妥当性に裏付けが無いこと、恣意的選択である)。
 しかし、情は万能ではない。

 あれは中学国語の教科書に掲載されていた霊長類学者の河合雅雄先生の書かれたエッセイ(思考実験?)だったと思う。そのさわりを以下に記す。

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子供が[アイデンティティの確立]するために

●[プライベートの確保]:『胸ん中の剣』を持たせる前に『自分だけの部屋』を

 引きこもりの情報が乏しかった一昔前のこと、『甘やかして部屋なんか与えるから、引きこもりが生まれるんだ』という言説をちらほら聞いた(この単純思考が、あの『引き出し屋』の跳梁を招いたのだろうか?)。

 私は寧ろ逆だ。追い詰められた時(最優先で考えるべきはそこ)、機能不全な部屋であったからこそに役に立たず、それが物理的な干

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敢えて考える。勧めるべき3つの『親の礼』:選択肢の3

 これまで『親の礼』と銘打ち、3つの『不断の努力』を提示し、選択肢『情に沿う教育姿勢のリトレイス』と『道理に沿う教育姿勢のレスポンド』の2つを唱えてきたが、実は態と選択〝肢〟という語弊のある言葉を使ったてきた。

 どれかを選んで終わりという話ではないのだ。

 既成の社会的役割として「仮面」についてのみ教育するのでは、ラルフ・ダーレンドルフのいう「ホモ・ソシオロジクス」(役割〝を素直に演じる〟人

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『ここにいる』と言えない者たち

「そなた、邪悪な年老いた魔法使いよ、そなたは何たることをしたのだ!そなたがこういう馬鹿げたロバ祭りなんかを信ずるのであれば、この自由な時代に誰が今後そなたを信用するはずがあろうか?
 そなたのしたことは、一個の愚行であった。そなた、賢いものよ、どうしてそなたがこういう愚行をなしえたのか!」
 『ツァラストゥラ』第四部18節、ロバの祭りより

●父親のルネサンス[Renaissance]
 次郎物語

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