君の鼠は唄をうたう(10)はなおとめ
鼠は、あっけないほど簡単に見つかった。
いつもの場所で、いつものように口笛を吹いていた。僕が近づくと、鼠は、初めて会ったときみたいに僕にあいさつをした。
「やあ」
鼠は、これから一緒に朝マックにでも行こうとでも言い出しそうな雰囲気だった。
「追われてるのか?」僕が直球で言う。
「らしいね」
「どうして逃げないんだ」
「どこにだよ」鼠は不思議そうに答える。「ここ以外に、おれっちの行くところはないよ」
それより、と鼠は言う。
「謝らなくちゃいけないことがある」
「なんだよ」
鼠の目をじっと見ながら僕はあの日のことを思い出す。
あの日。僕はプロジェクトの会議で提出する資料をまとめあげ、久しぶりに少しだけ開放された気分で街を歩いていた。
軽く一杯だけ飲みたいなと思った。ビルとビルの切れ目に、裸電球のぶら下がった看板が目に付いた。
《RATBAR》と書かれた看板。まだ人の少ないBARで飲むのも悪くない。そう思って、狭い階段を降りていった。思ったとおり、客の姿はなかった。
気の利かない天気図をそのまま貼り付けたような表情をしたバーテンダーがひとり。場所を間違えたような気もしたけれど、薄暗い階段を引き返すのも面倒くさくなってジントニックを頼んだ。
ジンの匂いに包まれてみると、この場所も悪くないような気がして、もう何杯か飲み、勘定を払ってBARを出たところまでは覚えて……
「……利用させてもらったんだ」
記憶の再生を止めるように、鼠の声がした。
「あんたの姿を使って、ちょっとした仕事をしたんだ。まさか外の世界に鼠のまま出て行くわけにもいかないからね。
まあ、それは、よくあることだよ。でも、今回はちょっとばかりマズイことになった。外の世界に出た仲間が人質に取られたんだ。
おれっちたちは仲間の行方を探して、いろんなルートで接触を図った。いつもは使わない方法も使ったさ」
どうやら僕の知らないところで、僕が何かに巻き込まれていた。
……つづく
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これまでのお話
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◎熊にバター
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