君の鼠は唄をうたう(3)はなおとめ
扉が開いたとたん、僕の身体に飛び込んできたのは、わけのわからない匂いと音の塊りだった。
なつかしいような気さえした。ひさしぶりに、生きている実感のある色の付いた物音たち。
「やあ、どうだい」
鼠が僕の姿を見つけて近づいてきた。
「どうって、ここはなんなんだ?」
「クラブみたいなもんだよ。あんたたちの世界で言えばさ」
「僕は、あんまり行かないんだけどな」
「そんなのどっちだっていいと思うよ」
鼠は、そう言いながら僕を奥へ連れて行く。奇妙な服を着た鼠たちが、踊ったり、騒いだりしている。
カウンターに並んでいる油のぎらぎら光った食べ物が眩しかった。
「食べればいいさ」
鼠が、僕の視線に気づいて言う。
だけど、と僕は思い直す。僕はこの世界の人間ではないのだ。
「うまいよ、これ」
僕の鼻先に、虹色に滲んだ酢豚のようなものが突き出される。
今度は考えるより先に、僕の胃が食べ物を呑みこんでいた。
「ところでさ、ものは相談なんだけど」
僕がファックな食欲を満たしたことを確かめると、鼠は改まって言った。
「おれっちに唄を教えてくれないかな」
「唄?」
「そう。人間の唄を教えてくれよ、おれっちに」
人間の歌、と言われても、いったいどんな歌なのかさっぱりイメージが浮かばない。そもそも僕はカラオケすら滅多に行かないのだ。
「べつに、とくべつな唄じゃなくていいよ。あんたがいつも聞いてるようなやつでさ」
僕は鼠の顔をまじまじと見つめながら、彼が唄うところを想像してみる。
「おまえ、唄をうたうんだ」
「いや、うたわないよ」
僕の頭は少し混乱する。変なものでも食べたのかもしれない。
「これからうたうんだ」
僕はポカンと鼠の顔を見つめていた。
……つづく
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これまでのお話
◎君の鼠は唄をうたう(1) (2)
◎熊にバター
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