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ものかきのおかしみと哀しみ

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2020年3月の記事一覧

だいたい、いつも5人

だいたい、いつも5人

何か伝わったらいいなと思って文章を書く。このnoteにしてもそうだけど。そのときに、書いたこと思ったこと、感じたことが伝わる人数の話。

だいたい、いつも5人だと思ってる。

いや、私にだって伝わってるよと言ってくれる人もいるかもしれない。いないかもしれない。

なんだけど、イメージとしての人数はだいたい5人ぐらいと思って書いてる。少ないんだろうか、多いのだろうか。



自分の影響力とか、そう

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きょうも自分のゼロを探す

きょうも自分のゼロを探す

夜中になると眠い。あたり前だろと思われそうだけど、以前は夜中でも「眠く」はなかった。まあ、睡眠時間を確保しないといけないし、寝た方がいいから眠る。そんな感じ。

だったのが、最近「ほんとに眠い」。眠いと何が困るか。本が読めないことだ。

いや、昼間も読んでるけど、それってほぼ仕事でだから純粋に「あ、いまこれを読みたい気分だな」という読書ではない。

眠りに入るまでの、寝てもいいし寝なくてもいい曖昧

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白く失った日

白く失った日

すごく珍しく、こんなことnoteに書いてもな……な気分になっている。いろいろやられすぎるとものかきもこうなるんだな。

けどまあ、べつに読まれなくても自分のために書く。

朝がいきなり引き裂かれた。いや、ほんとにリアルに。

ミシミシ…パリカリ……ズ…ダーーーーン!! あまり心臓に良くない音で外から強制目覚ましが響いたのは朝の5:30過ぎ。ほんのり明るくなったころだ。

大雪って言ってますね。でも

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ポケットには子犬を入れて(再放送)

ポケットには子犬を入れて(再放送)

鍵、スマホ。あと、それから財布。

多くても、それくらいのものだろうという予想は、あっけなく外れた。世の中の人は、ちょっとよくわからないものをポケットに入れて持ち歩いているのだ。たとえば、知恵の輪とか。



「この前、乗ってた電車が止まっちゃったんですよ。そんとき、前に座ってたカップルの男の子が、ほらって、ポケットから知恵の輪取り出して彼女に渡してて、これが解けたら電車動くよって」

オフショ

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答えでふしぎな気持ちになる

答えでふしぎな気持ちになる

人生は封印された謎なぞのようなものだ。

と書いてみたけど、とくに深い意味はない。「人生は~」ではじまって「のようなものだ」で終わる人生構文を使うと、どんな書き出しでもそれっぽくなる。

人生は3日目のカレーのようなものだ。
人生は猫パンチのようなものだ。
人生はロンギヌスの槍のようなものだ。

ほらね。なんとなく意味深く思えてしまう。どれも意味はないけど。



いま、欲しいものがある。昼休み

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小説に「はじめに」と「目次」があったら

小説に「はじめに」と「目次」があったら

ビジネス書とか実用書、あるいはノンフィクションと呼ばれるジャンルの本には、たいてい「はじめに」と「目次」が書かれてる。

「はじめに」は「まえがき」とか「プロローグ」と称されることもあるけど役割としては同じだ。目次の役割は言うまでもない。

「はじめに」や「まえがき」は人によっては読み飛ばす人もいるかもしれない。

なんていうか本の中で語られる内容の「導入」というか「前振り」みたいなものだから、べ

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1890年と2045年のあなたへ

1890年と2045年のあなたへ

真実はいつもひとつ! コナン君はいつもそう言ってた。そうか。たしかに原理的にはそうだよなと思う。

ひとりの人間が同時に異なる場所に存在し得ない、という話だ。

ものを書く人間も、一応、そういった前提に基づくというか暗黙の了解の上で文章を書いている。

いまこうやって書いてる文章は、それが「読まれる時点」に常に存在し続けるわけで、まだ読まれてない過去や未来、たとえば1890年3月22日にも2045

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趣味と言われるとモヤっとするのはなんでだろう?

趣味と言われるとモヤっとするのはなんでだろう?

趣味と呼べるものがない。もう何度か書いてるんだけど。

昔からずっとだ。何かのエントリーシート的なもので「趣味欄」があるといつも固まってた。何も書くことがないのだ。

さすがにもうそんなにあらたまって「趣味ってなんですか?」と聞かれることは少なくなったけど、それでもたまに油断してるとやってくる。

……趣味…。だいたい、そこで微妙な「間」が発生する。答えたくないとかではなく、ほんとに無いのだ。

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梅ヶ丘のエビマヨ

梅ヶ丘のエビマヨ

行きずりの街の記憶は、味の記憶で残ることがある。

ふつうはもっと他に、その街で出会った人とかそこで自分の身の回りに起こった出来事、自分の心象風景と重なるものなのだろうけれど。

あるいは、その街で過ごした時間が濃厚で長いものなら違ってくるかもしれない。でも、とくに思い入れもなかった街にふと何かのきっかけで足を踏み入れたときに残りやすいのは「味の記憶」だ。

東京の世田谷区に梅ヶ丘という街がある。

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ポロっと出た本音のおかしみと哀しみ

ポロっと出た本音のおかしみと哀しみ

ライターやっていて何が興味深くて、切ない瞬間か。いろいろあるけど、取材とか打ち合わせで相手からポロっとこぼれ出た本音と遭遇したときもそうだ。

興味深くて、同時に切ない。なんだろう。屋外で本を読んでたら、一瞬だけの通り雨で頁に数粒水滴がついてしまった感じ。伝わるといいんだけど。

まあ、それがいわゆる世の中的に「影響力」があったり「知名度」があったりするひとからこぼれ出たものだったりすると余計に。

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自分だけの日常が見えてるだろうか

自分だけの日常が見えてるだろうか

見えてるものと見えてないもの。どっちも向き合い続ける日々が続いてる。もうずっとだからとくに異常だとも思わずに。

おまけに仕事だって影響されたのかされてないのか、本来はそれぞれ1本の糸のはずなのに、複雑に混ん絡がった社会だ。

秩序のない現代にドロップキックしても解けるはずもないし、いまのひとは意味がわからない。



日常が混ん絡がってくると、日々を織りなすひとつひとつの光景すらちゃんと見なく

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100円放送部

100円放送部

ときどき、どうでもいいようなことを思い出す。

うっとりするような思い出でもない。記憶の澱と呼べるほど小説的でもなく、夕陽に映える鉄塔のシルエットほどエモくもない、ただの記憶だ。

たぶん中学1年か2年ぐらいだったと思う。

その頃、僕は放送部に所属していて、お昼の校内ラジオ放送とか校内ラジオドラマだとかをつくっていた。

べつに、すごく熱心にというのでもなく、学校でクラスの教室以外に放送室という

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原稿捨てないライター

原稿捨てないライター

仕事で原稿を書いていて、ときどきふっと我に返る。いま、自分は何をしてるんだろうかと。

そんなの紛うことなき原稿書いてるに決まってるのだけど、そういうことじゃない。原稿は書いてる。だけど、それはちゃんと読み手の胃袋に収まっていくものなのか、だ。

基本的に、そこは常に書き手のバックグラウンドで働いてる意識としてある。はず。表立っていちいち確認はしないけど。

読み手が受け取りようもないもの、受け取

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時空を超えて謝罪することについて

時空を超えて謝罪することについて

若かりし頃の話。ある会社での新人時代に、何の表彰か忘れたけどどこかのホールで何千人だかの前で謝ったことがある。

表彰の場で謝るって、どういうことなのか。べつに何かやらかしたわけではない。何もやらかしてないけど謝ってみたのだ。

 ――その数日前。

「こういうときって何話せばいいんですかね」

今度、事業部の部会で表彰あるからなと当時の上司から言われて、本当に純粋に「何を話すことある?」と思った

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