ラファエロに会いに
初めてイタリアに、ローマに来たとき、同行の友人と決めたルールがあった。1つめは、ローマの中央駅にあたるテルミニ駅に近づかない、利用しない。例年以上の観光客が訪れた2000年のジュビレオ(Giubileo、大聖年)を境に、テルミニ駅はグッときれいになり、最近はフードコートまで併設しているけど、90年代まではテルミニ駅といえば、犯罪の巣窟のような、そんなイメージだった。うら若き(当時は)20代女子二人旅、危ないところには近づかないに限る。空港への往復も、わざわざテルミニ以外の駅を利用した。(今から考えると、それはそれで不便だった・・・。)
もう1つは、ローマでの見学は、古代遺跡に集中すること。ローマは古代から中世、ルネサンス、バロック・・・と見るものがたくさんある。限られた時間でやみくもに見て回るのではなく、まずは古代遺跡を堪能しよう!と決めた。それだって、数日で全部見られるわけでもない。だからバチカン美術館にも、あえて行かなかった。ローマはまた来ればいい、と思った。
その中で、例外的にどうしても行きたかったのが、ヴィッラ・ファルネジーナ。ローマを南北に蛇行するテヴェレ川の西岸に建つクリーム色の優雅な建物は、16世紀の初めに、裕福な銀行家アゴスティーノ・キージによって建てられたローマのルネサンス建築を代表する建物。その壁画の一部をラファエロが描いており、ガイドブックのおすすめそのままに、その「ガラテイアの勝利」を見に行ったのだった。
あの時は確か、それがローマ滞在の最後の観光で、満足したのか、ほっとしたのか、同行の友人が旅の間ずっと持ち歩いていたガイドブックを、見学したあと、しばらく外の階段に座って休んでいた時に忘れてきてしまったのもいい思い出だ。
「ラファエロは日本人だ!」
中部イタリア、ウンブリア州ペルージャの外国人大学でイタリア語を学んでいたとき、美術史の先生がルネサンスの回の冒頭、そう切り出して教室を「???」でいっぱいにした。得意げな顔で、教室に何人かいた私たち日本人に向かって、挑戦的な、だがいたずらっ子のような目でその主張を繰り返す。えっ・・・と・・・ラファエロが?日本人???は???どういう意味ですか?何をおっしゃってるんですか???などと聞き返す語学力もなく途方に暮れる私たちに、一方的に畳み掛けてくる。
せっかくイタリアに長く滞在するのだから、と日本で買って持って行ったデジカメを取り出せば、物珍しそうに注目を集めた頃だった。イタリアの道路には日本車がたくさん走っていた。日本ではとっくにバブルが崩壊していたけれど、イタリアにとって日本は、「ハイテク」の国だった。
ウンブリア州の隣、マルケ州のウルビーノで(紛れもなく)生まれたラッファエッロ・サンツィオは、ペルージャでペルジーノに学び、頭角を表し教皇らのいるローマに呼ばれる。そこで出会った、当時ローマで活躍していた画家たち、特にミケランジェロの影響を大きく受けた。
美しい色使いと均整の取れた構図、柔らかく優しげな聖母。500年経ってもなお、皆を魅了し続けるラファエロは、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、あるいは後のカラヴァッジョのように、革新的とされることは一切やっていない。彼は、師匠や同僚の「いいところ」を学び、良い意味で真似て、そしてこれがラファエロの最大の魅力なのだが、単に模倣に終わらずに「より良いもの」に昇華することができた。
「ラファエロは日本人」の先生は、私たちをしばらく疑問の渦に落とし込んだあと、「カメラも車も、日本人は何も発明していないだろう?」あー・・・。「だけど、他人が発明したものを、日本人は改良して、最良のものを作り出してしまう。」・・・なるほど。
その後、どこかでラファエロの作品を見るたびにあの場面を思い出す。あれは、ラファエロに対しても、日本に対しても、最大の賛辞なのだったと後に気がついた。
先日、ヴィッラ・ファルネジーナを訪れた。初めて見たときから、その後も何度も訪れているはずだが、それでもずいぶんと久しぶりだった。何十年も経って、まさか歩いて来られるところにしばらく住むことになるとは、もちろん考えたこともなかった。5月にしては肌寒い小雨がぱらつく週末、他の観光地ほどではないものの、やはり多くの人で賑わっていた。
久しぶりの「ガラテイア」は、やはり美しく、だが思っていたより、いや、覚えていたよりこじんまりとしていた。むしろ、ヴェネツィア出身のセバスティアーノ・デル・ピオンボを始め、他にも重要な画家らが競うように壁を彩っていたことに今更ながら気がついた。
そして、優美なだけでない、神話の登場人物らの筋骨隆々とした体や、生き生きとダイナミックな動きは、明らかにミケランジェロの影響が見てとれた。
37歳で夭逝したラファエロは、もしかするともっと長く生きていれば「革新」を起こしたのかもしれない。でもなんとなく、そうでないような気もした。たとえ、もしその後何十年も生きたとしても、やっぱり「日本人」のままでいることで、彼の魅力をますます磨いたのではないかな、と思った。
9 mag 2023
#ローマ #ラファエロ #展覧会見学 #ヴィッラファルネジーナ #ルネサンス #イタリア #エッセイ
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