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63第六章 空き部屋 21-陰謀


 尚人は、弟の貴明を心底嫌っていた。
 産まれてから今に至るまでの半世紀、尚人の彼に対する強い劣等感、嫉妬、様々な想いは、留まることを知らなかった。

 芳川貴明という存在、彼の全てを、殺す。そうすることで、尚人の復讐は完成する。

 そのキーとなる存在が、彼の娘である志織である。彼女を、藍田家の住人殺害の犯人で、顔剥ぎの正体にしよう。大会社の娘が殺人鬼。被害にあった者達はライバル会社にゆかりのある者達。その会社の元社長に、貴明は親を殺されている。復讐も兼ねて娘を当てがい、犯行に及んだ。

 ——それだけ餌があれば、後はメディアが動いてくれる。彼の名誉は枯葉のように地に落ち、雪のように消えるだろう。

 そこで尚人は雛子を手玉にとり、貴明の計画に乗ったのである。
 君と一緒になりたい、という尚人の言葉に、案の定彼女は乗り気だった。直情的で、操りやすい女。貴明が復讐計画を実行しようとしたのも、彼女の扱いやすい性格が理由の一つなのかもしれない。
 問題はそれからだった。藍田製薬を芳川薬品が吸収するためには、貴明の言うように、藍田勝治と藍田冬子の扱いについて、考えなければならなかった。
 うち勝治については、大きな問題とは思っていなかった。元々雛子に執心気味な彼は、嫌われたくないからだろうか、彼女の言いなりだった。
 彼の飲食に毒物を少しずつ盛り、殺害しよう。貴明の思惑どおり、尚人の言葉を、雛子は疑いもせずに了承した。実際には弱らせる程度の量であり、継続して投与しようが死に至るものでは無い。
 しかし、それで十分だった。弱りきった彼に、真琴と志織の結婚の話を持ちかける。円滑に彼を説得するための布石だったのだから。
「真琴さんの勘当、気の迷いだった、だって。あの人、私の言うことなら何でも首を縦に振るのよ。笑っちゃいそうだったわ」
 ここまでは上手くいったが、ネックはやはり、後者の存在だった。
「富豪の親に勘当されてまで選んだ女、か。彼女がいる以上、真琴と志織の結婚も、俺達が一緒になるのも夢物語で終わる話だ」
 別れさせ屋にでも頼むかと冗談まじりで尚人が言うと、雛子は「任せて」と胸を張った。
「勝治さんを言いくるめて、彼の部下の人あたりから、離婚を迫ってみるわ」
「おいおい。そんな、直接的にやっても」
「お金よ。愛なんて、お金のあるなしで成立するかしないかってものなんだから」
 この女は。尚人は心の中で溜息をついた。彼が実家を捨てていることを考えたら、門前払いをされることは想像にも易かった。
 だからといって、尚人に良案が浮かんでいるわけでも無かった。いっそのこと、死んでくれないかとも思った。そうすれば、真琴を志織と結婚させることなんて、時間の問題なのだが。
「…そうだ」
「えっ?」
 訝しげな雛子に、尚人は一つ、頭に浮かんだ考えを述べた。彼の話を聞くうちに、雛子は顔が青ざめていく。
「私達が、やるの」
「ああ。大丈夫、旦那と同じ話さ。俺達がやったなんて分からない。だろ?」
「う、うん」
「君と俺が一緒になるためだ」尚人は、雛子の手を握った。「あと少しだよ」
 雛子は少し悩むそぶりをしたが、そのあとは自らに言い聞かせるかのように「大丈夫、大丈夫」と胸に手を当て肯いていた。

 貴明は目の前の、遠藤の遺体を見据えた。自分の他に、この家にいる者達を、手にかけている者がいる。勝治しかり、遠藤しかり。それを自ら行おうとしてここにやってきた彼としては、気が削がれたというべきか。端的に言えば、良い気はしなかった。
 ただ、いつまでもへそを曲げている暇はない。自分は自分で、ここでやるべきことをやらなければならない。
 しかしもし二人を殺した殺人鬼に対面したら。手に持ったハンマー。武器として心強いが、即死を狙えるものでもない。殺人鬼に対抗するには、若干心許ない気もした。
 安心して事を成すことができる武器。遠くから狙えて、それでいて致命傷を与えられるような。それを手に入れる必要がある。
 そこで、思い当たる節があった。この家の一階の書斎…確か、あそこには壁に西洋武器が飾ってあったはず。実際に使えるかどうかはともかく、あれならもしかして。
 考えるが早く、志織の部屋を貴明は飛び出した。そうして隣、もう一度真琴の部屋に入る。クローゼットを開け、隠し通路を通り、階下へと下る。屋敷中央の階段を使うことは憚られた。途中で殺人鬼と対面する可能性があるからだ。
 隠し部屋を通り過ぎ、さらに下へ。先程、真琴の部屋にいた、侵入者が通ったと思われる道。結果的には、彼の選択したルートは、功を奏したことになる。扉が開いたその先は、書斎だった。ただ、電気が消されて暗闇の状況下、貴明はまだ、ここが書斎かどうかは気付いていなかった。誰もいないことに安堵しつつ、電気をつけようと、室内を彷徨う。
 そこで突然に、灯りが室内全体を照らした。目が眩む。なんだ、これは。徐々に目が慣れてきて、情景と事の次第を知ることができた。
 部屋の入り口、扉付近にポニーテールの少女がいた。黒のワンピースは、少女によく似合っていた。
 部屋の電気は、彼女が点けたようだ。足下には、小さな白いポリタンク。上呂のような口がついている。
 少女からしても、彼の存在は予想外だったに違いない。目を見開き、少しずつ後ずさる。貴明は、少女の顔を見たことがあった。しかし写真でしかなかった。この家を訪れると、少女は大抵自室に引きこもってしまっていたのだから。
 少女は藍田瑛子。標的の一人だった。

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